今日はプレ幼稚園、初登園日。




コロナの影響もあり、子ども集団の中で活動することがほとんどなかったため、新しい場所や慣れない場所に通うのは、初めは大変かと覚悟していたが、






※同じ園のプレプレ幼稚園クラスには去年通っていた。

その時から少し行くのは嫌そうだった。






想定外に、泣き叫んだ。







駐輪場に自転車を停める時点で、







お寿司食べに行く!

お寿司食べに行きたくなっちゃった!




と、何故か目的地を変更しようとしてきたり、



園の入り口に入ろうとしなかったり、





あーーーーー、これは嫌がってるな、





という感じだった。








なだめつつ、教室まで行くと、靴を脱ぐことを拒否。







帰る、帰る、と泣き始め、







しばらく大号泣していました。









他の子が遊んでいる間も終始大号泣。







先生が別室に連れて行ってくれて、少し落ち着いて帰ってきたが、






親は見ているだけで声かけなどはせず、なるべく目を合わせたり、手を振ったりしない、という決まりの中、







パパにべったりくっついて、先生と遊んでいた。






その後、やはり繰り返し泣いては泣き止みを繰り返し、外遊びタイムに。







外に出ても、しばらくはパパの手を掴んでいたが、先生が、カメを見せてくれたり、滑り台に誘ってくれて、






1時間半の保育時間の、終了30分前にようやく、父の元から離れ、遊びに行った。







その後は楽しく過ごせたようで、先生方には頭が上がらない。







私は普段小学校教諭として勤めているが、※現在育休中


小学校でもやはり、分離不安が表出して、玄関先で泣き叫ぶ子は一定数いる。







ただ、我が子がその状況だと、教師としてどう対処しようか思案しているのとは、全く違った角度で、その現象を見ることになった。














我が子が、その真っ只中にいる場合、その矛先がどうしても我が子や自分自身に対して向いてしまう。










ある程度の年齢までは、分離不安が行動表出することがあることは頭では理解しているが、










あまりに泣くので、可哀想だから、今日は家に引き返そうか、とか






でも、甘やかしすぎて、今後社会に適応できなくなってしまうのでは、とか、






先生や他の保護者に迷惑をかけてしまい申し訳ない、とか、






そういう現象にある程度、耐性がある自分自身でも、そんなふうに朧げながら、考えてしまうのであった。








今日は結果的に、先生が上手に対応してくださったが、今後も繰り返したり、もっと強く不安が表出するかもしれない。






また、長い目で見た時、ある程度、年齢を重ねていったとしても、集団不適応の状態にあったり、多くの配慮を要する特性が、顕著に現れることだってあるのかもしれない。









でも、それらも、愛する我が子の愛おしい個性や人格の一部なのだ。








それが、誰にどんな風に理解されようとも、どんなことを言われようとも、今後の彼の人生を豊かにする選択を一緒に考えていきたいと強く思った。







そして、この実感が、教師としての自分自身も成熟させてくれるのだと思う。