DJ KENTA 栃木 野木印のブログ

DJ KENTA 栃木 野木印のブログ

一人DJ/Draffiti art/Track maker/Rapper
総合一人自分の歴史を自分に残す。
他人の人生に少しでも影響を与えられたらこれ幸いな
完全独り善がりの糞SHIT

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彼には今でも、そして恐らくこれからも、彼の中で一番となり続ける映画が存在する。
その映画はターミネーターと言い、ロボットが自我に目覚め、今まで彼らを支配してきた人間を逆襲するといったアクション映画である。

彼が初めてその映画と出会ったのは小学二年生の頃であった。
日曜洋画劇場というテレビ番組で、放送されていた。
歴史的に有名であり、亡くなった今でも語り継がれている淀川長治という映画評論家が最初に映画の内容を説明し、映画が放送された。

彼はその映画を見るなり直ぐに虜となった。
何故かその理由は今でも不明なままである。
好きなものに理由など無いという事は正にこの事であろう。

ターミネーターは二作目から大ヒット作品となり、有名になったが、初期の作品はどちらかと言うとB級映画の位置づけにあった。

ある日、この作品の二作目が公開されるとの情報を手に入れた彼は、直ぐに母親にお願いをした。
「ターミネーターの2が映画でやる!観に行きたい」と。

彼のこの映画への執着は異常な程であった。
彼の母親はどれだけ彼がこの映画を好きか理解していたのであろう。
直ぐにOKの返答が返ってきた。
そして映画の予定は直ぐに決まった。
映画の予定は数週間後の土曜日でになった。
彼はその日を心待ちにした。

しかし、予定とはそんな時に限って上手く進まないものである。
彼は前の日から風邪をひいた。
しかし彼の、どうしても観に行きたいという強い気持ちはどんなに体が弱っていても変わらなかった。
彼の母親は、風邪なんてひいたら、決して外には出してくれないどころか、治っても数日は安静にさせるような人間であった。
しかし、幼き彼の情熱に負けてしまったのであろう。
そんな例外は、彼の人生では後にも先にもこれ一回である。
母親は彼を映画に連れて行った。

楽しみにしていた映画。
彼の身体は完全な状態ではなかった。
にも関わらず、予想を超える楽しさの映画の内容に、彼は夢中になった。
映画を無事観終え、更に駅の中のフードエリアにある一角で昼食もとった。

一度母親は彼の体調を気にし、帰宅を進めたが、彼はそれを拒んだ。
昼食はオムハヤシであった。
ハヤシライスとカレーライスは彼の大好物である。

この頃になると、彼は既に身体の不調の事は忘れていた。

大好きな映画を観賞し、大好物を食し、大満足の中彼は家へと帰った。

この日の最高の出来事を彼は一生忘れないであろう。
出来事は、現在でも鮮明に彼の記憶に残っており、大切に保存してある。
 腹を下すという事を彼が理解したのは十一回目の彼の誕生日であった。
彼の記憶ではそれまで一度も腹を下した事は無かった。
ケーキの油で出来たクリームと一緒に飲む炭酸のジュース。
食べ合わせが悪かったのであろう。
突然彼の下腹部を激痛が襲った。
彼にはその出来事が一切理解出来ずにいた。
人間の体とは不思議なものである。
彼は自分の身に何が起きたのか理解できなかったのにも関わらず、トイレへと体を向けた。
 彼の身に誕生日に起きた、大きくて小さな出来事である。






 小学校に入ると同時にピアノを習い始めた彼。
通うヤマハの教室の側に大きな家がが立っており、そこに一匹の犬が飼われていた。
 その犬はまだ小さく、大変人懐っこい犬であった。
彼はその犬を大変可愛がり、ピアノに通う度にその犬の傍へ行って犬を可愛がった。
 ある日、彼はいつもの様に犬の傍に行った。
その日彼は食べ物を食べていた。
犬が可愛かった彼は、犬に自分の食べていたお菓子を与える事にした。
犬は大変喜び、差し出されたお菓子を夢中で食べた。
その愛くるしい姿を見て、彼は心を和ませた。
いつもの様に優しく犬を撫ではじめた彼。
刹那、今まで見た事の無い形相で犬が彼の小さな手に噛み付いた。
その豹変ぶりと、かまれたショックで彼は大きく落ち込んだ。
 動物というものは人間の年齢によって容赦するような事など一切ない。
犬は食べ物が取られるのではないかという不安から噛み付いたのであろう。
 動物という生き物について彼が一つ知識を深めた出来事であった。
そしてその日もいつも通りピアノを習い、彼は帰路についた。






