見ようによっては、一人の男の悲哀「ブラット・バイター」と無国籍家族の感動強要の盗人一家のげんなり | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

一騒動あったカンヌ映画祭の大賞をとった作品だが、それへの賞賛よりは違和感が溢れる作風に

対して「まっとうな批評」を書き連ねるマンガ家の的確な言論は、なかなかに世の中のおかしな

動きを捉えていて「現状の日本の歪み」を一本の映画で見せているようだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんにちは、中国人マンガ家の孫向文です。
最近ニュースにもなったカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞した「万引き家族」を観賞して

きました。

映画の最後のクレジットに「是枝裕和監督原案、監督、脚本、編集」とあり、さらに「文化庁の助成

金」とちゃんと書いてありました。

つまり、この映画は国民の税金である文化庁の助成金を使い、是枝総監督の完全なる個人的メッ

セージを伝える映画だったのです。
以下は、今回映画を観て、僕自身の私的な感想であることをお断りしておきます。
まずはざっくりと内容を紹介しましょう。

 


(中略:とにかく汚い日本人像!、価値観は歪んでる万引き家族の人々を見る第三者目線の欠如)
家族全員は複数の偽名を使い分けています。それは国家が管轄する「戸籍制度」から逃げるためです。これではまるで在日外国人の特有の「通名制度」のような考えにすぎません。さらに言えば、左派層

が主張する「日本の戸籍制度を廃止しろ」とも一致してます。

これは例え、犯罪事件が発生した時、警察という第三者目線から見ると、戸籍が無いことが原因で、

捜査に支障が出てしまいます。
息子はこんな「窃盗生活」が嫌になり、ようやく児童養護施設に入れるとなった時、父の柴田治とは

2度と会えないと分かりました。

そのとき彼は「やっぱり血の繋がりのない父はダメか」と嘆きました、日本の法律では合法の養子縁

組はまったく問題ありません。

しかし、こんな犯罪者との“養子縁組”だけは許されないことです。つまり、自分の犯罪を逸れて、日

本の「血縁社会制度」を闇に葬ることになりかねません。これは児童養護施設という第三者目線か

ら見ると、子供が犯罪グループから保護されたことで良かったです。
以上の表現が、なぜ「共感できなかった」かというと、この万引き家族の異常行為は、第三の選択肢

を完全に無視しながら、第三者目線から客観視してないため、あくまでも是枝監督は主人公に注ぐ

主観的に感情描写に過ぎません。この映画を観て全体的な思想は、「国家権力が人を裁く理由が

勝手すぎる。万引きは生活のため、誘拐は児童保護のため、死体遺棄は戸籍制度の存在が悪い

から、家族の絆を維持するため、金銭が悪、権力者は悪」という左派層の「無政府主義」である反権

力思想そのものにしか見えませんでした。

 


実は共産主義丸出しの作品…
この映画を観ていて、感動した、泣きそうだった、というシーンや名ゼリフは一つもありませんでした。

視覚的な衝撃だけの後味の悪い映画でした。『世にも奇妙な物語』という娯楽的なジャンルとして見

るのはいいですが、この映画が、権威あるカンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞して、上から目線

で日本社会の問題を説教するような作品ではありませんでした。
結局、作品のテーマは、「血の繋がりのない養育の親に感謝するべき」ということなのでしょうが、こ

の映画が、果たして文化庁の助成金を貰ってまで作る価値のある映画だったのでしょうか? 是枝

裕和監督は、自らの映画製作に協力してくれた「血の繋がっていない親」である文化庁と日本政府

に対して、「権力と距離を置く」と言い捨てて、感謝してないようです。さらに「我々の窃盗行為と他人

の子を拉致で家族の絆を結んでいる方が、裕福で愛のない家族より幸せだ。世界一幸せなんだ」

と言わんばかりですが、これではまるで北朝鮮の言い分としか思えません。まさしく是枝監督自身

が共産主義思想を丸出しにしたの作品だとしか思えません。
ViewPoint<パルムドール受賞の「万引き家族」は、まるで北朝鮮政府の言い分のよう!>一部抽出

 

https://vpoint.jp/column/116703.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

