これは、僕が描いた油彩画です。モデルはフランス人の女優の卵で、とても魅力的な若い女性です。

 普段、僕の最も時間がとられて精神集中が必要なことは、やはり眼科外科医としての診療と手術になるわけです。日本国中から難治症例がこれでもかと多く来院します。眼科手術については日本中で、ほとんどの方々がイメージがわかないものです。現実に眼科外科医が非常に少ない日本では、正しい知識が浸透することなく、世界の標準の正しいことを行っても理解されないことがよくあります。眼科手術の結果は目の回復でよくわかるように、患者自身は視力を回復してその正当性を十分理解できるのですが、目とは一見した外見だけでは病気が分からない為もあり、世界では絶賛されている眼科治療でさえも、日本では全く理解されず、時には中傷さえあるのです。例えば、今でこそ日本では当たり前になった超音波乳化吸引術と眼内レンズ移植術は、僕がまだ20歳代でアメリカやヨーロッパで学んで最初の症例から裸眼で1.0も視力が出たのですが、日本に紹介したときにはこんな危ないものと、言われなき、つまり事実と異なる言い草で迎えられたものです。さらに、僕が世界最初に無縫合白内障手術を点眼麻酔下で手術をして国際眼科学会で発表してグランプリ賞を受けたことさえ、日本では全く理解されずに、変わった方法と侮蔑を受けさえしました。これは縫わないことに意味があるのではなく、自己の眼圧で切開創が自動的に閉じるだけでなく、手術後の乱視が全く起きない、回復が非常に早く安定するので社会的復帰もすぐにできる、画期的な近代的白内障手術方法だったのです。日本では僕の開発した新方法を、わかる者がいなかったのですが、世界は全く異なり、こんなすごい眼科医が日本にいたんだと、国際眼科学会で特別表彰を受けただけでなく、その後の新しい技術開発には世界中から僕に技術開発の参加を依頼することが普通になりました。まだ若造だった僕が多焦点レンズを世界最初に行ったギンベル先生から一緒にやってほしいと招待されたり、近視矯正レーシック手術の開発でも一緒に参加してほしいとなったり、網膜手術の器具開発や技術開発でドイツの最高峰のルッケ医師から呼ばれたりしたものです。

 このように眼科外科医として多忙なのは望むところですが、時には疲れ切った週末を迎えます。何もする気がしないこともあるのです。そんな時に、全く別のことをするんですね。僕にはもう一つの顔である、プロ画家の顔もあります。この絵のように、魅力的なモデルが得られれば、夢中になってその姿を絵画に描き切ろうとするのです。この油彩画は単なる絵では無く、僕の思いがこもった作品となるのです。

 場所が変わって旅の途中でもその印象を閉じ込めようと、水彩画のスケッチを置くこともあります。これは、僕がギリシャの眼科学会講演したときに、時間が空いたのでアテネよりサントリーニ島に飛行機で飛び、歩きながら気に入った場所をスケッチしたときの水彩画です。光と影の醸し出すアンサンブルは音楽での高音と低温の合唱のごとく、僕を魅了するのです。その瞬間をさっと描ける水彩画で描いた僕の作品です。