やる気が起きない。
どうがんばっても、何をどう変えてみても、
今、この瞬間、やらねばならぬ来週に向けた仕事準備にやる気が起きぬ。
ちゃんと午前中に起きたし、顔も洗ったし、歯も磨いたし、最低限の身支度でよければ、眉描いたら出かけられるとこまでは仕上がってんのに。笑
それもこれも、多分、摩擦のせいなんだよな。摩擦ってゆうか、なんか、摩耗してる。
今、期間限定で小学校2年生の担任をしている。
ざっと見た感じ、彼らは、たぶん、すごく生きる力を持っている。
ただし、
『大人が価値観を押し付けなければ。』っていう条件つき。
今週金曜、参観がある。
何も包み隠すことの無いわたしは、いつ、誰が授業を見に来てくれても全く問題ないので、参観だからといって何かに特化することにそもそも違和感がある。
今回の授業は『おおきくなった わたし』。
生まれてから今日まで、こんなことができるようになったよ、こんなに大きくなったよ。それを、発表する。
彼らのいいところは、クラスメイトの過去の話(赤ちゃんの時の話や保育園の頃のこと)も興味を持って聞いてくれるところ。
しかも「変なの!」って、否定しない。←これって本当にすごいこと。
だからかな、頑に手を挙げなかった子がこないだ初めて手を挙げた。意見発表できた。
「人が嫌いだったけど、ましになった」って。感動して授業で泣くかと思った。
これって、わたしが創った空気ではまったくなくて、彼らがそもそも持っていた、よさ。
それは微塵も疑いなく、信じられるんだよね。子どもたちが持ってる力。
個人的な考え方だから、否定する意見もあるとは思うんだけど、わたしは、ひたすら彼らを「信じて」いたくて。
こないだ、ご褒美用のシールが急にごっそりなくなってた。
それを学級の子どもたちに考えさせた時、筆箱に入ってたそのシールを他の先生に見つかって「返して来なさい」って言われた子がわたしのところにやって来た。
事情聞いたら、「落ちてたのを拾った。」って。そう言ったその子に、わたし、厳しい指導しなかったの。
ただ、わたしが伝えたのは
・落ちていた物でも、持ち主を知ってるなら返す方がいい。その為に拾ってすぐに話しに来た方がよかったよね、ってこと。
・わたしはあなたの言ってること信じる。でも、もし、うまく伝えられなかったことがあるとか、心がもやっとすることがあるなら、もう一度話しにおいで、ってこと。
・シールを戻してくれてありがとう。ってこと。
正直、もやっとしたのはわたしだったし、その言葉がけが、その子にとってよかったのかなんかわからない。
厳しく事実を問いつめた方がよかったのかもしれないし。
でも、それは、他のだれかが、この先やってくれる気がしたんだよね。
それより、普段から「自分のこと見ててよ!!」ってオーラ出してるその子を信じてみようって思ったのよね。
子どもって、ってゆうか人って、生まれたとき、まっさらで真っ白だと思うから。
人の根底にある物って、そんな薄汚れたものでも、欲にまみれた物でもないって思ってて、それを信じたくて。
わたし自身は、人生が始まってかなり早い時期に、いろんな大人の「思惑」に気づいて、それにアダプトしてしまったから、物わかりだけはすごくいい子どもだったんだけど、その分、
「あー。この人、わたしに嘘がばれてないと思ってんなー。しょうがない。騙されとくか。」
って感じで、大人に都合のいい子どもで居ることがうまくなったからさ、(そうやって自分の居場所と言うか、自分に向けられる注意をつなぎ止めてたってゆうか)自分が関わる子どもたちには、できるだけ『こどもらしい子ども』でいられる時間を持っていてほしいな、って思うのよ。
まっさらで、真っ白な感性を、できるだけ長く持っていてほしいし、それが通用する美しい社会がこの先待ってるって思ってほしい。
騙されたり、嘘つかれたり、傷つけられたり、そんな物への重たい鎧を身につけるよりも、
辛くなったとき、傷ついたとき、一緒に歩んでくれる人が居るって思ってほしい。そういう人に出会って、つながりを築いてほしい。
自分の傷も、大事な人の傷も、一緒に笑いながら癒していける人たちでいてほしい。
その為に必要なのって、信じてもらえることと信じることだと思うから。
だから、今やらなくちゃならないこの仕事が、そこに繋がってる気がしないから、
やる気わかない。
繋がってるのかもしれないけど、あの子たちに必要なのは、「させられるたくさんのこと」じゃなくて、きっと、「気づきを自分たちで深めること」。
そこに力添えするってことが、仕事だといいのに。
わたしがやりたいことと、急を要してやらないといけないことの間にある溝が深すぎる。
むーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。