 彼の家はジュースを基本的に置かない家であった。
というのも、ジュースは体に悪いという概念を母親が持っていたためである。
コーラは遠出をした時くらいしか口にする事はできなかった。
また、母親は厳しく、お菓子も基本的に駄菓子は買って貰えなかった。
せんべいや、大きな袋に入ったチョコレート菓子の様なものばかりで、
10円程度の小さなお菓子は買って貰えなかった。
 そんな彼の家庭でも、好きな物を口に出来る時があった。
風邪をひいた時である。
その時ばかりは、息子の要望を受け入れてくれていた。
彼が幼い頃流行ったジュース「ライフガード」
彼は風邪をひくと決まってプリントライフガードを両親にねだった。
そして、それをいつもは行儀が悪いので禁止されている口のみで、
大切に少しずつ飲むのである。
 厳しさが殆どで、たまに見せる両親の優しさがある家庭。
彼はそんな環境下で幼きを過ごした。






 幼稚園も年少の頃、彼は埼玉に住んでいた。
その日は何故か彼と母親だけで大宮という大きな街に買い物に出掛けていた。
大宮駅周辺ではいつもの様に露天が立ち並び、商人は大きな声でお客さんを呼び集めていた。
その賑やかな光景は、彼の目に大変魅力的に映っていた。
 何故であろうか?彼の目に一番魅力的に映ったのは、偽物の金魚の鉢であった。
千円もしなかったであろう小さな鉢。
その中にアクリルの細い糸で重りと繫がれた模型の金魚。
彼はそれを母親にねだった。
何故であろうか?昔から節約家であり、無駄遣いをしない母親であったが、その日は「これが欲しいの?」と彼に聞き返し、彼が首を縦に振ると、それを購入してくれた。
 家に帰るなり、彼はそれに早く水を入れたくて落ち着かなかった。
しかし、彼のの母親は食事の準備がある。
彼は母親に空けても良いか尋ねた。
母親は了承してくれた。
未だ幼い彼には、金魚から伸びているアクリルの紐が何故付いているのかが理解できていなかった。
そして箱から金魚を出すと同時にその紐を切った。
新品の金魚の模型が、彼の手によって中古となり、そしてゴミと化した瞬間である。
母親は彼を叱った。
「何しているの?もう使えなくなったじゃない!」
しかし、紐の付いている理由が分らなかった彼にとって、その母の怒りの理由は、大人になり出来事を振り返るまでは理解ができなかった。
当然その時も。
アパートの部屋の中は丁度日が沈みかけ、部屋の中が薄暗くなり始める頃であった。
ある冬の出来事である。






 彼は住宅街の建売りの家に住んでいた。
そこには子供会という集まりがあった。
住宅街を地区で区切り、廃品回収の手伝いや、集会所に集まり、
年に数回の催し物が行われていた。
子供会に入れるのは小学校からで、彼の兄は彼より一足先にそこに入った。
 小さい頃、兄弟がいる人間というのは、大抵において兄、姉に下の子がくっついて一緒に遊ぶものであり、彼の場合も例外ではなかった。
いつも一緒にあそんでくれている兄とその友達達。
しかしその日は子供会のクリスマス会であった。
兄達は集会所の中でクリスマスケーキを作って遊んでいた。
彼は幼稚園なので、メンバーに加わる事はできず、立ちつくしていた。
 最初は日も照っており、たまに見える兄とその友人の姿を見て、彼は安心感をおぼえていた。
何度か主催している子供の母親に、しばらく終わらないから家に帰った方が良いよ?と言われたが、彼は家に帰ってもする事も無かった事、また集会所の中が楽しそうで、覗いている事に満足感を持ってしまい、その場で兄を待っている旨を話し、その場に留まった。
 しかし時間が経つにつれ、外は寒くなり、日も落ち始めた。
その頃になると、彼は集会所の中の温かそうな雰囲気と、楽しそうな人達、そしてさっきまで不要であったはずの電気がついている事に寂しさを感じるようになっていた。
しかし我慢強かった彼は兄を待つ事にした。
 決して彼は中に入れて欲しかったワケではない。
ただ、兄達が催し物を終えて外に出てくる事だけを目的にその場に留まっていた。
しかし主催者側から見るとそうは見えなかったのであろう。
結局彼は最後に一緒の集会所の中に特別に入れてもらい、できたケーキ満足そうに兄の横で口に入れた。
窓の外を見ると、もうすっかり日が落ち、そこには外ではなく、照明に反射された自分の顔が写っていた。
彼がまだ幼き頃、彼にボーナスという概念が無かった。
彼の家庭は決して裕福では無かったが、貧乏というワケでもなかった。

多くの家庭では、父親のボーナスが出ると、子供はおもちゃを買ってもらえたが、
彼の家ではその様な事は無かった。
冬のボーナスは確かにクリスマスプレゼントとして使用されたであろうが、
彼が両親のおもちゃを買ってもらえるのは、誕生日とクリスマス。この二つであった。

