「現場」ないがしろの災害、被害拡大へと突き進む教訓「フクシマ五十」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

 

あのときの悪夢を甦らせるってな、それとも教訓としての辛い出来事は「忘れてはいけない」

ものだが、映画をテレビ放映されるの対して、何事か「蒸し返すような記事」を読んでしまうと

では、未見なだけに、見てみようかと相成る。


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3月12日、日本テレビ系列の「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送となる映画『Fukushima 50』。

東日本大震災により全電源を喪失した福島第一原発内での人間ドラマを描いた佳作との評価も

ありますが、同時に、娯楽作品が政治的意図のもと真実をねじ曲げてしまう「危うさ」を指摘する

声もあがっています。
(略)
映画は、「俺たちは自然の力をなめていたんだ。10メートルをこえる津波は来ないと思い込んで

いた」と悔いる吉田所長の声でラストに向かうが、そこにあるのは、あくまで原発存続を前提とし

た作者の思いだ。ドイツがフクシマを見て判断したように、原発そのものがもはや不要であると

いう議論は置き去りにされている。
娯楽第一の商業映画であり、仕方ない面もあるだろう。シンプルに感動できれば、それでいいの

かもしれない。だが、釈然としない点がいくつもある。
たとえば当時の菅直人首相の描き方はどうか。映画では菅という名前は出てこない。「総理」だ。

終始、現場で頑張る東電社員らの足を引っ張る存在だ。全ての電源を失った福島第一原発に

総理がヘリコプターで乗り込む前後を描いたシーンがある。

映画版は「アベ・スガ政権に都合がいい作り話」

稼働中だった1、2、3号機はモーターをまわせなくなって、冷却水がストップ、蒸気だけが発生し

続けていた。水の上に顔を出したウラン燃料が溶け出し、格納容器内の圧力は限界に近づい

ていた。格納容器の気体を外に逃して圧を下げるベントが必要だった。
東電から説明を受けた総理はベントの指示を出したが、いつまで経ってもベントが始まらない。

「なんでやらない」と東電の担当者に聞いても要領を得ない。自分が現場で直接聞くしかないと、

総理は決断した。東電本店から「総理がそちらへ視察に行きます」とテレビ会議で連絡を受けた

吉田所長は「そんな余裕はない」「こっちはそれどころじゃない」と断るが、本店は「決定事項です」

とにべもない。問題はこの後だ。「とりあえず、ベントは総理の視察まで待てというわけですね」と

吉田所長が問い、本店は押し黙る。
一方、総理は「なぜベントを早くやらない」と怒鳴りちらしながら現場に到着し、初めて吉田所長と

会議室で対面する。総理が「早くベントをしてくれ」と言うと、吉田所長は「もちろんです。

決死隊をつくってやってます」と答える。

別の場面では作業員たちが「総理はまだ帰らないのか」などと話し合っている。
ベントが早くできなかったのは、電動弁が使えないため、高線量のなか、手動で弁を開こうとして

いたからである。

総理が官邸を離れたことには問題があっても、総理が来たからベントが遅れたということではない。

むろん、ベントで放射線物質が排出されるため、周辺住民が避難し終えるまでの時間も必要だ。
1号機と3号機はなんとかベントに成功した。しかし、2号機は、格納容器の中が水蒸気でいっぱい

になり、圧力が大爆発寸前まで高まった。
吉田所長は、格納容器内の圧力が設計基準の2倍をこえた3月15日の時点で、大爆発を覚悟した。

のちに「東日本壊滅が脳裏に浮かんだ」と証言している。
その状況下、「東電が撤退する」という情報が官邸に飛び込んできた。原発を放棄した場合、避難

対象は半径250キロ、人口約5,000万だと官僚が試算を示す。戦慄した総理は、東電本店2階の非

常災害対策室に乗り込み、大声を張り上げる。
「撤退などはありえない。命がけでがんばれ。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃

