9月10日12:25

母が亡くなって15年が経った。

私が10歳の時に亡くなったが、15年の月日、1日たりとも母のことを思い返さなかった日は無い。昨日に晩御飯さえ忘れてしまうのに、人間とは不思議なものだ。

私の母を簡単に説明すると、とにかく優しい人ではあったが、間違いや約束を守らないとよく叱る人だった。おもちゃの片付けや、トイレを汚した際、友達と喧嘩したとか、、、よく優しい声で怒られていた記憶がある。

そして雨が嫌いな人だった。
晴れか曇りだと「今日は雨は降らないよ!」とクシャッとした笑顔で、よく笑っていたことを思い出す。

母の死は突然だった。

当時9歳の私はハムスターを飼っていた。
可愛くて仕方がなかった。しかしその頃から母が咳をし始めた。咳は治ることなく、半年近く続いていた。当時通っていた病院では「ただの風邪」と門前払いをされていたようだ。

原因が分からないまま時は過ぎ、ある病院で動物性のアレルギーと診断された。当時飼っていたハムスターが原因だと言われたのだ。
そこで、私以外の家族は飼っていたハムスターを知り合いに譲渡するという決断を下した。

しかし、私はハムスターを可愛がっていたあまり譲渡するということを反対してしまった。ハムスターが大好きだと、大事にしていると。

私のその言葉を聞いた時、母が泣き崩れてしまったことを今でも鮮明に覚えている。当時、母は私同様にハムスターを可愛がっていた。そのために譲渡することに対して悲しくて泣いていたんだと思っていた。

しかし、本当は母とハムスターを比べ、ハムスターを優先してしまった私の気持ちが悲しくて泣いてしまったんだと今だと思う。

結局家族の話の末、ハムスターは知り合いに譲渡することとなった。しかし、その後も母の咳は止まらない。不審に思った父が大きな病院へ母を連れて行った。 

母は父に連れていかれた大きな病院でレントゲンを撮った結果、肺が真っ白に染まっていた。

末期の肺がんだった。

母は即入院となった。7月14日のことだった。

そこから毎週母の入院先へ向かった。当時「死」というものがよく理解できていなかった私は入院先でも母に甘えたり、日々の生活のことを話して入院先でも入院前と同じように叱られたりしていた。

入院して1ヶ月経った頃、母が抗がん剤治療で髪が抜けると言い、それまで髪が長かった母がショートカットにした。それを見た私は「髪の長いお母さんがいい!」とわがままを言った。母はその翌週ロングヘアーのウィッグを用意し、「これでいつも通りだよ!」と笑っていた。当時の私はいつもの母が帰ってきたようでとにかく嬉しかったという感情だけだった。今思えば優しかった母らしい行動だなと思う。

入院中は、母に気を使う兄、母に気遣う母の両親と、日々暗い表情になっていく父を見ていく日々だった。「死」というものを理解できていない私は入院中でも何も考えずにただ母に甘えているだけだった。

そして、9月10日

その日は雨が降るという予報だったが、予報は外れ、雨が降らなかったため、私は公園に遊びに行こうと準備をしていた。

公園へ行くため自転車に跨った私は突然父に呼び止められ、急に母の入院先へ連れていかれた。普段は安全運転を第一にしている父が公道で80、いや、100キロ近く出して車を運転していたのを覚えている。当時9歳私でもただ事では無いなと思っていた。

着いた先には白い布を顔に被った母が居た。

9月10日12:25分永眠

入院先へ着いたのは12:35分。私は母との別れに間に合わなかった。
「ありがとう」の一言さえ伝えられなかった。


入院先へ着き、母の顔に白い布が被さっているのを見た瞬間から数日のことはショックのあまり覚えていない。













母の葬儀から数週間経った頃、母が家族へ残した手紙が見つかった。母は入院中に自分の命が長く無いことを知っていたのだろう。

手紙にはズラズラと家族に対する愛が語られていた。生前に口で言ってくれればよかったのに、と思ってしまうほど、直接言葉で言えてしまうようなようなありふれた愛の表現が、つづられていた。

その手紙の最後の1文にはこう書かれていた。

「光ある方向へ向かって」

母は最後の最後まで自分よりも家族のことを想ってくれていた。

父も、兄も、そして私もその手紙を読んで家族で泣いていたことを覚えている。そしてきっと家族全員にとって1番大切な言葉になっている。無論私にとってもだ。

その手紙の「光ある方向へ向かって」という言葉は母の墓石、そして私の体にも刻まれている。

母が亡くなって15年。長いようで本当に短かった。それだけ母が残してくれたものは大きかった。

いつか母がいるところへ行く前に、自分の好きなことをいっぱいしていこう、迷惑をいっぱいかけていこう、間違いを重ねていこうと思う。

いつかお母さんのいるところへ行ったとき、いつも通りの優しいお母さんに、また叱ってもらえるように悪い話を、たくさん用意しておくよ。

また、いつかきっと、あの時のまま、優しいあなたに叱ってもらえますように。

あなたの息子で良かったです。
本当にありがとう。

今年の9月10日も、雨は降らなかった。
クシャッとした笑顔で「今日は雨は降らないよ!」と笑う母のことを思い出した。