また父親が出不精であり、彼の記憶では父親と一緒に出掛けた事は、軽井沢くらいである。
基本的に旅行は母親と兄、そして彼の三人で行った。

冬休みは家で駅伝を見る。
夏休みは母親と旅行か、実家に帰る。
唯一父親参加のイベントはゴールデンウィークであった。

ゴールデンウィークはボーナスと時期が重なる。
彼の家庭の場合、食事が大きなイベントと化していた。
彼の父親は普段外食を嫌っていた。
しかし、ゴールデンウィークだけは別物であった。
基本的に三食全てが弁当か外食である。

決して裕福ではなかった彼の家庭は、外食が少なかった。
小さい子供にとって、外食とは大きなイベントである。
先ず一年間で行きたいと思っていた店を全て書き出す。
次にそれらを朝食、昼食、夕食でどれがFitするかを考え、予定表に書き込む。
決まったらあとはゴールデンウィークを待つのみである。

彼はこのイベントが大好きであった。
毎日外食が出来る上に、自分の食べたかったものを毎日食べられるという幸せ。
幸福そのものである。

しかし彼の記憶では、このイベントは必ず最後の数日は予定通りに進まなくなっていた。
というのも、大抵数日で家族全員の胃が疲れ始めるのである。
そして、やはり家で何か胃に優しいものを食べたくなるのであった。

家族が全員参加するイベント。
三大欲求の一つである食事。
彼は恐らく自分に子供ができたら同じ事を繰り返すであろう。

いつの間にか無くなったこのイベントは今でも彼の幼い頃の記憶の断片集の中にしっかりと、鮮そして明に残っている。
中学校の大半は非行を未然に防ぐ目的、また何か勉強以外の特技を見つける、
身につける、社会の上下関係を作るという目的で「部活動」への参加がMUST事項であった。

彼の通う学校でもそれは同じであった。

兄を持つ彼は、運動をする部というモノが大変である事を理解しており、
また幼い頃からピアノを習っており、音楽好きが後押しし、吹奏楽部に属していた。

吹奏楽部の先輩と同級生から振られてから、彼に彼女はいなかった。
しかし、その先輩とその友達、また彼とその一番仲の良い友達は大変仲が良くなり、
いつも四人で部活動が終わってから遊んでいた。

四人で一緒に帰り、途中でお菓子を買って、近くの公園で話したりしていた。
夜も八時近くなると一緒に帰路へつく。
毎日がこの繰り返しであった。

彼は彼女がいなくても、その様な状況下にいたため、心は満たされていた。
否、そのもう一人の先輩が彼は好きであったのであろう。

彼女は、ずっと彼の友人に心を寄せていると彼に話していた。
彼はそれを壊す事が嫌で、友人に彼女の魅力について一生懸命話をして、
彼女がうまく行く事を望んだ。心の底から。

それが彼女にとって幸せなのだから、彼にとっても、まだ同様と考えた結果の行動である。
しかし、友人は彼女に振り向かなかった。

それでも四人の関係はずっと続いた。
もうその頃は仲間であった。

彼が小学一年生の頃、プールを習っていた女の子がいた。
彼女は彼と同じバスに乗っていた。
当時「目が合う」という事が分らなかった彼は、彼女をいつも見つめていた。

ある日、同じバスに乗る彼の兄が、彼女に弟の思いを伝えた。
「弟が君の事を好きらしい」と彼の前で。

彼はその時も彼女を見つめていた。
そして、それを聞いた彼女は、彼を見つめ返し、一言だけ「目が大きくて可愛いね」とだけ言った。
彼は彼女が話かけてくれただけで満足であった。

時が過ぎ、今彼女は自分の前で、友人に恋をしている。
止めるハズがない。

彼は当時の事も一切話をしなかった。
一度プールの話になった事があり、彼女の方から同じバスで通っていた話をされたが、
「小さかったからあまり覚えていないなぁ。」と言い、やり過ごした。

ただ人が成長し、大きくなり、まともに話ができるようになった。
そして今は一緒に毎日遊んでいる。

こんな幸せが、こんな事があるであろうか?
彼はそれだけで十分であった。
フルートを上手に吹く彼女を見る事が出来るだけで十分であった。

そんな時間も段々と薄れ、新年を迎える頃には先輩達は受験等で忙しくなり、会う機会も減った。
そして一つ上の先輩は卒業を迎え学校を去った。

彼の学校では卒業式が終わると、卒業生はそのまま帰宅し、次の日に高校の試験結果を教師に伝えに学校に少しだけ来る。
在校生は卒業式の後、教室に戻り、少しだけ教師の話を聞いて、午後から部活を行う。