げきれないぞ」。総理の姿を、テレビ会議のモニターごしに見つめる福島第一の所員たち。

1人がつぶやく。「何言ってんだこいつ」。そして次々と声が上がる。「誰が逃げるってんだ」「ふざける

な」。吉田所長は、テレビ会議のカメラに背を向けて、ズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れ

なおした。本店でモニター画面のほうを向いている総理に尻を見せるかっこうだ。

このシーンについて、門田氏は「命をかけて事態に対処している者たちに、一国の総理が『命がけで

やれ!』と言い放ったのである」と総理に批判的だが、まだしも原作には菅首相の言い分や、東電の

説明不足を指摘する班目春樹原子力安全委員長の証言が、抜かりなく記されている。
事実はこうだ。「撤退情報」は枝野官房長官、海江田経産相が東電の清水正孝社長から受けた電話

連絡でもたらされた。その内容は「今後ますます事態が悪化する場合は、退避を考えている」というも

のだった。両大臣はこれを「全員撤退」と受け取ったが、のちに「制御に必要な人間を除いて」という言

葉が足りなかったための行き違いとわかった。原作を読めばこれが分かる。
しかし、総理側の視点を欠いた映画から伝わってくるのは、決死の作業を続ける者に向かい「命がけ

でやれ」と重ねて圧力を加える総理の悪印象ばかりである。
撤退騒動のもとになった2号機は結局、最悪の事態を免れた。水蒸気がどこからか抜けていたのだ。

格納容器の一部が脆弱な、いわば欠陥機であったことが奇跡を呼び込んだ。
「事故の収束」を暗示する映画のエンディング
映画は、2号機の圧力が下がったことを喜ぶ現場の人々、官邸や東電本店の安堵した様子を映し出し、

米軍のトモダチ作戦、そして原作にはなかった吉田所長の葬儀(2013年)シーンにつなげて、静かなエ

ンディングとなる。まるで、事故が収束したかのような錯覚を覚える。
知っておくべき『Fukushima 50』と安倍前首相の関係
豪華俳優陣が熱演するドラマに水を差すようだが、日本テレビで映画が放映されるにあたり、あえて疑

問を呈したい。原作者が言うように、戦争世代と同じ使命感で原発の職員らがその場にとどまったのだ

ろうか。安倍晋三氏が言うように、戦後の教育方針にはない精神が彼らに息づいていたのだろうか。
そうではあるまい。人間として、最後までフェアでありたい、職責を全うしたいという本然的な倫理観が

彼らを突き動かしたのである。真っ暗で何もわからず、放射線は容赦なく命を脅かす。そんな状況の

もとで、何が国家だ、何が戦争だ。イデオロギーめいたものではなく、人としてのありようだけが、そこ

には存在しているのだ。この映画の成り立ちを考えるため、客観的な事実をあげておく。
映画のエグゼクティブプロデューサー、井上伸一郎氏(株式会社KADOKAWA副社長)が、昨年3月、

ネットニュースのインタビューで語ったところによると、もともとの企画者は俳優の津川雅彦氏(故人)

であり、角川歴彦会長に話を持ち込んできた。角川会長から「これを映画化できないか」と、門田氏の

原作を手渡されたのが2015年ごろだという。
津川氏といえば、熱烈な安倍晋三応援団の1人だった。2012年9月に発足した「安倍晋三総理大臣を

求める民間人有志の会」で発起人、2015年10月に発足した安倍首相直轄の有識者会議「『日本の美』

総合プロジェクト懇談会」では座長をつとめた。
津川氏は『Fukushima 50』の完成を見届けることなく、亡くなったが、この映画にはしっかりと政府のカネ

がついた。文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)である。いわば、安倍政権ご推奨

の作品というわけだ。原作者の門田氏は原発に残って苦闘した人々を、戦争をした世代と同じ使命感を

持つと見て感激し、作品にした。それは作家の自由だ。しかし一方で、『Fukushima 50』は歴史的重大事

を娯楽映画にする場合の危うさを浮き彫りにした。英雄と悪人の対立構図をつくるためか、怒鳴りちらし

て邪魔をする総理のイメージが突出し、かえって問題の矮小化につながってしまった面がある。むろん、

原発再稼働をめざすアベ・スガ政権にとってはそのほうが都合がいいのかもしれないが…。

 

https://www.mag2.com/p/news/489608

 

 

映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?
観客をミスリードする作り
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70707?page=1&imp=0

 

 

