佐原敏剛文学塾 -2ページ目

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

 今日、ふと思い立って前々から頭にあった高校時代に解らなくなった生物を初めとする殆ど全ての科目を独学で勉強しようとまず、山川出版社の世界史と日本史の教科書を取り寄せることにした。暫く午前中は歴史の勉強をし、午後は漱石を読み、夜は聖書を読むことにする。私は理数系が不得手で生物で一年生の時初めて赤点を取った。五十の手習いである。一通りやり終わったら放送大学で勉強しようと思う。生活保護でも何とか学費は支払えると思う。放送大学はとにかく安い。

 漱石を読む時間は徐々に短くし、歴史以外の科目も勉強することにする。午前中いっぱいは寝て過ごしてしまうのは、目的が無いからだと思う。放送大学はインターネットで受講する。テレビでの受講は衛星放送のアンテナがうちのアパートには付けられないので無理だ。教科書も決して安くはない。その上に参考書を買っていたらお金がどんどんなくなる。

 しかしその分一切贅沢をせず、遊びで金を使ったりしなければ何とか生活していける。世界史と日本史の教科書は明日届く。この上小説を書いていたら相当に忙しい。勿論障害者枠で働けるよう早く病気を治したい。働きながら放送大学で学ぶことは可能だと思う。後は自炊をしてお金を出来るだけ節約する。酒も飲まない。

 生物、化学、地学、数学Ⅰ、数学A、数学Ⅱ数学Ⅲ、英語、現代国語、古文、漢文、公共、地理、全部を一時間ずつ時間を充てて土曜も日曜も休日もなく勉強し続ける。恐ろしく強固な意志が要る。だが、私はやれると信じたい。教科書代だけでも高いのに参考書、問題集なども買っていたら、もしトイレの床を張り替えることになった場合、二十万以上も一括で払えないかもしれない。高校生がやる勉強なのだから本来そんなに難しい訳がない。私はこうと決めたらとことんやる性格である。使える手段を使い尽くして勉強する。英語の勉強にはインターネットが役に立つ。金子書房の『英文法解説』も買って読む。夏も終わり、勉強を始めるにはいい季節だ。高校時代使っていた桐原書店の『高校新基礎英語』は在学中には理解が出来なかったのに二十歳で入院して二年間の入院期間中に独学で勉強し始めたら楽に理解できた。とにかく学校という所が私には向いていない。明日、午後に教科書が届く。早速勉強を始めるつもりだ。

 

 

何もやる気になれないので心遣りにブログを更新することにした。今年に入ってから漱石の小説は五冊読んだが、『倫敦塔・幻影の盾』を読み始めてからは読むスピードが極端に落ちた。今日の夕食はコンビニのお弁当にした。今日は風呂へ入る。統合失調症の陰性症状が出ていると思われる。食欲だったらあるし、酒も飲めるが、夢中になって読書に耽るとか映画を観るということは少なくなった。音楽も同様である。

 過敏性腸症候群が良くなれば、刺身や生卵も食べられるし、遠出も出来るようになるが、今の私は行動半径が極端に小さくなっている。去年の四月から去年の暮れにかけて、私はハードボイルド小説を中心に十四冊ほど読んだ。今年になってから純文学を読もうと思い、漱石の小説を読み始めた。しかし、漱石の小説は語彙が多く、地の文も多いので読むのに苦痛を伴う。そこで大藪春彦の伊達邦彦シリーズの『野獣は、死なず』を読んでみたのだが興が乗らない。

 今書き始めたこの文章も気晴らしのつもりで書き始めたが、早くも書くのが苦痛になってきた。どうすれば若さを維持する事が出来るのだろう。エナジードリンクを飲んだ。少しは元気が出た。エアロスミスの『ロックス』を聴きながら書いている。思えば、ウイスキーのポケットボトルを持ち歩き、瓶から直接ストレートで一口飲むなんてことをやっていたから過敏性腸症候群になったのかもしれない。他にもコーヒーを飲み過ぎたことがある。明日は用事があって出かける。今日はこの辺でやめておこう。

 

 

 暫くの間、小説を書くゆとりは無いだろう。食事を作って片付けるのが大変で、そうでなくても強迫性障害の症状は襲ってくる。さっき、スマートフォンで松田優作主演の映画『野獣死すべし』の一部を観ていた。朝から体調が悪くてしんどかったが、それを観て楽になれた。小説を書こうとは思うのだが、何故か書けない。『吾輩は猫である』を書店に取り寄せて貰って読み始めた。小説を書くことの本当の難しさを感じている。もう疲れてきた。キッスの『リック・イット・アップ』を景気づけにかけてみた。これをレコードで買ったのは十八歳の頃か。歌詞は相当際どい。エアロスミスのCDもまた買い揃える必要があるかもしれない。特にファーストアルバムと『ドロー・ザ・ライン』はいつでも聴けるように手元に置きたい。