つまり卒業式が三年生と会う最後の機会である。

先輩達がいなくなるという事に少し寂しさもあったが、友達との遊びに夢中であった彼は、
あまり卒業式を気にしていなかった。

部活も終り、友達と話しながら玄関に向かう。
明日何をして遊ぶか話しながら下駄箱の靴をとる。

下駄箱には一通の手紙が置いてあった。
差出人は幼きより思いを寄せていた先輩からであった。

手紙には「友人の事を好きなふりをしていたけど、本当はあなたの事がずっと好きでした」と書かれていた。
そして、それに加え、彼女がつけていたボタンと校章が一緒に入っていた。

全く知らなかった。
全く分らなかった。
そんな素振りを一切見せられなかった。
全く気付かなかった。

しかし、もう彼は彼女に会う事はできない。
卒業してしまったのだから。
もう一度だけ話したいと彼は強く願った。
だが時は既に遅かった。





数年後、彼は田舎の不良高校生になっていた。
髪の毛は金髪で、ボンタンを履いて、ギャングまがいの事をして、バイクを乗り回していた。

たまたま乗った電車には、彼女が乗っていた。
思わずサングラスを取って彼女の元に駆け寄った。

彼女は当時と何一つ変わらず、清楚な格好をし、フルートを手に持っていた。
学校帰りであったのだろう、制服を着ていた。

あの頃の面影は無くなってしまった自分が彼女の元へ駆け寄り、
話しかけると、外見が変わってしまった彼に対し、一切の偏見を持たず、
当時のように彼女は優しく接してくれた。

思いを告げようを思ったが、次に彼の目に飛び込んできたのは、隣に座っている品の良い男子学生であった。

彼は「じゃあまた。元気でね!」とだけ言い残し、彼女の元から去っていった。
たった数年で見違える程の外見になってしまった彼と、何も変わらない彼女。

あの時付き合っていたら自分は今こうなっていなかったのではないだろうか?
更に成長した彼と彼女。
何とも言えない思いが、彼の心の中に巡った。

彼の幼少期から青春をまたいだ人生の一ページである。
小さな町の、小さな社会の中で生きる子供。
中学生。
それは大人から見ると小さく、子供から見ると深く、広く、大きいものである。

それぞれが学ぶ事以外にも様々な事に興味を持つようになり、
それぞれの個性が出始める年齢である。

彼は小さな頃から音楽が好きであり、聴く以外にも自分で楽器を演奏したりしていた。
当時流行の音楽ばかり追いかけていた彼は、中学二年生にして新たな音楽を見つけ出した。

その音楽と出会ったのは、隣町の不良の洋服を売っているお店であった。
その店にはボンタンや短ラン等の不良アイテムが並んだお店であり、
店主もそれなりの顔をした恐いお店であった。

たまたま友人とお店に入った時、かかっていた音楽。
彼の中で衝撃が起きた。
聴いたことの無い音楽。
それも日本人が歌っている。
歌っているというよりは叫んでいた。

思わず彼は店主にその音楽を聞いた。
HARD COREというというジャンルであるという事、「山嵐」というグループという事、
この曲はその人たちの一枚目のシングルで、この辺のCD屋さんでは売っていないという事。

店主は丁寧に彼に教えてくれた。

直ぐに色々なCD屋へいったが、そのCDは置いてはいなかった。
しかし、似たジャケットのCDを彼は万引きした。

衝撃的であった。
一枚目のCDはHARD COREというジャンルであり、お店で聴いた音楽と大変似ていた。
もう一枚はHIP HOPというジャンルであり、それもまた新鮮で、彼の脳に焼きついた。

その日から彼は一切のテレビで流れている曲を聴く事を辞め、
上記の様なジャンルを集める事に没頭した。

しかし、当時CD屋は国内と海外、インディーズというジャンルにしか別れておらず、
HIPHOPやHARD CORE、BLACK MUSIC、今でこそ一般的になったものの、R&Bというジャンルすら分けられていなく、それらを見つけ出す事は至難の業であった。

彼のHIP HOP好きが形成されたのはこの時からであった。
それは十年以上経過した今でも、彼を魅了し続けている。

そしてもう一つ、彼が没頭した事、
それは小さい頃から兄がミリタリー好きであった事と、何かを改造する事が大好きであった性格が交わり、武器を作ることであった。

ある日、彼は学校の友達から、壊れたガスガンを貰った。
既に小学一年の頃から鉄砲を手にしていた彼は、その壊れたガスガンを直すのではなく、新たな使い道を考えていた。

彼の頭に最高の名案が閃いた。
火炎銃を作る事である。
火炎銃なんてどこを探しても売っていない。
しかもこんな小さな銃から火が出るなんて凄い事である。

それから彼の火炎銃作りは毎日始まった。
学校が終わり、帰宅をしてご飯を済ませると、部屋に閉じこもり一生懸命頭を捻った。

売られている銃をニッパーやライターを使い形を変形させて、新たな物を作る。
設計から入り、トリガーを引いただけでガスと火が一緒に出るにはどういたら良いか?等、
毎日Ideaを出して、自分の技量で作製可能か考え、手を動かす。

