本日4回目の技術士二次試験を受けた。もはやライフワークの域に達してる感大なり。



 再現論文も全部書いて、やっと一杯。年に1桶しか仕込まない酒らしいので高かった。今日くらいいいでしょう。

 一次試験から早5年。毎年必死で勉強してるの二次試験はなかなか受からない。特に去年の不合格は本当に堪えた。その年は、歳甲斐もなく勉強のしすぎ(?)で血圧が上がり、眼底出血を患ってしまったからである。それでも発症したのが左目だったのは不幸中の幸いだった。右目だったら射撃人生を考え直さなきゃならないところだ。副次的効果としては、左目が効かなくなったおかげで、スキートのスコアはむしろ上がってしまったところでもある。

 

 その眼底出血を圧して受験した3回目がもっとも成績が悪く、仕事でも今年昇格の話があったがそれも叶わずというトリプルパンチをくらってしまつた。自分は技術士以前に技術者として文字通り「身」も心も出来損ないな気がして、本当に死にたいと思った。その年は会社で一発合格者が出た。本人は受験後合格した気がせず、再現論文すら書いてないのに面接まで突破した。大したものだ。地頭が違う。それにくらべて俺なんか…と、後ろ向きの気持ちを必死でこらえての今日の受験だった。司法試験じゃあるまいし、理性ではこんな事で自死なぞアホ以外の何者でもないとは思うけど、この道何十年メシを食ってきた身には、だからこそ輪をかけて堪えるものである。今までの知識経験と、まがりなりにも努力精進してきた事がまるで通用しないのだから。現にこの試験を薦めた当時の上司自身でさえなかなか受からなくて、結局諦めてしまった程だ。 もし僕が一発合格してたら、我が社の技術者は皆技術士持ちじゃないといかんね、なんて嫌なオッサンになってたかもしれません。

 まあ、ここまで辛酸をなめるととてもそんな心境にはなれない。そもそも技術士の称号はエバるためにあるのではない。この試験を受ける人はそれなりの経験を有するはずで、仕事が忙しかったり子供が小さかったり、病気をかかえていたりと、それぞれ大なり小なりの事情を乗り越えての受験のはず。あきらめずに何度も受験している人には、だからこそ敬意を払いたくなる。昨日受験した斜め左の見ず知らずの人の机にのこる大量の消しゴムカスをみたら、「戦友よ、一杯いこうか」と声をかけたくなった。

 
 それよりも何よりも気になったのは、欠席者がいつもの年より多く感じた事だ。今日本中災害で、被災した人は技術士試験どころではないし、災害対策で動員されて受験できない人も少なからずいたのではないかという気がする。そういう人たちも合格を目指して必死で努力精進してきたはずだろうし、もし今回の事で受験できなかったとしたら、その悔しさたるや筆舌に尽くし難いに違いない。めでたく僕が今回の試験に合格しても、願わくばそういう人たちにこそ合格を差し上げたいとすら思った。前回3度目の不合格で死ぬの死なないので思い悩んでいた自分が、いい歳こいて子供じみていた気がした。

 被災したり、被災地で業務に専念して技術士試験が受けられなかった方々には、今の経験は次回の技術士試験の業務経歴や面接では必ずや大きな武器になると確信する。僕なんかよりこういう人たちにこそ受かってほしい。それこそが国民経済の発展に資するという技術士法第一条に叶っている。


どうかがんばってほしい。