季節狩り
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あけましておめでとう





あけましておめでとう

今年の守りは、

不動明王 です~

宇宙最強の仏の出撃で、
世界の安寧と健康をどうぞ!
不動さまの種字は
カンマン と読みます。
梵字 カーン と マン の2字を切継した重字です~
カルラ炎を身にまとい!
降魔の利剣を配しました。
オリジナルは
サムホール(227mm×158mm

キャンバスにアクリル

平野五岳 展

毎回出し遅れの証文化しておりまして、申し訳ありません。
豊後南画SAIKO回の皆様!
「平野五岳」展
於:中九州アートミュージアム幸寿記念館
堪能なさいましたか~


日田の五岳!晩年寄りの作品が主であったにもかかわらず、
硬派五岳の面目躍如とも言うべく、力強くて嬉しくなりますね~
館長がおっしゃっていた「薄いのがある」つまりインパクトの弱いものとの意でしょうが、
これを小生は「へぎもの」と呼んでおります!
へぎもんちゃなんか?さげもん、にせもん、ホルモンと何が違う!バカたれが!
ハイ!決して贋作ではありません~いわばクローンでしょうか・・・
腕のいい経師屋はオリジナルの紙本を2枚以上にへぐことに肩を聳やかすとか・・・
淡墨、渇筆などは足の入りが悪い所為で飛びます~また絹本などにこのクローン法は不可ですね~
五岳が田能村竹田に私淑していたことは人口に膾炙するところですが、竹田とただの一度も邂逅は無かったのか?
このロマンはそそるものがありますが、五岳四十にして立つのことであれば、竹田すでに物故しており南画の師弟としては私淑しかありえなくなります~
帆足杏雨とは生年一年下ながら、咸宜園では数年上で、少年時の五岳に絵画関心は全くなかったようです~
つまり袖すりあうも他生の縁すら、竹田門以前の杏雨とはなかったようです~
なにより、五岳に私淑宣言があったのであろうか~
粉本主義の時代とはいえ、竹田、五岳は筆法にかなりの違いもあり、無理な邂逅浪漫よりもっと鮮烈浪漫が考えられるのですがお聞きください!
今回の五岳展目玉でもありました『西南の役直前鹿児島紀行画帖』(仮題)の旅の真の目的です。。。


もちろん東本願寺鹿児島別院の開院法要参列、日田県令 松方正義の命を受けた西南戦争回避策提言のふたつは重要目的には違いありません~
五岳には西郷に会ったら問いただしたい一事がありました。
僧 月照との心中事件です~
手を取り合って入水した西郷は生き返り、月照だけが死んだことが信じられなかったのでしょう!
五岳33歳の春、咸宜園仲間達数名とともに花の都40万都市京都での半年以上におよぶ修行、遊山、勉学の旅に出ます~
五山十刹、本山門跡、各宗名跡を回るうちに清水寺の月照と出会います~
以来二人、あるいは一行は拍車が掛かり五岳は五山の書画と月照に明け暮れておりました!
江戸や都の僧侶にとって女犯(にょぼん)は罪だが衆道 陰間はOK 次第でありました。
ジェンダー新世紀の今だからこそですね~
『・・・鹿児島紀行画帖』見えていた範囲に人文的内容は見えず、五岳が馬脚を現すとも思えませんが、紀行全部を読み下したいですね~

草刈憔谷 展




草刈樵谷Ⅱ展を目的に、
竹田市歴史文化館・由学館へ
やってきました!
この 隈 研吾さん設計の鄙には稀な博物館については、乞御検索。。。
「豊後南画 最後の巨匠・草刈憔谷展」の仙境図、つまり山水図を見ながら、ふと思いました!
フェノロサ、天心の南画排斥運動などというもの、それほどのものはなかった!?
ということです。
芸術至上主義のフェノロサが南画を眼前にして「なんか!こげなもんがつまるか!どもならん!?」と大分弁でつぶやいた!とします(あるいは母国アメリカ語にて)。
後ろに張りつく岡倉天心ががてんがてんをする始末です~
フェノロサ天心発言の出典が明確でないのもさりながら、この両名セットの活躍期(明治の廃仏毀釈から日露戦争終結まで)に、メタフィジック絵画だのアバンギャルド芸術と呼ばれるものはまだこの世界に存在しなかったのですから・・・
つまり面妖な道教由来の神仙思想を理解するなど、当然のことながら「わっきゃわからん!」と絶句するしかなかったのでしょう!


枕がながくなりましたが、ここで小生の書いたインタビュー記事を紹介いたします!
「月刊 アドバンス大分」
91(平成3)年 9月号
もう31年も前のことです~
紙媒体に勢いのあった時代の月刊誌ですからそれなりの訴求力を持った総合雑誌でした!
「豊後南画 最後の巨匠 白寿翁に聞く!」とのコンセプトでしたが、樵谷翁の出生から白寿までの99年間と田能村竹田の曾孫弟子の立ち位置、南画は線で書く、線は蘇東坡の書法、点苔の打ち方や詩書画の三絶でなければ具合が悪い話しなど軽妙に議論を切り結んで参りました。
由学館の館長によると、この時期の樵谷翁のインタビュー記事など外に見ない!とのことでしたのでコピーを残して帰りました~


展覧会に来て作品評がない!ままではいかがなものか~
そこで一押しは『陽目渓谷 白水瀑図』真景図。写真は撮れませんので展覧会フライヤーからのパクリです~
現代日本画の千住博氏滝図(高野山だったか)と対応して思い起こしてほしい!
南画と北画の違いが明瞭ですね~
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