とまあ、行き過ぎた思想を背景にすれば、観客はそれに戸惑う。

だけに感動作とは言い難く、何かの代弁としか思えぬ作品でも、選者によれば「いい作品」と

して評価してくれる。あるいはシンパシィーを感じるから絶賛すると・・・。

以下のような立ち居振る舞いを是とすれば、そりゃ何でも出来る。

 

 

こういったマンガになれば、そこはかとなく「安っぽい主義」も、クスクス笑えて、世迷い言を

言う人を「内心の自由」で、心の底から軽蔑できる。

 

長い鑑賞時間を経ていなくとも、こんな歌の方が主張する思いがダイレクトに伝わる。

となれば、「映画の手法」も、流石に歌の持つ威力には勝てない。

というか、映画の魅力を偏狭にしてしまうと、「観客から敬遠される」という賞を取ったから

とかよりは「観客の反応」こそが、制作者側はより熱心に心を傾けなれば・・・。

 

まぁ、映画は観た人の感想がすべてで、うんざりさせられるのでは、記憶に残ることもなく、

賞を取った記録は残っても、記憶からは消えていく運命・・・。

 

で、そういった記憶に残らない作品と、本来の怖さとは別に主人公が不憫になることで

記憶に残るなんてのがあると、なんだかホラー映画の「理不尽の運命」も哀愁に満ちて、

奇抜なアイデアも「人の運命の哀愁」が記憶に残るなんて・・・。

そんな不運の主人公として、「ブラット・バイター」の左手はなんだか可哀想・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラット・バイター」 九十二年公開作

米題は続編でもないのに、続編らしい題名も付けてのものだが、あっちは水で、こっちの設定が

核実験の影響で変異を来した毒ヘビが、その毒に変化が起きて「噛まれるとヘビに変身」とかの

むちゃくちゃなもの。

何しろ噛まれた左手がヘビに変身していくとか、そこからヘビを誕生させるとか空前絶後の

進化論が展開されて、映像の暗さと汚さとで、強引にラストへと突き進む。

 

 

 

そのワンショツトものからも、なんだかこの主人公、可哀想な対象として、ここまで不運な

男もいない・・・、何しろ追っかける恋人は逃げ回るし、徹底的に嫌われまくる。

もっとも左手がヘビだしでは、そして口からヘビが出てくるとか「化け物」と化しては、人間とは

思えるものではないしで、その奇抜なアイデアも相当にいかれた人しか怖がらない作品。

ただ噛まれただけの男の不遇は、なんとも哀愁が漂うみたいで、ラストはほっとしているの

だから、そのむちゃくちゃの展開よりも、主人公の左手、可哀想・・・。

何しろ最後はあごが割れて「ヘビに変身」させられるのだから、怖さよりは怠惰過ぎる展開の

制作者側の「その場の盛り上がりだけと、主人公を徹底的にいじめ抜く心意気」はげんなり

させられて、「終わったかい」と、見終わってほっとしてしまうのだから・・・。

見なけりゃ良かったって、映画の鑑賞法として間違っているか・・・。

で、左手がで思い出したのが、以下のような曲。

 

 

 

こういう詞を書ける才能も、上の「ホラーや、犯罪やらよりも」数段優れている。

こういう前向きな姿勢は、障害の人の心にも響きそう・・・。

モデルがあってのものだろうが、その「見たこともない何々」という語句の凄さは、手という

楽器の必須のアイテムだからこそ、より響いてくる。

 

そうそうそういえば、以下の人も「指に欠損」があるのに、なんとも弾きこなす様を見ていると

感心してしまう。

 

 

 

にしても「賞」をとったとかよりは、心にしみる映画でないと、曲の威力に簡単に負けてしまう。

そこんところ、まっしと考えないと斜陽はいつまでも続く。

もっとも「奇想天外のホラー」ってのも、貶されながら愛されるとかの魅力は一部の人には

受けているのだから、なんでも「一生懸命」つくりゃ、記憶にのこることもありかも・・・。

 

 

 

                       といったところで、またのお越しを・・・。