一つの意見の呪縛からの解放
気がつくと介護のスクーリングも半分を過ぎました(-ω-)連日、仕事と学校とスタジオと、、、充実ですね(・∀・)♪+.゚連日言われるのは、介護の気遣いと基本理念(-ω-)ヘルパーやりたいなんて人間は基本的に面倒見がいいので、必要以上に手を出してしまう。。。でもそれは、基本理念の「残存能力を最大限に生かす」という部分に相反するもので。。。何か手伝えることはありますか?というのは、ボランティアに必要な資質(-ω-)何かして欲しい、の要求に応えることと、不測の事態に常に備えられるのが、介護に必要な資質(-ω-)勉強すればするほど、俺はその気持ちが強くなる。。。放っておく。ケア。ほっとケア。Hot care。。。ほんとにそういう言葉があるんだってば(´゚∀゚`;)要求があって、自己決定があって、不足している部分のサポート、、、人間は子供に戻る、というけれど、子育てとは違う。確立された一個の人格がある前提でこそ、介護は成立する。ばあちゃんが存命で、俺のトコに遊びに来てくれた時の話(・ω・)駅まで歩かせるのは、酷じゃないかって言われた。ご飯は全て柔らかいものじゃないと、食べられないのではないかって言われた。せっかく会えたのに、ずっと傍にいなきゃダメなんじゃないのって言われた。タケヒトくんは、おばあちゃんに対してヒドいんじゃないのって言われた。タケヒトくんには、介護なんて無理なんじゃないのって言われた。俺はばぁちゃんは遅いけど歩けるわけだし、噛めないものは自分で選んで残すだろうし、話がしたければ自分から話かけてくるだろうから、必要以上に構う必要があるとは思えなかった。でも、酷いことをしてたのかな。俺、冷たい人間なんだろうか。ぐるぐるぐるぐる。。。ここ二年以上、ずっと心のどっかに引っかかってた(-ω-)でも、勉強するに従って、俺の根底の考え方は間違ってなかったって実感が湧いて来た。。。もっとしてあげられたことは、沢山あったと思うさ(´Д`)けど、それは俺の自己満足でしかなくて。一個の要求があって、それに最大限応えることが大切なんだと。要求がある前にこちらから全てを用意して、道を作ってしまうのは、子供には大切なコトでも、人格が形成されている人には適合しない。生きている限り人は成長する→生涯成長…生きていること、やろうとすること全てがリハビリに繋がるし、頭も身体も使わなくなった時点からどんどんと激しく劣化する。心底叩きのめしてくれたのも身近な人なら、そこから救い上げてくれたのもまた身近な人。様々な人から刺激を受けて、俺も日々、生涯をかけて、成長していくんだなぁ(。´゚ェ゚)。´_ _)どんなにベストを尽くしても後悔は残るさ。。。色んな人に自分が言ってきた言葉だけど、自分でも後悔が残ってるんだよね。もう一度、東京タワーに連れて行きたかったし、もう一度、俺のステージを観て欲しかった…俺の関わる人全てが、自分の身内のように、優しさと厳しさと。持ち合わせた人間に、いつかなりたいな。。。