牛嶋はかつて『赤井克己のおかやま歴史ノート』で赤井克己さんにこの話を聴いて、誕生寺まで振袖を見に来たことがありました。まずは牛嶋が赤井さんから聴いた話をすると・・・江戸時代260年の間、大火は3年に1度、小火(ぼや)は1週間に1度の割合で発生したそうです。木造家屋が狭い路地にひしめくように建てられていたので、ひとたび火事になるとたちまち燃え広がったとの事。江戸最大の火事は、明暦3(1657)年1月に起こりました。本郷から出火、折からの強風にあおられて、2日間にわたって江戸の中心部をほとんど焼き尽くし、焼死者11万人の大惨事となったそうです。江戸城天守閣を焼失したのもこの時とか。この明暦の大火から25年後の天和2(1682)年12月にも大火事があり、死者3,500人といわれました。この天和大火の被災者に、本郷駒込で八百屋を営むお七一家もいました。八百屋とはいえ、加賀前田家御用達をつとめる大店(おおだな)で、お七は箱入り娘。一家は避難先の小石川の園乗寺(正仙院、吉祥寺などの説もある)で暮らしていましたが、お七は寺の美貌の僧と恋仲になったそうです。まもなく、再建された家に戻りましたが、お七は男性が忘れられない日々。『もう一度火事になれば、恋しい人に逢える』と一途に思い込み、翌年3月自宅に放火。これは小火ですみましたが、お七は捕らえられ奉行所で裁かれる身に。当時の掟としては、放火犯は火あぶりの極刑。ただし15歳以下は、罪一等減じて島流し。お七は16歳になったばかりだったそうです。奉行は世間知らずで純情なお七を不憫に思い『お前は15歳であろう。間違いないな』と誘導尋問をするが、お七は『16歳です』とかたくなに主張。奉行はやむなく火あぶりの極刑を言い渡し、お七は裸馬に乗せられ、市中引き回しの上、鈴ヶ森で処刑されたという話でした。当時の人気作家・井原西鶴は『好色五人女』でお七を取り上げ、歌舞伎で上演したところ大人気!『お七火事』は江戸の町民の間に定着しました。浄瑠璃でも『八百屋お七恋緋桜』としてお七の純情さが女性に人気を呼んだそうです。明治、大正では岡本綺堂、真山青果などの劇作家も手がけ、近年では有名演歌歌手もお七の悲恋を歌っていたとの事。以上が赤井さんから伺った話でした。
小説などの『読むお七』、落語などの『語るお七』では、お七は恋人に会いたいために放火をしますが、歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)、日本舞踊、浮世絵などの『見せるお七』ではお七は放火はせず、代わりに恋人の危機を救うために振袖姿で火の見櫓に登り火事の知らせの半鐘、もしくは太鼓を打つストーリーに変更されているそうです。
ちなみに、火事でないのに火の見櫓の半鐘・太鼓を打つことも重罪であるとの事。
ちなみに、火事でないのに火の見櫓の半鐘・太鼓を打つことも重罪であるとの事。
では、誕生寺になぜお七の振袖と位牌が?
その伝説は、現在の本堂が元禄8年に再建された後、ご本尊である圓光大師(えんこうだいし。法然上人)像が江戸の増上寺(ぞうじょうじ)に7回出開帳(でがいちょう)した記録が残っているそうです。
その伝説は、現在の本堂が元禄8年に再建された後、ご本尊である圓光大師(えんこうだいし。法然上人)像が江戸の増上寺(ぞうじょうじ)に7回出開帳(でがいちょう)した記録が残っているそうです。
その折に、同行していた通譽上人(つうよしょうにん)にお七のご遺族が『お七の件で家族まで罰せられる事はなかったが、それより辛い江戸でお七の供養は御法度であるとのおふれが出た。お七の為にも誕生寺で供養してほしい』との願いから預かって来たと伝わるとの事。へーっ!!
