なんとなく

「おべんとうばこのうた」を

口ずさんでいたら

気がつきました。



以下材料

○白米

○きざみしょうが、ごましお

○にんじん

○さくらんぼ

○しいたけ

○ごぼう

○れんこん

○ふき



「きざみしょうが」と「ごましお」は

白米の「おにぎり」にかける。

さくらんぼはデザートだろう。


そして残りの材料から察するに



「肉の無い煮物」



なのではないか。



軽く炒めて水と醤油と酒と味醂と砂糖、

落とし蓋をして煮込んだのだろう。





「おにぎり」と「煮物」と「さくらんぼ」。




ずいぶん渋いお弁当だな。




きっとお弁当箱を開けた子供は

がっかりしたはずだ。


おばあちゃんが作ったに違いない。





さてと



来週の月曜から忙しくなろう。


バタバタしよう。


そうしよう。


言葉とは人間の創りだした

説明形態に過ぎない。


数字もそうだ。


学者の方が、それらの不安定さや曖昧さを

ハッキリと理解している。


だからこそ彼らは、新しい何かを発見し

前に進む。


「全ての事象に始まりと終わりがあり

『無限』という概念は存在しない」

と言うが、


『生』を始まり、『死』を終わり

と決めつけるのもいかがなものか。

その問いにも、

曖昧な『言葉』では

明確な答えは出せない。


そもそも明確な答えなど

どこにもない。



「物事は極端にすればするほど

本質に近づく」



これは高校の頃からの自論だ。


言い換えれば、

不安定さや曖昧さを極端にすることで

それ自体が核心に近づく。


『言葉』そのものが曖昧とするならば、

それを極端に考える。



もし、人間に言葉がなかったら?



携帯電話やインターネットは

意味を消失する。

言葉が無ければ数字も存在しないので

経済も破綻する。

今の社会は機能を失うだろう。

そもそも社会なんていう

概念自体が消失するはずだ。


しかし、

それこそが生物の本質に近い状態なのだ。



それでも

人間はコミュニティーを作り、

新たな情報伝達手段を開発するのだろう。



なのだから、

『言葉』も自然に生まれた

生物の本質に他ならない。



うーん…ループ。



人は『言葉』を本質に近づけるために

もともと本質である

『音』や『視覚』と組み合わせる

のではないだろうか。


確かに曖昧な『言葉』でも、

世界を変えることはできる。




まぁ、言い換えれば、

『曖昧』や『不安定』こそが

この世界の本質なのかもしれない



ってことで。





よく着る服なのに、

いまさら気付いたっていうね。

買う時は念入りなのに

買ったら無頓着っていうね。




まぁ、そんなこんなで。


またまた公園からこんばんは。


今日は蚊に刺されない服装です。



あと何回この公園に来るのでしょうかね。


そう多くはないはず。


ありがとう○公園。

さようなら○公園。



まだ早いか。





ここランナーがいっぱいいるな。

俺…ランニングするっつって

初日で流血して終わったもんな…。

綺麗に転んだもんな…。

前転したもんな…。

手の平切ったもんな…。


テンション激下がりで

そのままやめたもんな…。



お茶飲んで

コーヒー飲んで

オロナミンC飲んで

お腹たぷたぷだしな。



どこからともなく口笛聞こえるな。




では、さらば。




てへ。