去年の今ごろ、あの一緒につわりで苦しんだ仲間妊婦さんが、今年は母になって、子どもとクリスマスを楽しんでいる様子をblogにUPされてますね。
私も、同じだったのにな。
どこで、ボタンをかけ間違えたのだろう。
でも、今までは、話しかける対象がなかったのが、いまは、
「そらちゃん」
と、話しかけられる。
それだけでも幸せだと思わないといけないのかなと思う。
一時期、受精卵のまま、死ぬまで置いておきたいと思っていたときがあり、私たちの赤ちゃんの元があの病院にあると思えるだけでも、気が楽だ。と、思っていました。
その夢は叶った。
昨日は、USJに行きましたので、そらちゃんに、私が、パークで遊んでいたおもちゃをあげました。
あと、母がくれたクリスマスプレゼントのチョコと。
光りかたが変わって、きれいなんです。
ミニオン。
そらちゃんの命日(流産手術日)が1月13日なのですが、4年前の1月14日が親戚のおじさん(アメリカに住んでるアメリカ人のおじさん)の命日だとわかりました。
小さい子どもを置いて、若くでなくなった●●さんが今ごろ、お空でそらちゃんを見つけて、遊んでくれているに違いないと思っています。
私の中では、そらちゃんは、少し成長していて、1~2才ぐらいのイメージです。