菊水町史を読んでいると
google mapに載っていない神社や史跡が多くあることに気付いた。
今回は町史を基にそれらの場所を回ることにした。
9/20
大分涼しくなったので1時に家を出る
とりま江田の諏訪神社へ
これは既にあったが何故か閉鎖になっていた
>原口諏訪神社から1654年9月16日に分霊・勧請されたとされる。
>祭礼は10月15日。
>神社本庁のデカい看板が2つあるので☆-2
参道手前にあるのは
子安地蔵尊
>右:弘化5(1848)年2月24日 建立
>左:安永元(1772)年正月 建立
>祭礼は10月24日とのこと
次に
江田城の東の山にあったという乙城と支城の小乙城
小乙城の場所が乙城で登録されており、乙城の場所は未登録だった
オレンジ色の直線のルートに登山道があるということで
高速をくぐって登り口まで向かう
かなり怪しい道を慎重に進むが
それらしい登り口は完全に獣道
今回は半袖装備だったので無理せずスルー
いつかMTBでも買った時に来たい
概略図 黄色:自転車で来た道 オレンジ:登山道
見やすいの
因みに乙城跡の場所には宮地嶽神社があるそうだ
参考:菊水の城跡マップ
下りも慎重に進み
途中、脇道に入ってみるが
舗装が途切れていたので引き返す
↓の左の〇辺りの所に
石の階段があったので登ってみる
上には祠が
立地的には東にある三宝寺跡薬師堂に関連するものだろうか?
西に江田城跡もあるが少し離れている気もするし・・・
ただ南西に続く道もあったのではっきりとは分からない
登りはまだ良かったが下りはかなり危険だった
下山し菊水小学校の横の交差点を通り
江田川を渡り右折
少し行ったら左折して鶯原(うぐいすばる)地域へ
鶯原菅原神社を通過して少し先まで坂を登ると平坦な道になる
すると左カーブになるのだが右手に小道があるのでそちらに入る
すぐ左折
右曲がってすぐ左
ちょっと怪しい感じだが大丈夫
ちゃんと舗装されているので進む
あった
日置部公墓碑(いっちょ墓)
>古代にこの一帯を治めた日置(へき)氏の墳墓。
>1794年に日置氏の名を墨書きした銅板が出土し埋め戻したと記録が残っているが明治15年に盗掘にあい行方不明となった。
>鹿児島の日置市はここの日置氏が移り住んだことが由来とされる。
>また、玉名の疋野神社も元々は日置氏の氏神として作られたものである。
>「ひき」の文字を変換すると「日置」が候補に挙がるので疋野神社も単純に「日置の神社」だったのかもしれない。
>江田船山古墳に埋葬されている豪族ももしかしたらこの日置氏かもしれない(妄想)。
>大まかな位置は分かっていたが正確な場所が分からず数年見つけられないでいたがやっと見つけることができた。
>畑の間の狭い道の先にあり道中に案内板もないのでgoogle mapの衛星図で予習して行かないとまずたどり着けないと思う。
>道自体は舗装されており行けるが狭いので徒歩か自転車で行くことをオススメする。
存在自体はかなり前から知っていたのだが場所を明記した資料が見つからずやっと見つけることができた。
ここを見つけれただけで今回の釣果としては十二分と言える。
再度北上し菊水IC近くの
原口諏訪神社へ向かう
>原口諏訪神社 信濃の諏訪より勧請している。
>勧請時期は拝殿の額には1358年、玉名郡村誌には1491年と異なっている。
>祭礼は10月5日。
>江田の諏訪神社は原口諏訪神社から勧請したもの。
>神社本庁のデカい看板が貼り付けてあり景観が損なわれているので☆-1
天井は絵でぎっしり
減点対象
横道を高速沿いに北上し
藤田菅原神社 へ
>玉名郡村誌に「村社。社地東西十八間一合、南北十間三合、面積三畝十六歩。
>村ノ東字栗山四百七十七ニアリ。菅原道真公ヲ祭ル。勧請年月日不詳。祭礼十月十九日。」
>とあるらしい(菊水町史より)。
>現在の祭礼は10月13日とのこと。
>境内には神武天皇さんと呼ばれる祠がある。
>元々、菊水ICの中央辺りにあったものをここに移したそうだ。
菅原神社名物 牛
奥が神武天皇さん?
高速をくぐって進むと鳥居があるので左折
前原菅原神社
>前原菅原神社。
>1668年、大宰府より勧請。
>敷地内に遊具もあり公園のようになっている。
横には薬師堂
菊池川沿いを北上し、下津原地区へ
民家の隣にひっそりとある参道を進むと
下津原竜王神社
>見落としやすいが民家の横に参道があるのでそこから入って10m程行くとある。
>きちんと舗装されており荒れてはいない。
>ご神体は榊の木のようだ。
>祭神は大国主命?
>1778年寄進の灯篭があるそうなので少なくともそれ以前からあると思われる。
少し進むと川の方に旗が見える
飛尾大明神社(ひのきさん)
>西にある竜王神社と同じく榊をご神体として祀る。
>ひのきさんは三十余丈の高さを誇り、夜毎に長く美しい尾をもつ神秘的な光を飛ばしたことから
>「飛尾大明神」と呼ばれるようになったとされる。
>「五穀豊穣天下泰平」「神威赫々輝六合」の幡が立っている。
>案内板によると、かつてはこの地にも木々が茂っていたようだが今は周囲に木はなくなっており、
>ひのきの樹勢も落ちていたようだ。
>まだ小さいが通りにずらっと桜の木が植えられており、数年後には桜も榊も大きくなっているだろう。
>暴風目的かネットまで張られておりとても大事にされている。
>玉名市の小代山の日嶽で検索すると、
>南北朝時代の頃に敵襲を菊池に知らせるための烽火リレーで
>この飛尾大明神社を経由して行っていたように書いてある。
榊
桜が一列に植えられている
菰田橋を渡り左折し少し進むと鳥居が見える
綺麗な参道だが
この先は落ち葉枯れ枝だらけ&激坂なので注意
ともあれ小高い丘を登ると
菰田金毘羅神社が見える
>金毘羅(こんぴら)神社 本山である香川県琴平の金毘羅宮より勧請したもの。
>祭神も大物主神と崇神天皇と同じ。
>菰田橋付近は江戸時代に水運の拠点として繁栄した場所で、その時期に勧請したものと考えられている。
>民謡「菰田の金毘羅さん」の歌詞↓
>1.菰田の金毘羅さんから眺むれば
>下を流るる菊池川 山鹿通いの船頭さん
>網に力をウントコドッコイショ
>2.菰田の金毘羅さんから眺むれば
>下を流るる菊池川 高瀬通いの船頭さん
>艪(ろ)に力をウントコドッコイショ
>3.菰田の金毘羅さんから眺むれば
>下を流るる菊池川 筏(いかだ)流しの船頭さん
>竿に力をウントコドッコイショ
>どこかに「内田手永菰田役船と金毘羅様の由来と随想」という由来を書いた額があるらしいが見つけきれなかった。
>場所としては小高い丘の上にある&結構荒れてるので登るのに少し苦労するかもしれない。
正面は獣道に近い
横道は舗装はされている分多少はマシ
文字数制限に引っかかったので前後編に分ける
https://ameblo.jp/dnishikawa/entry-12626990650.html