「リーダー論が何故にこうも受け入れられるのか?」のシリーズ記事の4回目です。

人に何かを説明するとき、「わかりやすさ」というのはとても大事なことです。
わかりやすければわかりやすいほど、受け入れられやすくもなります
そして、いわゆる「リーダー論」は、この点においては非常に優秀です。
そう、すんごくわかりやすいんですね。

「犬をしつける」という行為や、いわゆる「問題行動」を改善するという行為を、「飼い主の指示にちゃんと従うこと」としたとき、そこにある種の「主従的な関係がある」と考えるのは、モデルとしてはとってもわかりやすいんですね。

私たちが普段、誰かの指示に従う場合、そこにはある種の「主⇔従の関係」があるように見えたりします。
親と子、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、あとは妻と夫?(笑)
別に「主⇔従の関係」がなかったとしても、誰かの指示に従うことは十分にありうるわけですが、それでも「誰かに従う」というのは、この「主従的な関係」で説明した方が、すっきりとまとまります。

飼い主やトレーナーの指示に従っている犬の様子を見ると、いかにも「人間を主と認め、それに従っている」かのように見えたりするんですね。

こうなると、「主従関係」を全面に押し出す「リーダー論」は、とてもわかりやすく、受け入れやすいものになります。

また、「わかりやすい」というのは、もう一つの効果を生みます。
それは、「説明もしやすい」ということ。

リーダー論を説明するトレーナーも、生まれた時からリーダー論を知っていたのではなく、誰かに「リーダー論」を教えてもらっているわけです。
それはトレーニングの先生や先輩、他所のトレーナー、あるいは本やネットなどからの情報かもしれません。
そういったところから「リーダー論」を見聞きする。
実にわかりやすいモデルですから、納得もしやすい。
そして、実際に自分が説明するときも、とっても楽なんですね。

なにせ、最後は「飼い主さんがリーダーになれば大丈夫です!」と言ってしまえばよいわけですから。
こんなに楽なことはありません。

実際、僕もかなり昔はこの「リーダー論」を信じていましたので(というか、他の考え方を知らなかったし、聞くこともなかった)、飼い主さんに説明する際も「リーダーになりましょう」と言っていました。
実に楽でした。
最後は「リーダーになれば解決」で、全部済んでしまいますから。

「わかりやすい」
「説明しやすい」

この2つも、リーダー論が広く受け入れられる要因であると感じています。

まだ続きます。