何日かかったのであろうか?何ヶ月かかったのであろうか?
彼はとうとうガスガンから火炎銃を作る事に成功した。

見た目も自作をは思えない出来栄えであり、
ただのガスガンにしか見えない。
しかしいざトリガーを引くと、火が吹き出る。

彼は先ず自宅でそれを試した。
完璧であった。

だが次がマズかった。
彼は嬉しさのあまり、次の日にそれを学校へ持って行ってしまった。
朝学校に到着するなり、彼は直ぐにそれを友達に見せ、
そしてベランダで打って見せた。

直後に下から聞こえる教師の声。
「だれだ!今から向かうから待ってろよ!」
もうヤクザである。

直ぐに来た数人の教師に彼は銃と一緒に連行された。
その日彼は授業に戻ることは無かった。

職員室の隣の小さな部屋。
続く正座。
教師達は、その彼の発明品の設計すら全く見ずに、
これは爆発するような大変危険なものと決め付け、彼の母親に連絡を入れた。

「爆発するような物は作っていないし、そんな危険な物であれば、自分で打つことはない。
中身をちゃんと見て欲しい。」
彼の訴えは一切聞き入れられる事は無く、家に変えると警察の証拠品の様に銃が置いてあった。

両親は教師の観点でのみ説明された内容で、彼を叱り、銃を燃えないゴミとして廃棄した。

既に教師に対しては一切の期待をしていなかったが、
この出来事をきっかけに彼は両親への不信感も少しだけ抱くようになった。

彼は自分が悪い事をしているという感覚は一切無かった。
というのも、彼は常に自分の興味の湧いたことをしていただけであり、
それによって、誰に迷惑をかけるわけでもないと思っていた。

結果を見ると、確かに多くの人間が出てきて、また両親に多大な迷惑をかけている。
しかし、それを彼は理解できていない。それは現在もである。

迷惑をかけたという風に勝手に大人が出てきて説明する。
何も誰も言わなければ、独り善がりで終わった出来事である。

しかし、ある日彼の母親は彼に言った。
普段は何も口を出さない、無口な父親の調子が良くない事は前々から知っていた。
しかし、その元凶は自分にあると告げられた。
普段何も言わない父が、実は様々な事を自分の為に考えてくれている事も同時に告げられた。

生活自体は何も変わらなかった。
迷惑と思っていない事をして、それを事件にしたがる教師に怒られ、
家に変えると母親に怒られる繰り返しの生活。

しかし、彼は、その母親の言葉で胸に傷を負っていた事は確かであった。
興味を持った事を素直にやりたい気持ちと、結果として、両親を傷つけるというジレンマに彼は襲われていた。

小さな町の、小さな社会の中で生きる子供。
中学生。
それは大人から見ると小さく、子供から見ると深く、広く、大きいものである。
彼が中学一年の頃は、世の中は今の常識とは大きく異なり、「体罰」というものが日常的にあった。
それは小さいものであれば叩かれる。
大きいものであれば投げられ、殴られる。

彼が中学一年の頃は、世の中は今ほど何でも情報が手に入らなかった。
インターネットはまだ一般家庭に普及しておらず、携帯電話は無く、
当時の携帯連絡といえば、ポケットベルであった。

口コミや、噂が小さな彼の周りの世の中を支配し、真実簡単に調べる事はできなかった。

流行やその他は全てテレビに支配されており、
テレビで流行れば学校でも流行る。
つまりテレビを見る事は、流行についていくという事と同じ意味を持ち、
それは思春期の彼にとっては重要な事であった。

彼が中学一年の頃、巷では卵形の携帯ゲーム機で、食べ物をあげたりして、
育成を行うBANDAIが発売した「たまごっち」という物が流行っていた。

だがそれはあまりにも大きなブームとなっており、田舎の人間には中々手に入れる事が出来なかった。

その頃彼の中で流行っていたものは、手錠、バタフライナイフ、メリケンサック。
田舎ほど悪い子供が多く、後先を考えないで行動する人間が多かった当時、
彼は自身の身を守るべく、常にそれらを携帯していた。

そんな中、段々と学校の中でも「たまごっち」を持ち始める人間が増えていった。
彼はそれが欲しくて仕方なかった。
既にかれが中学二年生になった頃である。

彼はそれを後輩が持っているという情報を手に入れた。
彼は早速後輩に見せてもらいに行った。
後輩の家庭は小さな町の中でもかなり裕福な家庭であり、早々にそれを手に入れていたらしく、
既にそのゲームに飽きていた。

