アスカちゃんのブログ

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あれは今からちょうど5年前、大学1年生の冬の寒さが厳しくなってきたある日のことだった。当時の学部1年生用のカリキュラムには、週に1回、箱日と呼ばれる日が存在した。この日だけは昭和バスに乗って緑豊かな伊都キャンパス、ではなく、筑肥線と貝塚線を乗り継いで箱崎キャンパスへ赴き、専門課程を履修するのである。

 

学生たちは、地下鉄の一日乗車券を買うかどうかを毎週悩み、箱崎九大前駅の係員に姪浜からの乗車券を結局交換してもらい、歴史あふれる大講義室へ向かったものだった。

さて、私の通う法学部では毎週金曜日が箱日であった。そして、私には毎週の楽しみがあった。

 

文系の正門をくぐり、食堂を通り過ぎる。その向かいにある中講義室とため池の間の道を通って、入門授業が行われる大講義室に向かうのだが、私の足はため池横の喫煙スペースでよく止まっていた。丸太でできた椅子と机はキャンプ場にあるようなもので、喫煙スペースにしてはやや可愛らし過ぎるものであったが、頑丈な屋根もついていたと記憶する。

 

「飛鳥。」

 

いた。今日も会えた。Kさんという2個上の先輩の存在である。

このKさんは、わかりやすく言うととんでもなく顔がいい。スタイルもいい。頭の回転も速く、口もうまい。存在するだけでキラキラしたオーラが見えて、おまけに何だかいいにおいがする。知り合いの中で、いや今まで出会った人の中で、間違いなく1番のイケメンである。

存在そのものが浮世離れしたKさんは、きっと今まで世の女性たちを虜にしてきたのだが、私のことは妹のようにかわいがってくれた。買ったチョコレートにすら「毒が入ってるんじゃないの?」と言いつつ、毎回、喫煙所で一緒に食べてくれた。やや毒舌なところもあるが、そんなところも魅力的で、男の後輩にもたいへん慕われていた。そして、誰よりも優しい人だった。

 

そんなKさんは、線の細いイケメンにもかかわらず、男気にあふれており、また自分の信念をしっかり持った人だった。

 

「九大ウォーカー」をご存じだろうか。今は発行されているのかも知らないが、当時少しだけ九大生の中で話題になったフリーペーパーである。本当に少しだけである。中身は九大生の意識調査、スナップ写真、開発途中の伊都キャンパスの様子などだったと記憶してあるが、そこまで流行りはしなかった。あれば見る、程度のものである。

 

ここまで書くと、だいぶ失礼な気もした。いやいや、私は毎号楽しみにしていたよとフォローを入れさせていただく。

前置きは長くなったが、その九大ウォーカーの確か「美男美女特集」みたいな企画、Kさんはモデルのお願いをされていた。

 

「めんどくせえよな」

 

Kさんは煙草をふかしながらつぶやいた。その日のKさんは黄色のセーターに紺のコートを着ていたと記憶する。

素材が良すぎるので、何を着ても似合うし、おしゃれなんだろうなと私は思った。

 

「これなんか普段着だよ、テキトー」

 

わたしは、はぁ、そうですかと答えながらも、そんなテキトーな服装でもモデル撮影に行けるKさんはさすがだなあと、いつものように単純にあこがれていた。

 

「はぁ、貴重な時間を取られるのは、嫌だなあ」

 

そういいながらも、毎週のように私と無駄な時間を過ごしてくれるKさんは、やっぱり優しい人だな、と私は思った。撮影場所は理系地区にある中央図書館。カメラマンと1対1は嫌だから、ついてきてくれと言われた私は喜んでついていった。

 

「今日はよろしくお願いします!」

と一眼レフ?を首から下げ、気合の入ったカメラマンと図書館前で出会った。

 

「はい…」とKさんはかったるそうに返事をした。

 

そしてそのまま撮影が始まった。Kさんはだるそうに立っている。少し笑って、とカメラマンに促されても、愛想笑いとは程遠い、ただ口角を上げただけのような表情をして見せるだけだった。