 大沢在昌はこの間『感傷の街角』を読了した。今、音が飛んだ。CDが悪いのかCDラジカセが悪いのか。一旦止めてからCDの裏を軽くティッシュペーパーで拭いた。そろそろ五十六歳になる。今年は漱石を集中して読もうと思っている。大沢在昌の『毒猿』をちょっと読み返している。大沢在昌は中央線沿線をよく舞台として登場させる。私は三十歳の頃から杉並区阿佐ヶ谷で独り暮らしをしていた。その前は荻窪で、二つとも中央線である。後にアパートを借りることになった新高円寺も作品中に出てくる。もう一つの主要な舞台は六本木で、私は六本木には行ったことがない。ただ、ボード工の見習いとして六本木のミッドタウンの現場へは行ったことがある。

 『毒猿』の中で鮫島は三十六歳という設定になっている。ハードボイルドの主人公は三十代で登場する人物が多い。経験も積み、文章の勉強もやって技巧もそろそろ覚え始める。その上、まだまだ若いと来る。今も新宿鮫シリーズは書き継がれているが、鮫島は今、何歳なのだろう。小説の主人公は屡々、年を取らない。CDを掃除したら音が飛ぶことはなくなった。『毒猿』はシリーズ中でも傑作とされているが、その暴力描写の過激さに拒否反応があった。たまには街で飲むのもいいか。コロナが恐いのとただでさえ過敏性腸症候群だということもあり、それに強迫性障害の症状も出ると、街で飲むのはコロナがなくても危険である。

 何よりも若さとエネルギーが肝心だ。この際だから新宿の紀伊国屋へ電話で注文してアパートまでエアロスミスを配達してもらおう。竹内まりやのベスト盤も欲しい。中央線沿線にスポットが当てられているのは、大沢が名古屋出身で、それほど東京の街を知らないからだろう。東京は何でも大きい。超高層ビルを初めとして書店、バー、風俗店、何でもかんでもとにかく大きい。私は東京の田舎で生まれ育っていて、小学生の時からたまに自転車で行っていた立川が一番身近な都会であった。その立川にすら、今は下痢があって行くことが難しい。DVDプレイヤーもそろそろ買い替える。明後日は退院してから三年九か月が経つ。宅配ピザを食べて一か月に一度のお祝いをする。多分、『ドロー・ザ・ライン』は私に何かを書かせるだろう。

 どうも文字が小さくなるのは今使っているノートパソコンだと自分のブログだけではなく、他の人のブログやホームページでも同じことであるようだ。何とも弱ったことである。読みにくくて仕方がない。今日は退院してからちょうど三年八か月が経つので夕食は宅配ピザにする。このパソコンで文字を大きくできないか、Dynabookの電話サポートへ相談してみるが、多分文字のサイズは変えられないだろう。Lサイズにすると今度は大きくなり過ぎる。前に使っていたレノボのパソコンではちょうどいいサイズで文字が読み書き出来たと思う。価格はそのレノボのノートパソコンより今のDynabookのノートパソコンの方が倍以上である。

 来週はクリスマス・イブだが、コンビニでケーキとローストチキンを買って食べるぐらいしかやることがないと思う。過敏性腸症候群で外出は必要最小限に止めていて、このコロナ禍の中ではそうでなくても繁華街は避けなければならない。その過敏性腸症候群とも二年三か月ほどの付き合いになる。症状は良くなることもあるが悪くなることもある。病院へ行かなくてはならない時が辛い。それに必要なものを買いに行く時がきつい。

 食べることと寝ることぐらいしか楽しみがない。今の世の中は複雑になり過ぎて私のような年配者には付いていけなくなっているように思う。家で安静にしている分には症状も出にくいし、楽である。しかし外へ出ると下痢が心配であり、強迫性障害の症状が頻繁に出る。今のところ下痢と強迫性障害の症状が一番きつい。統合失調症の症状には言うことにまとまりがなくなり、しまいに自分でも何を言っているのか解らなくなることがあるというのがあり、人が話していることが理解できなくなるという症状もある。ものを書く時にも、特に小説を書くときに前後で書いていることに矛盾が生じたりする。それに文章そのものが解りにくくなる。

 そんな私も来年二月末には五十六歳になる。還暦の一歩手前だ。還暦ともなると亡くなる人も増えてくる。残された時間は限られている。しかし

 

 