あの時菅直人政権に向けられた、憎悪にも似た国民の非難は、
政権交代後も安倍晋三前首相らの手で「悪夢の民主党政権」と何度となく繰り返され、

十分な検証もなく国民にすり込まれていった。
(中略)
 当時の菅直人政権に向けられた国民の批判は、もう惨憺(さんたん)たるものだった。
しまいには、原発を冷却するための海水注入を「菅首相が止めた」という、
わずか数日で誤報と判明した情報を機に、与野党を巻き込んだ「菅おろし」が始まった。
(中略)
▽災害、コロナ対応で落ちた自民政権の信頼
2018年の西日本豪雨で大雨特別警報が出され、約11万人に避難指示が出された日の夜、
自民党の国会議員約40人による懇親会「赤坂自民亭」で酒を酌み交わした安倍首相。
大きな選挙のたびに、安倍首相とともに官邸を離れて選挙応援に奔走した菅義偉官房長官。
民主党政権を「悪夢」と呼び、2言目には「危機管理に強い」ことを売りにしてきた安倍政権の

現実とはこんなものだったのか。
(中略)
まず事態の過小評価だ。「コロナは中国問題であり、水際対策でしのげる」と楽観視したため、

市中感染を防げなかった。
当然ながら、市中感染が起きた時の対応も、十分に準備できていなかった。
感染の有無を調べる検査態勢も、マスクや防護服などの医療体制も、あっという間に逼迫(ひっ

ぱく)した。すると安倍政権は、今度はその不十分な検査や医療体制を拡充する以上に
「不十分な検査や医療体制に合わせて患者の方を減らそうとする」挙に出た。
帰国者・接触者相談センターにアクセスする際に設けた「37・5度の熱が4日間」という「相談・受

診の目安」が良い例だ。厚生労働省が後にこの「目安」を見直した際、
加藤勝信厚労相が「4日間」をあたかも国民の「誤解」であるかのように語り、大きな批判を受けた

のも記憶に新しい。
安倍首相は「未曽有の危機を経験した今、緊急事態において、
国民の命や安全を守るため、国家や国民がどのような役割を果たすべきかを憲法にどのように位

置づけるか」などと述べコロナ禍を憲法の緊急事態条項創設の呼び水にしたい思惑をのぞかせた。
だが安倍首相は、賛否は置いても「今目の前にある危機には絶対に間に合わない」憲法改正には

熱心な一方で、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言など、
現行法を用いて現在の危機に対処することには及び腰だった。
最初の緊急事態宣言の発令は、国内で最初の感染者発見から3カ月近くたった4月7日。
の日の記者会見で安倍首相は、感染拡大防止に失敗した際にどう責任を取るかを聞かれ、「私た

ちが責任を取ればいいというものではありません」と言い放った。
緊急事態宣言は結局、当初予定の1カ月では感染収束に持ち込めなかった。
延長を余儀なくされ、地域にもよるが約7週間で解除となった。新規感染者はいったん減少したが、  
その後第2波の訪れが懸念されるようになると、安倍首相は通常国会の延長もせず早々に国会を

閉じ、そのまま約2カ月後、病気を理由に突然辞任してしまった。
(中略)
例えばあの原発視察。東電から事故に関する情報が何も入らないなかで、原発事故における住民

避難と地震・津波の被災者支援に向けた情報を得るため、自ら実情を確認しようとしたことは、そ

れほど責められることだったのだろうか。
避難所視察で怒声を浴びた菅直人首相がその後、声を上げた人のもとに立ち戻って話を聞き続け

たことや、その後の避難所訪問で5時間をかけ、すべての避難者の声を聞いたことは、あまり知ら

れていない。国民の痛みを実感せず、十分な支援策もなく、それを執行できる行政の事務処理能力

もないまま、国民にのみ口先で自粛を要請し、自らは「犬と戯れる動画」で国民との共感が生まれる

と信じ込んでいた安倍首相と比較して、少なくともどちらが、少しでも国民の苦難に寄り添おうとした

のだろうか。野党・自民党から批判された「自衛隊10万人投入」も、最悪の事態を想定して被災者

の人命救助に最大限の体制をとろうとした指示を、頭から批判できるだろうか。コロナ禍で事態を

過小評価し、だらだらと長期間にわたって国民に痛みを強い続ける安倍・菅義偉政権と、どちらが

ましなのだろうか。

https://this.kiji.is/742281793568669696?c=39546741839462401

 

 