彼は後輩に自分の持っている何かと交換するか、売って欲しい旨を伝えた。
後輩は快諾した。

彼の中学では、後々の揉め事を事前に防ぐべく、物の売買及び交換を禁止していた。

後輩に何が欲しいか聞いたところ、メリケンサックを求めてきた。
両手につけていたメリケンサックの片方を彼は後輩にあげる事に下した。
契約成立である。

その夜から彼は束の間の間ゲームを楽しんだ。

連絡は突然に彼の元にやってきた。
ある日彼は教師に呼び出された。

職員室の隣の小さな部屋に行くと、そこには二人の教師と机の上にメリケンサック。
交換がバレた。

通常交換がばれると、怒られ、元の持ち主の所に全てが戻され、終わる。
しかし今回はそう簡単に終わらなかった。

どうやら後輩にあげたメリケンサックで、その後輩が隣の中学生を殴ったらしい。
鼻の骨が折れ、事件が発覚、凶器は彼のあげたメリケンサック。

彼は自分は関係ないと教師に訴えた。
しかし、教師の彼へ向ける視線は大変冷たいものであった。
彼があげたから今回の事件は起こったのだという事らしい。

彼は憤慨した。
欲しいものを交換して手に入れたことは確かに悪い事かもしれない。
しかし、手に入れたものを、どう使用しようが関係ない。
だから物を元の持ち主に戻せば終りではないのか?と。

教師の言い分は、
そもそもたまごっちとメリケンサックを交換する事自体がおかしい。
メリケンサックは普通持っていない。
メリケンサックを持っていた彼に問題がある。

以上だ。

既に教師への信頼など一切持っていなかった彼は、黙った。
何を話しても一切理解されず、理解しようとする事すらしない。
教師へ何を言っても無駄だと思い、沈黙を貫いた。

結局メリケンサックは教師の手から直接親へと渡り、事態は収束した。

たまごっちを失った彼は、教師への信頼も同時に失った。

既に教師を信頼していなかった彼にとってその出来事は、一層教師への憎しみを増やす事以外のなにものでもなかった。

ある春先の出来事であった。
窓から外を見ると、何事もないかのように、陸上部がトラックを走り、
サッカー部が一生懸命球を追っかけていた。
彼は夕日に照らされながら、自分は窓の外側の人間とは異なる人間であるのだろうと感じていた。
週末は都内に出掛け、そしてお祝いの言葉を伝えるためサンジへ行った。
これがこの週末の出来事。

そして、今週はいつも通りの仕事をこなし、
自分の今抱えている目標へ向けて、その前の週に作ったサンプルの出来を調べる為に測定を行った。
結果は散々であった。
まだダメと決まったわけでは無いけど。

他人に何か少しでも影響を与えたいと思っている。
それが自分のモットーだから。
そいうか、それが生きている意味であると思っている。
それが自分の場合は、仕事では無く、私生活に求めている。
仕事に求める人間もいる。

都内に行った時は、多くの人々で賑わっていた。
銀座に行った。
綺麗な格好をした、裕福そうな人々が沢山いた。
どうしたらこんなにお金を持つ事ができるのだろう?と純粋に感じた。
そして、それなりに成功した人々なのであろうと思った。

そして、同時にこうも考えた。
それなりに成功した人々という事は、それなりに人々に影響を与えた人が多いと。

サンジに行った時も思った。
直向に頑張り、諦めず、一生懸命、地道。
自分のサンジに対するイメージは上記である。
イメージというか、少なくとも自分にはそう映っている。
一緒にスタッフの皆といてそう純粋に感じる。
今日もそう感じた。

そして、今回結果がついてきた。
いや、今回だけではない。
当初全くいなかったお客さんは、今では行列や常連が来るほどに増え、
沢山の人に影響を与え、小山、いや、今では日本を代表するつけ麺屋となっている。
今回の結果もその一つであると思うが、これまでも色々と結果を残している。
お土産の話が来た時も、本当に心から自分の事の様に嬉しかった。

でも何故今日なのか分らないが、今日気付いた。
別に自分の事の様に嬉しいだけであり、それは自分の事ではない。

色々自分はやってきたつもりだが、あまり多くの人間に影響を与えるような事を何もしていない。
それが目標であるのに。
確かにCDは知り合いや、知り合いの友達から良い反響を頂いた。
お店にも納入した。
続編の要望も入った。
でもそれ程沢山の人に影響を与えたわけではない。

仕事なんてもっと酷いものである。
一生懸命目標に向かって色々なサンプルを作製してきたが、
化学を真面目にやっていないし、周りの人間はMasterやDoctor卒ばかり。
適うハズがない。
振り返ると、何も結果を出していない事に最近気付いた。
そもそも自分は仕事が嫌いで仕方が無い。

