先週くらいから、急に秋らしくなりました。

朝晩は半袖では肌寒いけれど、

日中の車の中などは暑いくらいなので、

着るものが難しいです。


今朝は、窓を開けたら、秋の香りがしました。

キンモクセイの香りです。


木によって開花時期が少しずれるのでしょうね。

キンモクセイの香りを感じたのは、

この秋もう3回目くらいです。


秋になって涼しくなると、

体は楽になり、ホッとします。

反対に、気持ちはさみしく、悲しくなります。

ピークを過ぎ、衰退していく方向性。

そこが悲しいのでしょうか。





今、モーツァルトの幻想曲、

K475を練習しています。


モーツァルトの音楽には、

この秋の悲しさに近いものを感じます。


長調であっても、明るくなりきれない感じ。

何となく陰を想像してしまいます。


シューベルトや、シューマンにも、

同じようなものを感じることがあり、

ドイツやオーストリアの気候や、国民性、

それらの作曲家が生きた時代の雰囲気が

関係しているのかもしれません。


K475は、ハ短調の曲ですが、

モーツァルトらしく、

途中ころころと色あいが変わります。


曲は、大きく分けると、

5つの部分になるかと思いますが、

ひとつの部分の中でも、

意外な方に転調したりします。

当時としては斬新な音楽だったことでしょう。


昔、アマデウスという映画があり、

夢中になって見ましたが、

私にはとても目新しい切り口でした。


その中でも、モーツァルトが

時代の先を行く感じが描かれていたと思います。


子どもの私が練習したソナタなどは、

どれもきれいで、明るくて、

子どもの心に重なるような感覚があり、

モーツァルトは純粋で美しい音楽と

思っていました。


それが、この映画を見て、

確かに純粋な人ではあるけれど、

数々の苦悩があったこともわかったし、

その時代や、まわりの人たちの思惑やら、

いろいろなものがうずまいていることも

わかりました。


モーツァルトの陰の部分を、その映画の中で、

初めて見たのでした。


出典が何なのか忘れてしまったのですが、

モーツァルトが、

「僕の音楽のように、僕を愛してくれますか。」

と言ったという話を見たことがあります。


愛されたい想い、それも、無条件の愛。


子どもが育っていく時に、

親からの無条件の愛はとても大切です。

パートナーや友人関係でも同じです。

欠点も含めて、そのままを愛してもらえる。

それが、自己肯定の土台となります。


小さい頃から才能にあふれていたモーツァルト。

音楽を取っても、自分は愛されるのか?

いつも心が揺れ動いていたのかもしれません。


それで、曲の中に、

陰の音を忍ばせていったのかもしれません。


そういうことを思うと、

音数は少ないけれど、

とても深い音楽だなと思います。


この曲の一番最初のレッスンで、

冒頭の4小節について、

それぞれの音を同じように弾くべきではないと

教わりました。


ひとつひとつの音のキャラクターを考えて

弾き分けないといけないということです。



楽譜を見ただけだと、

初めの音はフォルテで大きくして、

そのあとはピアノで小さくとなりますが、

フォルテやピアノも、

今の音量の感覚とは違うようだし、

音量を調節するだけでなくて、

音程感も大切なのだと教わりました。


音程によって、

音のキャラクターが変わってくる。


これは、感覚の問題でもあり、

正解がないし、とても難しいけれど、

音程感を考えて弾いていくと、

光が当たっている音と、

影になっている音があるような気がしてきました。


同じ調の中でも、

光と影がころころと入れ替わります。


まるで、こもれびのよう。

葉っぱが風に揺れて、

明るいところと暗いところが、

揺れ動いているようです。


モーツァルトは

私にとって、こもれびの音楽でした。


さて、これをどうやって弾いていくか。

とても難しいなと思います。

でも、とても奥深くて、

練習が楽しみになりました。