当初は観音堂の観音さんの前で供養していたので、誕生寺の観音堂の観音様を『お七観音』と呼ぶようになったとか。
願い多き人間だからこそ1つでもかなえてやろうという観音さま、特にお七にあやかり、恋に効く?とのことです。
願い多き人間だからこそ1つでもかなえてやろうという観音さま、特にお七にあやかり、恋に効く?とのことです。
牛嶋が赤井さんに聴いた話を再びすると・・・吉三郎はお七の分骨を持って供養の旅に。諸国行脚をした後、最後にお七の位牌と振袖が納められている誕生寺にたどり着いて念願の供養をした。この後、岡山を目指して南下するが、現在の岡山市御津吉尾まできた時、力つきたのか倒れ、そのまま同所の仏生山法道寺で死亡したとの事。そのいきさつを知った土地の人々は、吉三郎を哀れんで近くの丘に葬り、合わせてお七の骨も一緒に埋葬、墓も並べてつくり供養するようになったそうです。ちなみに2人の墓は現在、トタン板の小屋の中にあり、お七の墓はなぜか三角形。小屋には『八百屋お七』の大きな看板がかけられているとか。
なお、誕生寺の年間行事を紹介すると、今年は2月28日(日)の午後2時から行われる法然上人御忌(ぎょき)と人形供養。御忌(ぎょき)とは法然上人のご命日。
なんと!取材日の1月25日が正式な命日で、誕生寺では1ヶ月後に法要を行っているそうです。
なんと!取材日の1月25日が正式な命日で、誕生寺では1ヶ月後に法要を行っているそうです。
そして、二十五菩薩練供養(お会式【えしき】大法要)。これは法然上人の御両親供養のための法要。お父さんとお母さんを毎年交互にご供養し、今年はお母さん(秦氏君【はたうじぎみ】)の供養。当日は25体の菩薩様が300m先の娑婆堂(しゃばどう)まで練り歩くそうです。
PHOTO BY “あやしい” TETSUHIRO YAMADA
さぁ、全国のオマケファンのみなさん、こんにちは!
楽しい楽しい
オマケの時間です。
さて、今週も忙しく仕事をしていたてっちゃん。
さぁ、全国のオマケファンのみなさん、こんにちは!
楽しい楽しい
オマケの時間です。
さて、今週も忙しく仕事をしていたてっちゃん。
そんな中・・・
こんな写真を入手。
なにしてんの???
ヨガ!とのことだが・・・
新しいお祈りか??
きっと、てっちゃんが信仰している”ブラック教”の祈りに違いない(笑)。
ここから全国の信者に念を送っていたのかも(笑)。
そして・・・
おっ!!
そして、こんな格好も・・・
ご存知!!
マスク!!
なんだか凄くもっこりしてますなぁ~(笑)。
なんで、こんなにもっこりなんだろう(笑)?
ん?
こ、これは・・・
ブラックマスクだ!!
いや、実は・・・
ブラックに見えてグレーなんだそうだ。
へーっ。
黒の方がいいのになぁ~。
よしっ!!
今度、黒いマスクを探して、てっちゃんにプレゼントするかな??
えーっと・・・
あった!
これをいつか贈ろう!
で、被ってもらおう!!
さて、話は戻るが・・・
これが、てっちゃんのしていたマスクらしい。
PITTA MASK?
MOKKORI MASKではないのか(笑)。
まぁ、いいや。
あれ?
なんと!この写真・・・
マスクの後ろに女性の顔が映っている!!!
こ、これは・・・
心霊写真だ!
もしかしたら・・・
あの子か・・・
てっちゃんのプライベートに関わる事なので・・・
これ以上はやめておきます。
てっちゃ~ん!
俺が発見したから、あの子の話はここで終わって、拡散すまずに済んだけど・・・(笑)。
気をつけんと~(笑)。
以上、今週のオマケでした。