パシャパシャ

撮影は続く。場所を変えたりもした。私は見ているのも楽しく、カメラマンの後ろから撮影されるKさんを眺めたり、「ちょっと見切れて掲載されたりして…」(されませんでした)と期待して、Kさんの斜め後ろに行ったり、それなりに楽しい時間を過ごした。一方で、撮影の終わる気配のしないカメラマンに、Kさんは苛立ちを感じ始めた。

 

「あの、もうよくないですか」

「いやいや、一番素敵な写真を掲載したいじゃないですか」

 

これに似たやり取りは3周くらい行われた。

そしてようやくカメラマンから「はい、ありがとうございました。」と終わりと労いの言葉を告げられ、私たちはその場をすぐに立ち去った。

 

あたりはまだまだ明るい。

そのあとの私の予定は、当時やや盛んにおこなわれていたクラスコンパ、終了後所属していたダンスサークルの練習会と、今思えばとても大学生でしかありえないスケジュールだった。

とはいうものの、Kさんとのこの時間はどちらにも代えがたい、貴重なものである。

「行こうぜ」

私たちは大学から国道に向かって歩み始めた。

校門から地下鉄までのただまっすぐの道のりをひたすら歩き、某クリスタルハイツを通り過ぎ、角を曲がり、国道の横断歩道を渡る。ドン・キホーテは今日もにぎやかだ。パチ屋も派手な広告を爆音で流している。無視して通り過ぎる。これが運命の出会いだった。

 

「株式会社あきんどスシロー」は主に「吟味・スシロー」のブランドで回転寿司をチェーン展開する、回転寿司業界の大手企業である。かつては「大阪回転寿司・あきんど」のブランドも有していた。持株会社の株式会社スシローグローバルホールディングスが東証一部に上場している。(ウィキペディアより引用)

 

私たちはテーブル席に座った。

そこで私はKさんに、どうして撮影中不機嫌だったのかを聞いた。

「だって、モデル頼まれたこともあるって言ってたじゃないですか、慣れてるんでしょう?」

「いやいや、明らかに撮り過ぎだったじゃん。1カットしか使わないのに、あんなに撮るなんてさ。それに、プロはやっぱうまいよ。撮られてて悪い気全くしない」

私は、自分の知らない世界がまだまだあるのだなあと、深くうなずいた。

 

「そんなことよりさ、何食べる?飛鳥は何か好きなものある?」

「私は、タコとか食べます。」

 

「俺はつぶ貝とか結構好きだけどね、食べてみる?」

 

その時初めて食べたおいしさ。どんなに感動したことか。

以降私がつぶ貝フリークになったことは言うまでもない。味、食感、しょうゆとの相性、どれをとっても最高だ、とその時本当に感じた。

 

以後5年間、いろんなことがあった。

いろんな友達と回転ずしに行くたびに、つぶ貝好きだねえと言ってもらったこと。

つぶ貝がメニューから突如消え、数か月間禁断症状に苦しんだこと。

つぶ貝という名のよくわからない食べ物を買って、食べ方がわからず、どうしようもなかったこと。

はま寿司、くら寿司、かっぱ寿司、それぞれで出されるつぶ貝そのものが全く違うこと。

すしざんまいで出されるつぶ貝は、大つぶ貝と言って、それもまた違うこと。

クリスマスぼっちで、つぶ貝とはまちといくらだけ、テイクアウトで好きなだけ食べたこと。

一人でも、カウンターで寿司屋に行けるようになったこと。

 

お寿司が大好きになったこと。

 

その原点がこの日だった。私は、心から感謝をしている。

こんなに胸を張って誰にも負けないくらい好きだ!と言えるものって、なかなかない。

人生の中でそんな生きがいに、自分を支えてくれる存在に出会えたこと。これは紛れない奇跡である。決して大ごとではない。

私よりもつぶ貝に理解がある人は、漁師さん、生鮮加工者の方、貝を研究されている方、Kさんくらいである。まあ結構いる。しかし、全国的に見てそこまで多くはないはずだ。

マイノリティーを気取るわけではない。しかし、旨いものはうまいのだ。

 

「へぇ、大学芋なんてあるんだ。」と、Kさんは言った。

おそらく野菜スティックをつくる器具でカットしたのだろう。細長い直方体を想像してほしい。

Kさんは恐ろしく整った顔ではにかんでこう言った。

「角材みたい。」