一体自分は何をしているのであろうか?
次のCDもずっと途中で作業がとまったままである。

画家の絵は、死後も残る。
音楽もそうである。
芸術はみなそうである。
そして、技術は受け継がれ、形を変えて形跡を残す。
食べ物も同じ。

自分は一体どれに属するのであろうか?
今はどれにも属さない気がしてならない。

ずっと自分には何かがある。何か持ってる。だから頑張る。そう思ってきた。
でも今日、ふと冷静になった。
本当に何かあるのであろうか?
大器晩成なんて、後付けの言葉である。
本当に才能があれば、早い段階から結果を残し、生涯続く。
晩成な時点で出遅れており、こんな言葉、ただの哀れみとしか思えない。

久々に心が折れかけている事に気付いた。

生きる意味は、自分の作品を残し、少しでも多くの人に影響させる事と思っている。
でも現時点で結果が出ていない。自分の場合は、まだ諦めていない。

けれど、少し気付いた気がする。
それが出来ないから、子供を作るのではないだろうか?
多くの影響を与え、自分で一生懸命上手に育て上げる。
多くの人は、これによって何かを満たしているのでは?と。

この考えに対し、そんな事じゃない、もっと深い理由である、全くの勘違い、、、
この文章だけでは、色々な反論が自分の中にも有り、納得できない。
今は頭が混乱していて、多くは記載できない。
上記を言う為に、本当はもっと色々なケースを記述したい。
しかし、書き切れない。

だが、要するにこういう事なのではないかと今日は純粋に考えた。
つけ麺博に参加させて頂いた。

思えば四年程前になるであろうか?
自分はつけ麺という食べ物が大嫌いであった。

何故スープに最初から麺を入れないのか?
豚骨魚介?なんて邪道な食べ物だ!

そんな思いでいた。

そんな中たまたま食べた「中華蕎麦サンジ」
正直自分の中でつけ麺というものに対しての概念が180度変わった。
この出会いは奇跡であり、それは必然であったと思う。

それからというもの、通い詰めた。この店に。
そして色々な店でつけ麺を食べた。
日本で大変有名な店にもいくつも行った。

決して特別扱いをしているわけではない。
自分の中で、つけ麺といえば、この店がずっと一番に君臨している。
そして、二位との差は、三馬身も四馬身も離れている。

つけ麺が好きになりすぎて、自分でスープも焚いた。
麺も作った。
好きで好きで、お店の人とも仲良くなる事が出来た。

自分が通い始めた時は、店にお客さんは一人か二人。
多くても四人程度であったお店が、今や行列でき、栃木で一番のお店にまでになった。

そして全国に通用する店にまで。

こんなお店で、しかも全国の競合相手に勝負する。
年に一回の大イベント「つけ麺博」
この大舞台でお手伝いさせて貰う事が出来た事を本当に感謝する。

朝から、夜の一時過ぎまでずっと立ちっぱなし。
長靴の中は、浮腫んだ足でパンパンに膨れ上がり、
何度も気持ちが折れかけた。

自分から手伝わせて頂いたのに、何度も営業中に励まされた。
本当に申し訳ない。
自分の作業の遅さで迷惑をかけた事が、本当に申し訳なく思う。
でもお陰で一日1000杯以上を売る事が出来た。
みんなの力は凄いと思う。

注文を上手く捌いて、完璧に指示を出してくれる人、
麺を絶え間なく茹で、そして洗う。
スープをそのタイミングですかさず出す。
チームプレイである。
正にチームプレイだ。

11時の開店から22時まで、注文は途絶える事が無かった。
微力ながらお役に立てた?事が何よりも嬉しい。

ただのラーメン好きの素人をあの場に立たせて頂いた事を本当に感謝する。

「年末のイベント」「サンジの創立記念日のイベント」毎回重要な時に
手伝いをさせて頂ける事に、本当に感謝する。

スープを濾す作業や、豚骨を何十キロも割る作業、寸胴を洗う作業、
割り方、部位の名前、野菜の切り方、液物と固形物の鍋への投入の仕方、
白髪ネギの作り方、麺の作り方、メンマの作り方、卵の剥き方、、、

その全てが勉強になる。
その全てを実践を持って教わる事のできる幸せ。

どれだけの人間がこんな事できるのであろうか?
そう思うと俺は幸せ者以外の何者でもない。

今回は本当に疲れたが、本当に幸せであった。
カズさん、ダイスケさん、サンジの皆さんに本当に感謝の気持ちで一杯だ。

今回に限らず、いつも与えて下さる皆さんに感謝の意を、この場を持って表します。

ありがとうございす。
そしてこれからも、宜しくお願い致します。$DJ KENTA 栃木 野木印のブログ
彼は中学になってもいたずらとゲームが大好きであった。
中学校の帰り道には、コインランドリーがあり、その奥にゲームセンターが隠れるように経営されていた。
その作りから、その場所は中学生の格好の溜まり場となっていた。
隣には駄菓子屋も併設されており、学校帰りのやんちゃな学生にとっては好都合な事ばかりであった。

