ここ何日か、デザインの仕事中には、サブマシンでYOU TUBEを開いている。
チベット蜂起、北京オリンピック、台湾の課題、領土侵犯、などなど
普段見られないTV番組の討論などを中心にお勉強しちゃっている訳だ。
で昨日から今日にかけては「人権擁護法案」自主集中講義。
PTAに行っても、区民会議に行っても、人権ってゆ~言葉のニュアンスがどうにも納得いかなかったのだが、こと人権擁護法案に関しては集中講義でよくわかった。
ところで自主集中講義の中で、学校行事における国旗掲揚・国歌斉唱は基本的人権に反するという訴訟が実際にあったと知る。
これはイデオロギーの問題ではなく、「公」のルール、マナーに関することを個人もしくは一部の団体が訴訟にあげるということ自体がナンセンスであると思ったのだ。
百歩譲って、在日外国人がアパートなどを借りる場合に、在日外国人だからという理由で断られることに対し訴訟を起こすのはわからなくもない。
この場合、提訴する側の全体が被害に遭っていると限定されるからだ。
だからその訴訟自体は有効であると考える。
しかし「公」のルールが当人の本意に反するからと言って、それを理由に訴訟を起こした場合、
訴訟を起こす側の集団は、当該事項において限定されないわけで、つまり「公」のルールが及ぶ範囲は、訴訟を起こした人物あるいは集団だけでなく、日本人全体である。
日本国民全員が同一に訴訟を起こすならともかく、一部の人間の感情だけで「公」のルールに対して訴訟するというのは、訴訟の基本的な要件を満たしていないじゃないか。
チベット蜂起、北京オリンピック、台湾の課題、領土侵犯、などなど
普段見られないTV番組の討論などを中心にお勉強しちゃっている訳だ。
で昨日から今日にかけては「人権擁護法案」自主集中講義。
PTAに行っても、区民会議に行っても、人権ってゆ~言葉のニュアンスがどうにも納得いかなかったのだが、こと人権擁護法案に関しては集中講義でよくわかった。
ところで自主集中講義の中で、学校行事における国旗掲揚・国歌斉唱は基本的人権に反するという訴訟が実際にあったと知る。
これはイデオロギーの問題ではなく、「公」のルール、マナーに関することを個人もしくは一部の団体が訴訟にあげるということ自体がナンセンスであると思ったのだ。
百歩譲って、在日外国人がアパートなどを借りる場合に、在日外国人だからという理由で断られることに対し訴訟を起こすのはわからなくもない。
この場合、提訴する側の全体が被害に遭っていると限定されるからだ。
だからその訴訟自体は有効であると考える。
しかし「公」のルールが当人の本意に反するからと言って、それを理由に訴訟を起こした場合、
訴訟を起こす側の集団は、当該事項において限定されないわけで、つまり「公」のルールが及ぶ範囲は、訴訟を起こした人物あるいは集団だけでなく、日本人全体である。
日本国民全員が同一に訴訟を起こすならともかく、一部の人間の感情だけで「公」のルールに対して訴訟するというのは、訴訟の基本的な要件を満たしていないじゃないか。