こんにちは〜ひなあられです
今年もよろしくね
(何月だよ)
ついこの間、年が明けたなと思っていたら
あっという間に春よね
先週は娘っ子の卒業式でした。
‥‥ただ、ただ、
泣いた(T_T)‥‥
やっとここまでたどりついたよ
やっとだよ( ; ; )
生まれてすぐに母親は仕事に復帰せねばいけなくて。
まだ首もすわっていない娘っ子を抱っこして職場に行った日々。
帰りはいつも20時過ぎだから、夕食は保育園の給食。
お風呂も保育園に備え付けられた小さな浴槽でシャワー浴びさせて帰ってた。
あの頃は娘っ子の寝顔しか記憶にない
検診の時に先天性股関節脱臼が見つかり小児センターへ通う日々。
その時だけが娘とじっくり向き合う事を許された時間だったな。
娘とゆっくり向き合える。
そんな時が悲しくもあり、嬉しくもあった。
治療のために足を固定されること2ヶ月間
この時は実家に帰り娘の治療に専念できた。
ちょうど離乳食が始まる頃で、アタシや婆ちゃんは足を固定され、動くことができずに泣く娘っ子のために少しでも美味しいものを口にしてほしいと、旬の野菜や果物をせっせと潰しては与え、娘っ子が美味しそうに食べてくれたら両手を上げて大喜びしてたな
食事の始まりがそんなだからなのか、娘っ子
牛乳の産地を1発で当てられる舌の持ち主になりました
大人の中で育てちゃったので、変な自立心があり
自分の生きる道をしれっと、そして力強く突き進む子になりました。
そしてアタシに似て人に弱みを見せるを嫌う
とーっても不器用な生き方しかできない子に育ちました
学校や周りのいざこざがあったとしても、弱みを見せられない。まして泣いて同情を引くことなんてとても出来ない。
友だちが泣いてるところをみて、羨ましいとさえ思ってしまう。
(そんな性格、嫌んなるほどアタシ似)
そんなオーラを放っているので、そこをぶっ込んでくる人物はほとんどいませんでした。
そんな子が、部活で新任の監督が来て自分が目をそらしていた弱いところもコテンパンに叩き込まれ、向き合わされ、想い悩むことになろうとは、本人も思ってなかったでしょう。
前任の監督と世代交代をしてからは周りの同級生が羨むポジションを与えられるも、自分にはそこまで実力が伴なっていないと暗示をかけていたがために思い悩む日々。
本当はただ単に好きなスポーツをやりたかっただけなのに、同級生には気を遣われ、羨ましがられ、一歩引かれ、新監督が引っ張ってきた実力のある下級生の中で戦わなきゃならない孤独に耐え、誰にも愚痴や相談できない日々が続いたある日、アタシのスマホに娘っ子から一本の電話が。。
娘「‥‥‥」
あられ「もしもーし、どした!?なんかあった?
娘「‥‥ヒック‥ヒック‥車にひかれそうになった」
あられ「なに!?だ、大丈夫!?」
娘「ひかれてない!‥‥でも、帰れない」
自転車通学している娘、どうやら泣いてて涙で通り過ぎる車が見えなかったらしくクラクションを鳴らされたそうで。。
あられ「わかったからそこでまってて。今、ママ自転車で向かうから!一緒に帰ろう」
と、自転車で迎えに行くと自転車のハンドルをギュッと握りしめて、ただぼーっと立ってる娘の姿が。
アタシの顔が見えた途端
・・・っっヒック‥っっヒック‥
っうえぇぇぇーーーーん!
ナニゴト!?
赤ちゃんのようにギャン泣きし始めてしまい、家に帰りたくないと言う娘を(家にはパパや弟がいるから泣いてる姿見せたくない)
一先ずカフェに連れて行き夕飯を食べさせることに。
お腹が満たされた途端、今まで溜め込んでいた不満、愚痴、言いたかった事がでるわでるわ‥
一通り話を聞き背中をさすり、
「よく耐えてたね。もう大丈夫だよ」
となだめ、お店の閉店間際にやっと帰れる気持ちになり家に連れて帰る。
そんな「帰れない時間」が1週間毎日続く
その度にアタシが迎えに行き、愚痴を聞き、一通り泣き、
娘「もう頑張れない!明日は辞めるって言うんだ」と言いながら家に帰る日々。
副キャプテンだったから辞めるならそれなりの責任も伴ってくる。
それも十分承知の上での言葉だったから
あられ「貴女がその覚悟で決めた事ならお母さん、一緒に頭さげるよ。心配しなくて大丈夫だよ」
母はただその辛い時間に寄り添い励ますのことしかできなかった。
退部届も書いたりしたのかな。
朝、泣き腫らした顔で起きてくる娘に
大好きなおむすびと卵焼きの朝食を準備して送り出す。
心の中で「その辛さを乗り越えられますように‥」と願いながら。
最後の大会までは、練習試合や大会はできるだけ応援に行くようにしました。
(新監督になってから県外の試合ばかりで早朝出発ガソリン代もハンパなかった)
そんな最後の最後に辛く苦しんだけど、結局は最後までやり通した娘。
卒団の日
監督に挨拶した時、もう1人の今年定年退職する元監督先生が
「君達はそれぞれ辛い1年だったと思う。スタメンに入れなかった者、ユニホームを着られなかった者、メンバーに選ばれたが孤独の中で1人戦った者。しかし君達はそれぞれの場所で精一杯頑張った。自分はそんな君達に何もしてあげられなかった」
(泣)(泣)(泣)(T_T)
先生、子ども達に寄り添い見守ってくれてありがとうございます。
先生の優しい眼差しが、娘や保護者である私達も癒され励まされました。
そんな素晴らしい大切な時間を持てた事が娘にとってこれから大きな力となるでしょう。
卒団した後は進路について向き合う時間がやってきます。
部活を一生懸命やったがために大学選択に遅れをとり準備が不十分な中での受験でしたが、自分の信念で本命1校しか受験せず
(普通滑り止めってうけるもんじゃないの??)
運良く娘の希望する学科に行けることが決まり、4月から大学生となります
11年前
生存率30%と言われたあの日
再発して主治医に
「この先は完治ではなくどれだけQOLを下げずに生活できるか」
と言われたあの日。
子どもが成人する姿をこの目で見られる事を目標にしてきたけど、今日のよき日を迎えることができて嬉しいです。
娘はきっとこの先どんな試練が待ち受けようとも、今までの経験を力に変えて力強く生きていくでしょう。
支えてくれたみんなに感謝
時に弱音を吐いたアタシを励ましてくれた心友に感謝
見守ってくれた皆さまに。
神様ご先祖様に。
心からありがとう
一先ず手をかける子育ては終わりましたが
アタシにはもっと厄介で面白みがある
伝説のぼーず
が後に控えております
まだまだ気を抜くことができませぬ(笑)
更に手はかからなくなったけど、大学進学に伴い
アタシの稼ぎが
右から左に流れていきます
6年耐えられるかな
ホントは寝ないで稼がねばいけないくらいだけど
ぼーずの役員の拘束時間があまりにもエゲツなく思うように勤務できない日々‥
(やっぱり自分の首絞めることになったよ)
でもまぁ、これも修行だと思って気合いで乗り越えます
長文に最後までお付き合いくださり
ありがとう
子育てに奮闘しながら治療でも闘ってるブロ友さん。
治療しながら家族様々な問題に向き合っているブロ友さん。
陰ながら応援してるよ!!
ファイテ〜〜ン