過敏性腸症候群と強迫性障害の症状が消えない限り、就職は難しいと思う。それが障害者枠であっても難しいだろう。障害者枠は障害者枠でかなりきついのは分かる。就労移行支援A型というのも相当にきつい。私の場合、広汎性発達障害という診断もされており、何とか人とコミニュケーションはとれるが、ちょっと難しいニュースの内容になると理解できない。私は三十歳でアパートで独り暮らしを始めてからテレビを部屋に置かなかった。十年以上テレビを碌に見ていなかった。そのせいで世の中に付いていけなくなっているのかもしれない。そうこうしているうちに三時になる。明日から退院後三年九か月めを目指して頑張ろうと思う。またちょっと位置がおかしくなったが精神科医樺沢さんの動画を上げておく。彼は私と同学年である。

 私は広汎性発達障害だが、それは生まれつきである。私の母親は私がまだ幼かった頃、私の名前を呼んでも振り返らなかったという。発達障害の人は興味関心が一つのものに集中するため、その一つだけが飛びぬけて優れている場合があるという。私にとってそれは小説で、中でもハードボイルド小説だったということになるだろう。勿論プロにはなれないが。他は一切合切、駄目である。そのハードボイルド小説も書けなくなった。

 今の文壇は高齢化が進んでいると大沢在昌は言っているが、もう、おいそれと夢が見られない時代になっているのかも知れない。純文学を書いても作文的なものしか書けない。テレビドラマも面白くないものばかりになった。現代社会は豊かになり、よほどの不幸がない限り、人々は欲しいものを手に入れ、贅沢な暮らしをしている。私の子供時代はまだ経済格差はあったが、今の日本では下層民である私でもそれなりに自由が利く。しかし、経済的豊かさを手に入れると夢が萎えるのだろうか。苦労してスターになる人物が少なくなった。

 私は社会的不適応だから仕事は単純労働なら得意だが臨機応変に立ち回る仕事は苦手だ。小説を書くのは単純作業かというと、最近AIがショートショートを書いて賞を取るなど、チャンドラーが「私は一つの情景が頭に浮かぶとそれを機械的に発展させる」と言っているように、確かに単純な側面があると思う。

 問題はその情景が頭に浮かぶかで、小説の書き出しはその観点から見ると頗る重要なものに思われてくる。私は十八歳の夏にハードボイルドの書き出しのアクションシーンを書くことが一度だけだったが出来た。それからかなり間をおいて一作書き、さらに間隔を置いて二作目を書いた。ネット小説の『風の描く虎狼』では探偵がスカイラインに乗って探偵事務所に向かう所から始めた。ロバート・ミッチャムの『大いなる眠り』でもミッチャムが車で大富豪のスターンウッド将軍の邸宅まで車を走らせる場面から幕が開く。

 AIは書き出しの部分をインプットしないと小説は書けないという。言うまでもなく書き出しの次にはすぐにまた場面が切り替わる。その発想の柔軟さが書き手には求められる。私が意識するのは物語の歯車がぴたりと合う瞬間があり、それが嚙み合うと物語全体が動き始める。カチッと音がして歯車が合う瞬間がある。

 また、発想を得るにはジャンプして鉄棒にぶら下がるような跳躍力も必要だ。それがないと物語は平板になる。チャンドラーの書き方は職人的で、しかしその遅筆さから見ても天才的な書き方であったと言えると思う。そして着地である。推理小説であるからにはトリックがなければならない。私はそのトリックの案出が苦手で、着地も上手くいかなかった。もう一つ、取材の重要さがある。杉並区に住んでいた私は杉並区内にある善福寺公園でボートに乗り、仰向けに横たわって、殺し屋と探偵の格闘シーンを思いついた。実際にそんな格闘が出来るかどうかは問題ではない。いかにも出来そうな風に書けばいいのだ。それに創作ノートの重要さだ。思いついたアイディアをすぐに書き留められるように小型でズボンのポケットに入る位のノートを持ち歩く。

 

 

 

三十四歳の時、私はハードボイルドファンが集まる『レイモンド・チャンドラーの世界』の管理人さんに小説を書いて彼のホームページに不定期連載しませんかと誘われた。当時の私にはまるでそんな自信はなかった。しかし、参考のために何冊かの本を選んで読み、漸く書く気になった。最初は三十枚書ければ良い方だと思っていた。それが二百八十枚の長編になった。今こうして振り返ってみているのはそれが重要だと思うからだ。スランプの原因は何なのか。年は言い訳にならない。何とか小説を書けるようになりたい。動画をアップしようとしたら変なところにアップされてしまった。このテレビドラマだったかロバート・ミッチャム主演の『大いなる眠り』は私が中学一年の時に制作されている。日本でいじめがエスカレートしていた。アメリカでもそうであったのだろう。私は負けるわけにはいかないのだ。

 ブログデザインを変えたら、文字がやや大きくなった。Lサイズだと太くなりすぎて却って読みにくい。暫く標準サイズで投稿してみようかと思う。

 アメーバヘルプに問い合わせて、ブログ全体の文字を大きくできないか訊いた所、それは出来ないということだった。しかし、以前書いていたより明らかに文字の大きさが小さくなっている。標準ではなくLサイズにしないと読みにくくて仕方がない。何かの手違いでこうなったとしか考えられない。せっかく書いて来たのにこれでは今までの努力が水の泡だ。まあ努力というよりは気晴らしに書いているのだが、それでも勿体ない。

