医者にかかるということは、自分では対処できない心身の不調や異常の治療を、医者に任せるということである。
自分では対処出来ないから、専門家である医師に頼るのである。
それぞれの医師は、その性格はともかくとして、不正な方法で医師免許を取得したり、医師免許がないのに医療行為をしている偽医者でなければ、一応国家試験に合格したプロと言っていい。
但し、医者は神ではない。
ゴッド・ハンド(神の手)を持つ、凄い技術を持った有名な医師もいるが、その他の医師は国家試験を合格したというだけの存在に過ぎない。
その知見は様々で、クランケに寄り添う態度も実に様々である。
自分が病気になった時に、医者にかかるのは、慎重にも慎重を重ねて、医師選びをしなければ後々後悔することにもなりかねない。
それほど、医師の選定は、自分の人生を左右する程の重大事なのである。
未熟な医師、不心得者の医者にかかったばかりに、誤診されたり、処置を間違えられて命を落とすケ━スがあるからである。
自分がそのケ━スに当てはまらないためにも、さまざまな知識をあらかじめ頭に入れておく必要がある。
不勉強な医師もいる。
昔取得した医師免許を使って、医学や薬剤が日進月歩の発展を遂げている現代社会に於いても、旧態依然とした治療方法や薬剤に依存している時代に取り残されたまま、医療行為を続けている医者もいる。
大抵の医者は、それが精神的な病いであれ、身体的な病いであれ、治療に際してクランケに必要な薬剤を選んで薬剤を処方する。
患者の話を聴いて、どんな診断を下すのかも重要だが、どんな薬剤を投与するのかも非常に重要である。
病気に対しての具体的な治療は、それがカウンセリングのような薬剤を使用しないような治療方法でない限り、ほとんどの病気に対して薬剤が治療のために処方されるからである。
薬局では、基本的には医師の処方箋に基づいて薬剤を処方するが、医師の処方箋が明らかにおかしいと判断した場合には、医師に確認する必要がある。
それをしない薬剤師は、病気に対しての正確な知識を持っていないか、ただ機械的に処方箋に従って薬剤を出す職務怠慢な薬剤師である。
医師の診断から、薬剤の処方まで、いくつものチェックがなければ、自分の使う薬剤が正しいものなのかどうか知らないまま使いかねない。
薬は使い方を間違えれば、即、毒となる。
治療のための薬剤が、病気を悪化させるのである。
但し、それらの一連の作業の流れが正しく行われたとしても、薬剤を使うということは、さまざまな副作用を覚悟して使わなければならないことに間違いはない。
薬剤のほとんどは、病気の症状を軽減するためのもので、病気を根本的に治療しているのは、免疫を初めとして、身体の中に元々備わっている、自然治癒力である。
もちろん、それらの力をより有効に使うために、補助的に薬剤によって、自然治癒力を強めるために、身体の中のさまざまな防衛機能を強めたり、悪さをする身体の細胞組織や成分をブロックして、病気を治す方法もある。
しかし、いかに薬剤に身体の病気の症状を軽減したり、防衛反応を強めたり、悪さをする成分をブロックしたりする機能があるとはいえ、薬とは体にとって、毒になる成分も含まれているのである。
いわゆる副作用である。
これは、心身に対して好ましからざる反応を引き起こす。
ひどい副作用が起きた場合は、死亡したり、後遺症が残るケ━スもある。
そして、困ったことに、同じ薬を同じ量摂取したとしても、その副作用は人によってさまざまな反応を引き起こすというのが現実である。
ひどい場合は、薬効を全く顕さず、副作用だけが強く出る場合もある。
この場合は、薬を使用する事が身体にとって害になる。
そのような薬剤は使わないにこしたことはないが、厄介なことに、この身体によくない影響を及ぼす副作用がどれほど出るかは、使って見なければわからないということが、薬剤を使う怖さなのである。
病気=薬ということが、社会の常識になっているが、どういう薬を使うか、あるいは薬に頼らない治療方法を模索するののかの判斷は、非常に大切で、決して医師任せだけには出来ないのである。
薬剤を使う場合、自分が患者として人体実験の対象になっているということを、決して忘れてはいけない。
もちろん、現在厚生労働省によって認可されている薬剤は、製薬会社で作られた後に、治験者を通じて、ある程度は副作用がどの程度、どれだけの人に出たかの検証を経た後に認可されたものしか発売されていないのだが、危険度0%という薬剤などは存在しないのである。
そういう意味では、厚生労働省による薬剤の認可は、ある意味見切り発車なのである。
危険度(重篤な副作用が一定数を超えるかどうかの値)が一定数値以下ならば、あとは注意書き付きで発売されているのである。
医師にかかるということは、人体実験の対象者に晒されているということである、という題名の意味はそういうことである。
だからこそ、医師は気紛れで、今度はこの薬を使ってみようかなどとは軽々しく言って、患者が使う薬剤を変えたりしてはいけないのである。
例え、それでさまざまな副作用(重篤なものも含む)が起こっても、医師は、患者の体は人それぞれであり、どのような副作用が起こるかは使ってみるまでわからなかったと言って逃げる道をちゃんと用意しながら、薬剤を処方しているからである。
勿論、処方するべき薬剤を間違えるのは問題外だが。
医師や医療行為については、医事法により、患者の安全のために、さまざまな法律の規定があるのだが、一つ一つの病院の中にいるのは、医師であり、当然ながら医事法に違反する行為はしないように学んでいるはずだが、必ずしも全ての医師が、医事法に精通しているわけではないし、具体的な医学的な知見についてもそのレベルはまちまちであり、それプラス医師の性格の問題まで含めると、本当に医師選びは慎重にも慎重を期すべきである。
金にしか興味のない医師や、医師という地位に胡座をかいて、大した知見も技術も持ち合わせていないのに、居丈高に威張り散らしたい医師もよく見られるからである。