東電社長・自衛隊機利用問題 枝野氏らが責任転嫁 「車を飛ばすのが当然だ」 実際には不可能
東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な状況に陥った3月11日夜、
出張先から東京に戻るため航空自衛隊輸送機で離陸した後、政府の判断でUターンさせられた問題で、
枝野幸男官房長官と北沢俊美防衛相は26日の記者会見で「清水氏は陸路で帰京できたはずだ」として、
政府の対応に問題がなかったとの考えを強調した。
実際には、東日本大震災直後に東海道新幹線は運行停止し、東名高速など主要道路も通行止めや
渋滞で利用できなかった。

 

https://megalodon.jp/2011-0427-0247-39/sankei.jp.msn.com/politics/news/110426/plc11042623410023-n1.htm

 

 

2011年の東日本大震災では、自衛隊の活動にも大きな注目が集まりました。発生当日から現地で

救援活動を始め、同時に原発対応にも当たることになった自衛隊員たち。そのトップとして、かつて

ない災害派遣を指揮したのが、折木良一統合幕僚長(当時)です。
あのとき、なぜ自衛隊は迅速に動けたのか。また、米軍や民主党政権とはどんなやり取りがあった

のか――。近現代史研究家の辻田真佐憲さんが聞きました。(全2回の1回目/ 後編に続く )
◆ ◆ ◆
阪神・淡路大震災の教訓が活きた
――3.11から、今年でちょうど10年が経ちます。今から振り返ると、過去の様々な災害と比べて、東

日本大震災ではすぐ10万人態勢を整えるなど、自衛隊の初動がかなり早かった印象があります。

それができた理由は、何だったとお考えですか。
折木 自衛隊はこれまで災害派遣を何度もおこなってきましたが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大

震災のときには、災害派遣要請が遅かったとか、自衛隊の出動が遅かったとか、そういう話もありま

した。それを機に、災害が起きたらすぐに出るという、即応体制の訓練をやって、自治体との連携も

とれるようになってきました。そうした改善が活きたという面はあると思います。
また、東日本大震災のときは震災そのものが大きかったので、「これは自衛隊が出なきゃいけない」

というのは、組織としても、それから各部隊としても、直感的に感じたわけです。だから、そういう面で

も動きが早かったのかな、と。当日で8000人くらい、それから約1週間で後方支援も含めて10万人態

勢を作り上げたんですが、平成16年(2004年)の中越地震などと比べると、かなりのスピードアップが

できたと思っています。
――被災地では自衛隊員が食事を優先的に被災者へ渡して、自分たちは冷たい缶詰を食べていた、

などという話がよく語られていました。国民に理解される、信頼される存在へ
折木 そうですね。そもそも自衛隊は、社会的に認められていないところから始まって、そこから国民

に理解される、信頼される存在にならないといけない、という意識がずっとあったんです。だからこそ

創隊の時代から、災害派遣の場面では真摯に、真剣に対応をしてきました。その姿が徐々に認めら

れてきたのです。なので、東日本大震災だけが特別だったわけではなくて、それまでの災害派遣やそ

れに伴う教育訓練、それから海外での活動などで培われてきたノウハウが、究極的に示されたのが

東日本大震災だった、と捉えています。

派遣期間も長くて、原発に関して言えば、年末の12月26日くらいまで災害派遣をしていたので、自衛

隊の姿がより皆さんの目に見えた、という部分もあったと思います。
――“缶詰の話”がある種美談として語られる一方で、折木さんは災害時こそ一人二役ではなく、二

人一役であるべきではないか……つまり、こういうときこそきちんと休みをとらせた方がいいとも仰っ

ていますね。ただ、そのためには我々や、もしかしたら自衛隊自身の意識も変えていく必要があるの

かな、と思うのですが、その点はいかがでしょうか。
次ページは:「3月いっぱいはちょっときつかった」

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/c39297817f3f3d90dedb40966bab75b4e9aeb118

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「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きてたいるんだ!」なるセリフを吐く現場の者と、

会議室の「知ったか」の錯誤が、以下のようなポスターを作らせる元だが、上の記事にみる限り、

「現場は辛いよ」の同情しか浮かんでこないし、反論が「伝聞」らしい書き込みには、ゲンナリして

しまう。

 

 

 