 今日はいい天気で気持ちは上向いている。ダイナブックのサポートセンターへも電話してディフェンダーを使えるようにパソコンの操作を遠隔で助けてもらった。しかし、まだウイルスバスターの体験版の期限が切れていないので、期限が切れてからディフェンダーを使えるようにした方がいいと言われ、今日はディフェンダーはそのままにしておいた。毎日レトルト食品ばかり食べているせいか、元気が出ず、ブログを書くのも気乗りがしない。

 アメーバヘルプには明らかに以前書いていた文章が小さくなっていることを訴えた。回答は同じになるかもしれないが、何かがおかしい。他の人のブログを見ると文字が大きくなっている。小さいのは私だけだ。入院しなければ駄目かという所まで私は追い詰められている。前回退院してから三年半以上が経った。

 その間、主治医からは「佐原さんの場合は入院しないで済んでいるところが凄いと思うので」と言われるほどぎりぎりの状況だった。三年半以上退院してから経っていれば上出来とも言えると私は思う。しかし、入院するとしてもせいぜい二か月か三か月で退院しないと、生活保護が入院基準になり、自由になるお金が減る。それにパソコンのプリンターを一か月使っていないと用紙がプリンターに溜まった埃の為に印刷されずに出てくることがあるようになる。

 二週間に一度は外泊してプリンターを使って印刷する必要がある。消火器内科や呼吸器科へも通わなければならない。私の人生は何のためにあったろう。考えても仕方のないことだ。なるようにしかならない。

 何故だか小説が書けなくなっている。一時期は読むことも出来なくなっていた。虚構の物語が書けなくなっているのだから、私小説的、或いは自伝的な作品を書かざるを得ない。もう、若かった頃の感受性の鋭さはない。私小説的、自伝的な作品だったら辛うじて書けるというだけで、書くのが非常に難しくなっている。それにブログを書いている時に時々、句点が抜けることがある。スマートフォンでもそうなのだが、薬の副作用で注意力が低下しているのか。今のところWordで小説を書いていて、句点が抜けることはない。今日は朝四時に起きた。食事は済ませ、歯も磨いた。後片付けも済ませた。

 最近テレビのニュースを見るのが苦痛になってきた。天気予報だけは見るが、近頃のニュース番組は昔と違う気がする。音楽も昔買ったCDは聴いても面白くない。映画のDVDなら『砂の器』は良かったし、『人間の証明』も良かったと思う。しかし、レンタルDVD屋は遠くてなかなか行く気になれない。それにテレビが壊れかかっているし、DVDプレイヤーも不良品を買わされた可能性がある。何もかもに飽きる中で食欲だけはある。恋もするにはする。ただ頭のてっぺんから足のつま先まで女性を好きになるということは無くなった気がする。

 朝四時に起きたはいいが少し眠気がある。体がだるい。今日は書くことがあまりない。昼間は起きていなければならない。書くのが辛くなってきた。この辺でやめることにする。エアロスミスの『メイク・イット』をアップしておく。

 

 

いや、やっぱり文字を大きくして投稿したら過去に書いた文章が極端に小さくなってしまったようだ。どういうことなのだろう。

アメーバヘルプに問い合わせたところ、文字の大きさは大きくできた。しかし、これまで書いて来た全てのブログの文章を大きくできないか、再度問い合わせをした。ノートパソコンにしたら文字が小さすぎるようになった。Wordは文字の大きさが書いている時は小さいが、プリントアウトすると大きくなる。最初のうち文字の小ささは気にならなかったが、或いは途中から小さくなったのかもしれない。しかし、アメーバヘルプに問い合わせて問題解決できたのだから、パソコン音痴の私は一歩も二歩も前進したことになる。返事が来るまで一日はかからなかった。流石に過去のブログの文章を一遍に大きくすることは出来ないかもしれない。それでも訊いておく価値はある。今日は四時に起きてこの文章を書いている。もう五時だ。ブログの文字が途中から小さくなってしまったのでどうしたらいいか訊いたのだが、該当箇所を範囲選択して大きくすることは可能でしょうか?との返事だったのでその通りにしたら上手くいった。昨日の夕方アメーバヘルプに問い合わせて、朝の四時にメールをチェックしたら返事が来ていた。ヘルプを使ったのは初めてで、見事成功した。自信がついた。これから一つ一つ問題を解決していくことになるだろう。そろそろ朝食を作る。今日のように朝から目覚めがいい日は珍しい。『サウンド・オブ・サイレンス』をアップしておく。この時間帯にはいい。