私たちが日常で何気なく使っている「外国人」という言葉。この言葉には、私たちが気づかないうちに社会に与える影響や、潜在的な問題が隠れているかもしれない。30オーバーの私が感じるのは、若い世代が特にこうした言葉の持つ力を見直すことで、多様性をもっと自然に受け入れられる未来が作れるのではないか、ということ。
まず、「外国人」という言葉が作る無意識の境界線について考えてみる。この言葉を使うことで、「日本人」と「それ以外の人」という分断が生まれてしまうことがある。
「私たち」と「彼ら」といった区別が、何となく当たり前のように感じられてしまうし、それが、無意識のうちに他者を遠ざけたり、「違い」を強調する結果につながっていると感じることがすごく多い。
また、「外国人」という言葉には、多様な背景やアイデンティティをひとまとめにしてしまう側面もある。例えば、アメリカ出身の友人も、アフリカ出身の同僚も、韓国からの留学生も、みんな一括りに「外国人」と呼んでしまうことがある。でも、それぞれが持つ文化や経験は本当に豊かで、全然違うのがあたりまえだ。この一括りが、逆にその豊かさを見えにくくしてしまうことが多々あるのではないかなと思う今日この頃。
さらに、この言葉が差別につながるリスクも無視できない。例えば、ニュースや日常会話で「外国人」という属性が強調されることで、ステレオタイプや偏見が生まれやすくなる。特定の事件や問題が報じられる際に「外国人」という言葉が使われると、その背景や個々の事情が語られないまま、ネガティブな印象が広がることも。その結果、無意識のうちに「外国人」という言葉が偏見や差別の温床となる可能性が大いにあるし、そもそも「外国人」という単語は差別用語なのではないのかという疑問はぬぐえない。
その代わりに、どんな言葉を使えばいいのか。例えば、「海外出身の方」や「国際的な背景を持つ人々」という表現が考えられる。これらの言葉は、特定の個人や集団の多様性を尊重する意図を込めることができる。また、「アメリカ出身の〇〇さん」や「フランス育ちの△△さん」といった具体的な表現を使うことで、その人の個性や背景をより正確に伝えられる。このような言葉選びが、無意識の偏見を減らし、相手への理解を深める助けになるのではないか。
とはいえ、正直なところ「これがちょうどいい」という単語がまだ見つかっていないのも事実。「外国人」に代わる言葉を探してみても、全ての状況にフィットする表現を見つけるのは難しい。でも、だからこそ一緒に考えてみてほしい。例えば、どうすればその人の多様性や背景を尊重しつつ、過度に区別することなく表現できるのか。私一人では答えが出ない。誰かいいアイデアを持っていないだろうか。
メディアの中での使われ方も影響が大きい。例えば、事件の報道で「外国人」という属性が強調されると、否定的なイメージがつきやすくなる。一方で、スポーツやエンタメの分野では「外国人選手」「外国人アーティスト」と特別視されることも多くて、それがまた「違い」を強調する結果になってしまう。
そこに暗黙的に存在する「日本人」は特別というニュアンスを感じることもすごく多くて、なんだかモヤモヤする。
普段から使う言葉に気を遣っている、メディア界隈やマスコミ、芸能界の方々にも、是非意見を伺ってみたい。
じゃあ、どうすればいいのか。私たち一人ひとりができるのは、言葉の使い方を少し変えてみること。そして、その人自身の背景やストーリーに興味を持つことが大事だと思う。
多様性を当たり前に受け入れる社会って、特別なことをしなくても、こうした小さな行動から始まるんじゃないかと感じている。「外国人」という言葉を見直すことは、その第一歩かもしれない。
talk w 森ソームシャイー