あー。そういうことか、ってのがわかってきた。
時間かかったなー、今回は。でも、暮らす、は、やっぱり結びついてくんだなぁ。結論に。
さて。
こちらでの生活も3ヶ月と半ばに差し掛かって、数ヶ月単位で見てなかった雨に降られた日、電車で出会う人たちと、その人たちの言動を観察しながら思ったこと。
そして、デンマークでの生活をしながら感じた、こちらに住んで長い日本人の方の感性と、その他。
まず、いろんな話をする上で、長年デンマークにお住まいの日本人の方のことを話さねばならないと思うのね。
聞いてくれる?
こっちに来て、まずは日本人の方にたくさん助けていただいたので、ひたすら感謝なんだけど、その方々と話を深めるにつれて感じるのは、『今の日本批判が強い』という事。
それこそ、わかりやすい『今の若者は』的な話が流れるように出てくる。
そうなる理由も分からなくはなくて、きっと、今よりうんと日本人も少なく、日本に関する情報も伝わってこない時代にデンマークという国に移住し、自分で人生を切り開いて来たことは間違いないと思うの。
今60歳代〜70歳代にかけての人は、ちょうど戦争で日本が負けて、それまでの日本とそれからの日本との大きな変化を幼少期に目の当たりにした人たちだと思うの。
時代の変化は都市部から地方へ流れるから。
で、その大きな変遷機の真っ只中にいる時に日本で教育を受け、彼らが大人になる頃には学歴社会とお金資本最上主義が大きく確立されてくる頃だったのだろうな、と。
つまり、日本人がそもそも持っていた「悟る文化」や、「感覚的なものの重要性」が後回しにされて、いろんなものが『概念化』されてきた時代。
(まぁ現代もある意味そうなんだけど、気づき始めてる少数派の人たちの動きは、だんだんと速度を増してるし大きくなりつつあるなぁと思っている)
概念化の時代に大切にされてるものが何かっていうと、1つの言葉やものの見方が同じであることの重要性なんだよね、きっと。
例えば『卵』って言葉があったとして、何をイメージする?
それは、おそらく多くの人が、白い鶏卵を想像するんじゃないかな?
でも、ウズラの卵だって『卵』ろうし、目玉焼きだって『卵』だし、もっと言えばいくらやたらこも『卵』なのだけれど、白い殻の鶏卵を思い描くのが当たり前で、さらにはそれが普通とされる。それが重要、みたいな。
つまり、多様な見方や多様な意見は極力排除されてきたんだと思うのよ。
その状態から、急に異文化圏に飛んで、デンマークで暮らしている。リアルな日本で暮らす人々の緩やかな動きの変化を体感することなく。
しかも、日本人がそんな時代を過ごしつつある中、デンマークという国は、他国や異文化との比較を往々にしてやってきているわけではなく、むしろ自国の中での平和や穏やかさを大切に過ごしてきていたわけね。
んー。表現として正しくはないかもしれないけど、日本でいう江戸時代的な?遠くへ、外へ意識を向けずとも穏やかに暮らせている状態。
ま、これが先の『世界一幸せな国』につながる一因なんだけど。たぶん。
デンマークが世界一幸せな国として知られるよりほんの少し前は、ブータンが国民の幸せ度が高いって言って注目されたじゃない?
それも、自国での自分のあり方や、自分の周りにある小さな社会との心地よい距離感に集中していれば、社会全体がまわったからだと思うんだよね。
デンマークも、わたしが感じる限り、たぶん同じで。
それなのに、難民や移民の受け入れをはじめて、異文化が流入して、変わらざるを得なくなったんだろうなぁ。
平和にのびのび生きてた人たちは、何が素晴らしいって、全ての始まりに『信頼』があるのよ。
まずは、信じてみる。
むしろそれ以外の方法を知らないって言ってもいいかもしれない。
だから、移民や難民の受け入れをした時も、『他国に移住するのだから、そもそもこの国にあった慣習や文化は尊重されるであろう』っていう考えが、形を示さずにきっとあって、(それが『よさ』なんだけど)
でも、異文化圏から来た人たちは、教えてくれる人がいなきゃ自分たちの文化の中で生きてしまうのよね。
たぶん、むしろ、それしかできないんだと思う。
それぞれの違いを知っていて、どちらのよさも尊重できる人が、
『あなたの国のこういう文化はとても素晴らしいと思う。ただ、この国で当たり前とされていることのベースはこういうものだから、そこに敬意をもって暮らしていってくれると、この国を作って来た人としては、とても心地がいいんだ。理解してくれると嬉しい。わからない時は聞いて?』
そんな風に言える人が一定の割合でいるだけで違ったんだろうけど、それは極端に難しいだろうし、
だから、統制が取れなくなった。
人々の根底にあった、ルールにできない『対人関係を築く上での当たり前な感覚』『お互いの心地よさの距離』みたいなのがごろっと変わってしまうから。
そこで、統制を取るためにスピード感のある対策が必要になる。
それが、ルールであり、法律であり、言い方を変えれば締め付けなんだろうな、って、ものすごく感じている。
そうせざるを得なかったんだろうな、と。
それを実際、日本でもずーっと長い間やって来てると思うんだよね。
どの業界も、細かな法律に従うと、仕事がやりにくくなってる気がするのも、1つは(移民難民に対する問題ではないけど)スピード感のある対応が必要な事象が起きてることが原因なんだと思う。
話は飛ぶような気がするけど、やっぱりそういう、ズレてしまった脊髄を元の場所に戻せるような対策って、教育なんじゃないかなぁ、と思う。
だから、本当の意味で、人間のコアの部分に迫る大切なものが知りたいんだと思うのよ。
それは、ヨーロッパであろうが、アジアであろうが、アフリカであろうが、むしろ宇宙まで飛んでしまおうが、
きっと、共通して持てるものってあると思っていて。
中心に戻ろう。
真ん中を取り戻そう。
それが、ここ数年のわたしのタスクだったんだなぁと。
なかなか好きになれなかったデンマークだったけど、大きな学びは与えてくれたなぁと思う。
あとは、その仮説に沿って、そうかもしれない事実と、
そうじゃないかもしれない事実も含めて、
冷静に観察していこうと思います。
ちなみに、現段階でのお話ですが、日本人の持つ『悟る力』みたいなものや、立ち居振る舞いに対する美学って、群を抜いていると思うよ。
学ぶほどに納得するひとつひとつの所作や礼儀の持つ意味って、すごいもの。
(残念なことに、どんなに伝統的な文化を嗜んでいても、形骸化したものを受け継いだ人が多い気がするのは、こちらに来てからも感じます。)
さあ。
上に上にと枝葉を伸ばすとこに尽力する時代はおしまい。
根をはるよ。
深く深く、
広く、どこまでも、遠く。
読んでくれてありがとう。
意味の取りにくいところがあったら、いくらでも質問受け付けます。なんでも言ってね。
素敵な日曜日を。