そこに「呉越同舟」並のあっち系が絡めば、「嫌がらせさせたら、天下一品の醜い体質」全開させ

て、震災被害を「祝ってみせる」離れ業も出来てしまうのだろう。

そんなへんてこ擁護のメディアの醜悪さは、「捏造記者やローソク・デモ」のみっともなさに気づか

ない人間性は似ているのだろう・・・。

 

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元朝日新聞記者の植村隆氏が、自身の従軍慰安婦問題に関する記事について「捏造(ねつぞう)

報道」などと書かれ、名誉を毀損(きそん)されたとして、研究者の西岡力氏と文芸春秋に損害賠償

などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は12日までに、植村氏側の上告を退ける

決定をした。11日付。植村氏の請求を棄却した一、二審判決が確定した。

 


西岡氏は週刊文春などで、植村氏が1991年の新聞記事で元慰安婦の女性の経歴などを適切に報

じなかったとし、「捏造記事と言っても過言ではない」などと批判。植村氏は名誉を傷つけられたとして、

記事取り消しや慰謝料を求めていた。
一審東京地裁は2019年6月、植村氏は女性が日本軍に強制連行された認識がなかったのに「戦場

に連行された」と報じたとし、「意図的に事実と異なる記事を書いた」と認定。「従軍慰安婦は国際的

な問題となっており、(西岡氏の)表現の目的は公益を図ることにある」として、賠償責任を否定した。

二審東京高裁も20年3月、地裁の判断を追認した。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/ac16baab19e7405ce81c965d36a567abd56ba7ea 

 

 

 

文在寅の「もみ消し」がまた…!
韓国の若者の意識が急激に変化している。不動産価格の高騰は若者の「持ち家」の夢を奪った。

いくら勉強し勤勉に働いても富を蓄積する可能性も遠のいた。若者の不満は高まっており、社会の

公正が最大の関心事となっている。
そうした中で、韓国土地住宅公社(LH)や地方自治体の職員が新都市計画の情報を事前に入手し、

不動産を購入して暴利を得ているとの疑惑が高まった。これに対し文在寅政府は、この事件の捜

査から、検察と監査院を排除し、国土交通部による自前の調査でお茶を濁してきた。

そうすることで、事件のもみ消しに時間を与えたとの疑惑がもたれている。
これは文在寅政府がこれまで疑惑がもたれるたびにもみ消してきた体質が露骨に出たものであり、

特にソウル・釜山の市長選挙を前にこの事件が拡散すると選挙で与党に不利に働くとの懸念が高

まっていることも考慮した時間稼ぎの側面もあろう。
これまで文政権の腐敗もみ消しは一応成果を上げてきた。しかし、今は一昨年までとは違い、社会

の公正に対する意識が格段に高まっている。
いい加減な疑惑隠しで国民の反発を乗り切れるのか、仮に市長選挙では乗り切ったとしても、来年

の大統領選挙までには文政権の腐敗体質は一層鮮明となるだろう。
尹錫悦氏が検事総長を辞任し、次期代大統領選挙に最も期待される候補に躍り出た。これまでは

文政権の腐敗体質があっても、野党「国民の力」に有力な大統領候補がいなかったため、文政権の

独裁体質は揺らがなかったが、政権捜査を直接指揮してきた尹錫悦氏が対抗馬となってきたことから、

文政権の腐敗体質はより一層大きな政治争点となっていくであろう。
文政権は困ったことが生じたときには、国会の数の力で民主主義を無視するような法律を通して、批

判封じを行ってきた。韓国社会はこうした左翼の独裁体質をいつまで許すのであろうか。
「不公正」に怒る韓国国民たち
「反日」から「不公正」に関心が移ってきた photo/gettyimages
 中央日報によれば、国家未来研究院の依頼によりビッグデータ専門企業のタパクロスが1億1147万

件に達するビッグデータを分析した結果、経済分野の核心価値で「公正」が占める割合は2019年の

10.3%に比べ20年には32.0%と3倍以上に大きくなったことが判明した。2019年までは経済問題に関

する第1位は「日本製品不買運動」、2位は「日本輸出規制などの経済報復措置」であった。
しかし、不動産価格高騰による経済的不平等問題が浮上し、公正が持つ重要性は格段と大きくなり、

