吉田郡河合村情報収集中

他のページを写真に撮りました。他に何か思い出したら情報ください。

 

(9月4日)小林良さんの新たな証言を追加します。

「11ページまでの写真は、嘉秋(父)の弟で戦死された正児さんの家族関係のものかと推測します。

 

12p.13p.は同日同会場。13p。の中央は嘉秋、向かって左隣は進駐軍の人(リーさん)

14p.河合小学校  

  ※ 12と13の写真は小学校の講堂で村民に対する説明会であったと考える。

15p. 進駐軍による視察

17p. 河合村農業会  左から嘉秋、通訳の人、一人おいて 進駐軍のリーさん 

19p. 中央・・通訳とリーさん

20p. 機屋(はたや)で働く女性たち

21p. 機屋内部

22p. リーさん (正面からの写真で確信しました。髪型と口ひげ・・確かな記憶にあります)

 

私がツナおばあちゃんと一緒によくめくっていたアルバムは、

ハードカバーで赤が基調の凹凸のあるものでした。

ほとんどが英一家族の写真集でしたが、

その中に戦後、二日市・五十嵐家で撮った集合写真(リーさんと嘉秋が真ん中で、父の膝に私が座っている)

が貼ってあったように思っています。その写真は割に近年も目にしています。」

 

小林良さんの証言

「河合村 役場の写真は、戦後 S.20〜21年頃のものだと思います。
真ん中が、村長(松川さん?)。右側が父・嘉秋、左が進駐軍の人…と推測できます。
S.23の地震の時に、父が村議会議長をしていた と聞いていますから…

戦後、進駐軍の人が河合村に来て、二日市の五十嵐でもてなしたことがあり、その時の 集合写真の真ん中に私が父のお膝に乗って写っています。」

 

西村和昭氏の証言

「良さんから既に聞いているとは思うけど、例の「河合村役場」の

写真で、写真の中央に写る小柄の人は河合村の村長で、

良さんの同級性のお父さんと判明。その右に写る背の高い人は、

その立ち姿から推測して、五十嵐菱秋叔父(ジャンヌお爺さん)

だろうと私が推測し、良さんに伝えたら、実は写真の左に写る人は

当時の進駐軍のアメリカ人(良さんは名前も憶えていた)で、

その人と嘉秋さん(良さんの父親)が良さんを抱いて、進駐軍の人と

一緒に写る写真を見たことがあると言ってた。

その結果、河合村役場の写真の年代は昭和20年8月以降、かつ

昭和23年6月以前、つまり福井震災以前の写真ということが

分かった。その頃、嘉秋さんは河合村の議員をしてきたことも

良さんの話で分かっているので、県の博物館の人は戦前の写真と

言っているそうだけど、それは間違いです。

良さんと私の時代考証から間違いなく、昭和20年(1945年)

8月以降、かつ昭和23年6月以前ということで間違いありません。

何故かというと、昭和23年6月には福井地震で、写真の役場などは

間違いなく倒壊していたであろうと良さんとの会話でお互い納得してのが結論です。」

表紙

1ページ目

2ページ目

3ページ目

4ページ目

5ページ目

6ページ目

7ページ目

8ページ目

9ページ目

10ページ目

11ページ目 なし

12ページ目

13ページ目

14ページ目

15ページ目

16ページ目

17ページ目

18ページ目

19ページ目

20ページ目

21ページ目

22ページ目

23ページ目

24ページ目