彼はゲームが大好きであったため、よくここに通った。
そして、通い詰めることにより、経営者と仲良くなった。
暇な時はいつもここに入り浸り、ゲームをした。
疲れると、隣の事務所へ行って休んだり、経営者であるおじさんと話をしたりして楽しんだ。

事務所には、時間の経過と共に様々な友達が集まるようになり、
中学生の彼らにとっては格好の溜まり場と化した。
段々とゲームをして遊ぶ事から、溜まり場での集まりに特化してきた彼らは、
そこである「遊び」に目覚めた。
いたずら電話である。

来る日も来る日も、彼らはいたずら電話をして暇を潰した。
標的は同じ学校の真面目な生徒ばかりであった。
当時は電話機に相手のナンバーを表示させる機能は殆ど無かったため、
いたずら電話はいつでもうまくいった。
彼の標的はいつでも決まった生徒へであった。
何故その生徒が標的になったのかは分らないが、
彼は毎日毎日その生徒に電話をした。
同じ時間に繰り返しかけるので、本人や弟、また両親も出始める。
父親がどんなに文句を言ってきても執拗に繰り返しかけた。
それによって彼らは相手を馬鹿にして遊んだ。

どのくらいの期間繰り返したであろうか?
思春期の心の移り変わりとは実に早いものである。
彼等の興味は移り変わり既にいたずら電話からは飽きが出て、
UFOキャッチャーの商品を事務所へ直接行って、店主から買い取ったり、
店主と飯を食べたりと、他の事をして時間を潰した。

しかし、物事は忘れた頃に繰り返される。
そこまで近くはないが、同級生がやらかした。
何と、彼の友人のラーメン屋にいたずら電話をした。
一番高いラーメンを10人前以上もの注文をした。

別の同級生の家に。
その届け先から、直ぐに1年生の悪さと判明し、学校へ連絡がいった。

直ぐに電話をした友人は教師に自白し、酷く怒られた。
ある日、いきなり彼は教師に呼び出された。
何の事だか分らない彼が小さな小部屋に入れられると、友人が正座をしていた。

そして教師から言われた言葉は驚くべきものであった。
「お前らラーメン屋にいたずら電話したな?」
彼は困惑したが、その事実を知っていた事、また、彼自身も一時期前にいたずら電話をしていた事から、酷くその事がバレる事を気にした。
しかし、ラーメン屋の件は別である。
一切関わっていない。
いつバレるかという恐怖と、大人に強く怒られる事に、彼は酷く怯えた。
一緒に怒られていた彼は、元々体の大きな彼よりも一回り以上小さかった。

彼はラーメン屋の一件に対して、一切行っていない。
しかし別のいたずら電話はした。と教師に話した。
何度聞かれても、本当にやっていないと回答し続けた。

やがて教師は別室へ彼を連れて行った。
教師は柔道部の教師であった。
いきなり鉄拳が飛んだ。
そして、記憶が飛ぶくらい投げられ続けた。
実際何時間も誘導尋問に耐え続けてきた彼にとっては十分すぎる体罰であった。
認めない事に対しての怒りであったのであろう。

しかし女神というものは必ずいるものである。
何回投げられたか分らなくなった時、女神の手助けが入った。
彼女は理科の先生であり、彼がこよなく理科を愛していた事からであろうか?
彼の事が好きであった。
いきなり彼に部屋に入るなり、いきなり彼に抱きついた。
そして、柔道部の教師に「やりすぎです。こんなに弱っているじゃないですか!」
と言い放ち、続けて「後は私が聞きますから」と言うと、その教師を部屋から追い出した。
どれくらい時間が経過したであろうか?
彼は女教師に強く、大変強く抱かれ続けた。
「もう大丈夫、私が行っておくから。今日は帰りなさい。」
そう優しく言うと、彼女は彼を帰路へつかせてくれた。

その晩、教師から家に電話がきた。
勿論彼は両親から怒られたが、やはりラーメンの件については認めなかった。

どんなに説明しても決め付けて一切の反論の余地を持たせてくれなかった柔道部の教師。
彼の怒りは決して消える事は無かった。

そしてこの頃から、彼は何でも子供だから信用できない。
この世の一切が大人が正しい。
社会的な地位と、多くの知識を持った人間が、無い事も真実へと変更できるという事、
つまり真実はいくつも存在する。
この事のに対し、大きく不信感を持つようになった。
真面目に生きても真実は曲げられる。

大人への憎しみを持つようになった。

そして心に誓った。
そうであれば、もういい。
好き勝手に生きる。好きな事をする。
真実を曲げれば良いのだから。。。。