意味も変わってきた。不動産、株投資、不動産賃貸借、借金しての不動産投資など不動産・株式関

連の話題が上位を占めた。
ソウル大学社会学科のチョン・ドクジン教授は「過去には熱心に勉強し、いい職について働けば十分

に望むだけの富の蓄積が可能だった。だが今の若者は、そうした機会そのものが消え社会の公正性、

階層移動のないことに関する不満が大きくなった」と分析している。
同記事によれば、今の若い層は韓国の歴史上、親の世代より貧しい最初の世代と評価されていると

いう。これは「月給が上がるより住宅価格・チョンセ価格がさらに大きく上がった不動産政策失敗の問

題」と言われる。不動産を購入できない若い層にとって株式投資がおカネを増やせる「唯一の希望」に

なってきている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b4e419e3f3425864e3e55b0c0590a5f85016100a

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さてさて、かの国ではリーダーはへまをやったら「一人に責任を押しつけて、それ以外チャラ」の恒例の

決し方でごまかすか・・・。

で、記事を読んでの録画していた映画を見てみた。

 

 

 

 

「フクシマ五十」 二十年公開作

十年前の震災時の「原子力発電所」の危機に立ち向かった人々の、特に現場の人達の苦悩と奮闘を

描いた震災パニック映画。

こういった類いのものは、作り込む「エピソード」にゲンナリしてしまうのが多いので、公開されようが

見る気を喚起させないのだが、上の様な記事を見ていると、では見てみようかと相成っての観賞と

なった。で、現場の人々の立場やらを斟酌しても、良く頑張ったとは思うし、ある程度「死を意識した

現場」感は、役者のそれで、良く伝わってきた。

それで、ではその時の日本のリーダーと言えばの描き方は、一応慎重だが、現場の憤慨の様を見れ

ば、政治の問題を除いても、あの阪神・淡路震災時の「何事にも、初めての体験なので・・・」を、言い

訳を宣ってくれたリーダーと共に、「こりゃ、だめだ」の感想しか出てこない。

もちろんそれは私企業のリーダー達と共に、「現場との乖離」がはっきりして、保身に走る政治や役員

と、決死の現場との落差にこそ、「人の命の重さ」の感じ方の違いが現れていて、覚悟の違いがひしひ

しと伝わってくる出来は、役者の努力や演技の賜物かもではある。

これをプロタガンタとかに歪曲してしまうメディアの偏狭な思考法にこそ、ミスリードのそれであろう。

なかなかに作り込んでいると思える出来の映画で、ラストシーンはきっとあの「桜並木」なんだろうなと

予想がついて、やっぱりとにんまりしてしまった。

これを人を騙すや政治関連に紐付けする歪んだ人々の精神には、「こりゃ、だめだ」の烙印が押される

ものと再認識した。

結果的に「桜は桜のまま、咲き誇って人を癒やす存在として、そこに咲き誇っている」そこに邪心の心持

ちの人々が「押し通したい主張」を感じ取れば、「以前は人であった者が、鬼化」というそれぞれのストー

リーも存在してしまうのかも・・・。

で、こんな上の様な「変な擁護や違った批判」などで、気分が悪くなれば、以下の様な動画で、それらを

さらりと忘れ去るのが、健全な精神を保つ秘訣かもと・・・。

 

 

これなど、この物語の最高の場面をみる女性の表情を見ているだけで、癒やされる。

声だけでも感動するという「声優の力量」には敬服するし、何よりパックで流れる音楽の

魅力も全開である。

この楽曲を違った映像に合わせる編集も、なかなかである。

 

 

映画での現場の苦悩と背中合わせの死は、戦争時でも同じであったろうと、経験のない者にとって、

想像するしかないのだが、実際、それらを斟酌してくれるのが、実際は上に立つ者の責務で、「責任は

俺がとる、おまえ達は行動履行のみ」とやれば、「死に方用意」も覚悟の仕方となる。

もっとも艦の長が、先に逃げたなんてのもあった事象を鑑みれば、さてさて上の者に忠誠を尽くせる

かは、はなはだ疑問も浮かぶが・・・。

ただ、この物語が日本で人気になるのが、なんとも何度も言うが「古き良き時代の価値観」の見直し

なのではとなると・・・。これまた「進歩的?人間」には、きっと馬鹿にされるのだろう。

 

 

 

これなども動画編集の妙を感じる。

 

                               といったところで、またのお越しを・・・。