図1:「モナ・リザ」、レオナルド・ダ・ヴィンチ、1503-1506、油彩・ポプラ材、ルーブル美術館(パリ)。世界一有名な油彩画である。「モナ・リザの微笑み」と言うが、必ずしもそんな単純な絵ではない。
もともと海外と絵へのあこがれは強く、医学部での2か月間の夏休みに初めての加害旅行として欧州を旅した。初めての海外の地はパリであった。7月12日に着くと、街中はパリ祭直前で、お祭り騒ぎであった。その中でも、ルーブル美術館は静かに静まり、じっくりと名画と対面することができた。
当時、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナ・リザ」(図1)は長い廊下の壁に、さりげなくかかっており、絵を目の前で見ることができた。現在のように、大きな箱の中に鎮座して、別の部屋で大群衆に囲まれている“モナ・リザ”とはずいぶんと異なっていた。当時の数年前の航空大学生の時に、東京国立博物館で満員電車並みの列で、チラッと“モナ・リザ”を見た気になっていた自分は、何かで読んだか、「モナ・リザの微笑み」を見た気になっていた。その為にモナ・リザと改めて近くで対面して、その「微笑み」に出会おうとした。しかし、近くで自分の顔を近づけて見るモナ・リザは微笑んではいなかった。おかしいなと、さらに、その口元に視線を集中したのを覚えている。
初めてのルーブルで、「モナ・リザ」をすぐ近くで見て、絵のモナ・リザの唇ばかり見ていたのだが、微笑みには見えてこなかったことが、不思議な印象でもあった。
図2;モナ・リザの口の部分
モナ・リザの口元を見ていると、不思議に微笑みが消えて、ほほえみには見えないのが分かる。
最初の旅でのパリでは、ルーブル美術館はすいていた。そこで、モナ・リザの絵は、直近で見たので、ポプラ材の上に描いた油彩画の表面上に、油彩面のひび割れや、眼の近くの画面の傷なども良く見えていた。そして、なおさら微笑みの顔には見えなかった。夏目漱石の短編の中でも、漱石はこの絵を“気味の悪い顔”と表現している。
その後、眼科学会で医学者としての講演発表をパリでも何回も行ったり、ルーブルでのサロンに自分の油彩画が入選したりで、何十回もルーブルの「モナ・リザ」を鑑賞してきた。最近のモナ・リザは分厚い防弾ガラスで温度湿度管理の箱に入っているので、細かいものは分からないし、鑑賞者も多くてじっくりとなんて見ることもできない。しかし、毎回、モナ・リザの絵の印象が変化している。微笑みに見えるときもあれば、時には皮肉な顔を見せているようでもあり、微笑みというよりも、悲しみの顔にも見える時もある。
モナ・リザ鑑賞も、唇を見てから、周辺部に目線を移すと、その顔には微笑みが現れる。そして、また唇に目線を戻し、唇を見続けていると、微笑みは消えることに気付いた。唇ではなく、周囲の顔を見ると微笑みが見えてくる。再び、唇に目を向けると微笑みは消えてしまう。
この不思議な現象の、見え方の変化を、眼科生理学的見地から検討してみたい。
網膜は中心網膜と周辺網膜という機能上の区別がある。中心部分にある網膜の機能は、物体の細密な状況観察を行う中部には3種類の錐体細胞があり、色が100万種類見えるのもこの細胞のおかげである。一方で、中心をずれた、やや周囲の領域は、物体の大まかな形態を見るのに適している。空間的な把握に適していて、これは桿体細胞という明暗を主に感じる視細胞である。
モナ・リザの口の部分だけを、近づいてじっと見つめていると、とても微笑んでいるようには感じられない(図2)。少し離れてモナ・リザを見てみる。さらに口元から周りの風景を見て、また顔全体を見直す。するとだんだんとモナ・リザに微笑みが浮かんでくるのが感じられる。
この時の、絵に近づいて口の周りを見るということは、網膜の“中心窩”で絵に描かれた口の詳細を見ているのだ。物を見る中心部分の網膜中心窩には密集した錐体細胞がある。線の一つ一つ、色の細かな変化など、まさに細密画のように物体を観察するのに適している。顔の全体の中の口ではなく、口だけの細密表現を見ることとなる。
一方で、少し距離をおいてモナ・リザを見るときに、また周辺に目をやって顔を見直す時に、細かな細密画のような線は見えない。むしろ、細かな線が見えない為に、大まかな顔の筋肉の動きを感じさせる顔の表面の大きな変化を見ている。この際に、網膜の機能上で、見ているのは中心窩でなく、やや周辺の傍中心部分を使って見ているのだ。細かな表現が見えない代わりに、顔全体の筋肉のふくらみなどが空間的認識として感じられる。顔の筋肉を感じられることにより、表情筋の凹凸を全体としてより良くとらえられる。この結果、モナ・リザの微笑みがしっかりと見えてくるのである。
図3:OCTでの網膜黄斑部断層図
最新の眼科検査機器にOCTという断層撮影装置がある。図3は、OCTによる筆者自身の網膜の断層撮影像である。中央がくぼみ、血管や他の細胞が少なく、光が直接密集する錐体細胞へ効率よく届く。この場所を中心窩と呼ぶ。視細胞以外の組織が少なく薄いために、光電磁波の情報が減衰することなく鮮明に届く。この錐体細胞が密集する中心窩において細かい線や色などの微細な変化を良く区別できる。因みに10層の膜による網膜の厚みは0.3mm(300ミクロン)程度のもので、中心窩は0.2mm程になる。筆者の眼科施設は網膜手術数が世界でも最多の症例数だが、この網膜の表面の内境界膜を剥がす際は1ミクロン(0.001mm)ほどの薄い膜をきれいに除去する手術など、まさにミクロの世界である。この黄斑部の凹みは非常に重要である。例えば先天性のアルビノでは凹みができない低形成で視力も悪くなる。
一方で中心の周りでは、錐体細胞の密度が減り、桿体細胞が増す。細かな表現の線や形や色は分からずに、大まかな表現を空間的な認識でとらえることとなる。つまり、微笑みなどの、顔の表情などは空間認識や大きな表情筋を見るのに適している、中心をやや外れた網膜での情報のほうが適切である。
つまり「モナ・リザ」の微笑みを見るには、距離を置いて周りの桿体細胞も含んだ顔全体の表情筋を見なくては「微笑み」は分からない。今は近寄ってモナ・リザを見ることができないが、写真などで近寄って微笑んでいるかと唇を見ると、モナリザは微笑んではいないと感じてしまうことが分かるであろう。
これで、物を見るのに周辺視野と中心視野があることが分かるが、次に他の例についても述べてみたい。


