独立独歩道険しく、それでも信念が花開く「キャデラック・レコード」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

寄生という状態が心地良いのか、はたまた「属国根性剥き出し」のさもしい
性質ゆえか「特定国の博覧会」と化している現地人民間主催のフェアに、また
また「押しかけてぶら下がる」手法が横行して・・・。
それについての「非難」が高まれば、なんとか論点をずらして・・・。

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韓国のコミュニティーサイト「ガセンギドットコム」の掲示板に
「7月4日からパリで第14回ジャパンエキスポ!問題は韓国…」とのスレッドが
立てられたところ、韓国人ネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
スレ主は、7月4日からフランスのパリで開かれる第14回ジャパンエキスポの記
事を取り上げるとともに、日本のネットユーザーのコメントを紹介した。 
日本のネットユーザーの反応として「どうしてジャパンエキスポなのに韓国が
混ざっているのか」、「またチョンの無賃乗車」、「ジャパンエキスポは、日
本の文化をテーマにした、フランスの展示会です。名前からも分かるよね。
もともと完全に韓国とは関係のないイベントなのに」、「アジアの文化を紹介
するイベントではないから。文句を言うというより言いがかりだ」、「ジャパ
ンエキスポにわざわざ韓国人が来る必要はない。お前ら日本が嫌いなんだろ?」
など、 否定的な反応が数多く見られた。
スレ主は、日本のネットユーザーの反応を見て、
「いつからジャパンエキスポに韓国ブースが参加したのかは分からないが、も
う一つ理解ができない。
ジャパンエキスポなのに、なぜ韓国ブースがあるのだろうか。
韓国がブースを設置しているのだろうか、それともフランス人?やはりコメン
トは韓国叩きがほとんど」と、感想を漏らした。

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 一方、韓国のネットユーザーからは、
「あまりにもK-POPの人気が高いから、日本が作ったブースなのに」、「日本
人がK-POPを自分たちのものだとパクった、それがばれるのが怖いの?」、
「日本だけで商売ができないから韓国のブースを入れてK-POPに助けてもらっ
ているのに」、「韓国のブースがないと興行をできないからでしょ」
として、日本の反応に反発する意見が並んだ。
また、「日本がお金を出して韓国の広報をしてくれている。COOL JAPANは
本当にクールだね!」、と揶揄(やゆ)する人もいた。
さらに、「日本が他国の文化アイテムを利用して私腹を肥やすのは昔から」、
「フランスでK-POPが日本のサブカルチャーに転落したという証では」、
「もう韓国ブースを撤収したらいいのに」とさまざまな意見が飛び交った。
ジャパンエキスポに韓国ブースということについては疑問が残るものの、K-PO
Pはフランスでも注目を集めているようだ。
(編集担当:李信恵・山口幸治)

サーチナ
http://n.m.livedoor.com/f/c/7742175
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K-POPはフランスでも注目を集めているようだ。
もともと「アニメ・フェア」としての開催を目的にしていたものに、なんとか寄生
しようとして「マンファ」なる言葉で攻勢を掛けたが、全く相手にされずで、
それならと「国策的商業主義音楽」を、なんとか広めるのに、よそ様に寄生して
でもとやるのだから、「流石に恥の概念欠落」した人々は、極端にサモシイ・・・。
その「大人気」なものの経年劣化はいかほどか、何年か経って「記憶している人」
が存在するかと考えれば、その音楽的文化の「程度」も知れるものだろう。
こと、音楽に対しての「不遜すぎる態度」には、基礎的ルーツが今一分からぬ
国のものなど、一瞥の価値もないのは、自分達の文化の成り立ちに対しての姿勢に
敬意が含まれないからだろう。

何より「ポップス」という大衆音楽に、いろいろな要素を取り込み発展させてき
たのは、やはりアメリカの、それも黒人音楽が多大な影響を与えたのは誰も異論
を挟まないだろう。
そんな「音楽の変革」のルーツのひとつが、シカゴ・ブルースを広めたレコード会
社にあったのも、歴史の中にしっかり刻まれている。
そのシカゴ・ブルースの発端としての「チェス・レコード」の軌跡を取り上げたの
が「キャデラック・レコード」という映画である。


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「キャデラック・レコード」 〇八年公開作

ポーランド移民の人と、南部から出てきたブルース・マンとの共同作業から
徐々に発展して「注目を浴びる音楽」としてアメリカの音楽変化に寄与した
人々の「苦悩とジレンマ」を、社会情勢と共に描いている。
黒人音楽の先見性と音楽的特異性が、それまでの「白人音楽」に物足りなさ
を感じていた人々を熱狂させ、それに影響受けた若者がどっと支持を示して
音楽的変革を受け入れて・・・。
という「凄いことを成し遂げた人達の物語」は、粗野でどん詰まりの「貧困」
とから始まり、やがて信じていた音楽が大衆に受け入れられて、ただ売れた
ことで生まれる「軋轢」もと、大衆音楽のもつパワーと黒人音楽の持つ「不条
理な境遇」に対する「真にこもった訴え」が、耳に心地良い音色となって、
演じる者達の「ジレンマ」と関係なく受け入れて貰える偏見のなさも、また
大衆が作り上げていった場面を描くことで、音楽で変革させたという自負も
さりげなく描いて・・・。
ただ、これは資金提供の影響か「女性的視点」が覆いかぶさり、シカゴ・ブル
ースの白人浸透などをすっ飛ばして、ビヨンセ演じる女性歌手に焦点を当てて
しまい、チェスの成り立ちの凄みが、どこかピントがずれて・・・。
何よりこの会社的には「チャツク・ベリー」がいたからのはずだが、そこは外
野に追いやられてと、いまひとつ成り立ちからのプロモートが忙しすぎて、通
り一遍の変遷になっていたのは残念である。
まぁ、それでもマディー・ウォーターズの良い人ぶりが良かった。
映画の中のエピソードに「バクリ問題」が出てきて、ついつい笑ってしまう。




「リトル・シックスティーン」
アメリカ社会の歪みと、イギリスの若者の違いが、カバーという手法と、「バ
クリ」と、当時の空気はやはり「白人優位」が蔓延っていての、ちらりと社会
批判も・・・。で、バクリと名指されたものがこの曲で・・・。




「サーフィン・USA」
歌詞と編曲によって、違った魅力を放つのだが、そこは楽曲的には「バクリ」
と後に認定されるもの・・・。
で、そこらは白人対黒人という対立もありと・・・。




「ジョニー・B・グッド」
チャツク・ベリーの代表的な曲も、「訴訟を受ければ、皮肉」も言いたくなる
とばかりに・・・。



「パサディナのおばあちゃん」
仲間うちで、こんな揶揄した曲も出来上がる。
それでもこの「ビーチ・ボーイズ」は日本製品の良さを楽曲にするから、
なんとも・・・。



「リトル・ホンダ」
この「スーパー・カブ号」に対する楽しい楽曲の様は、実際に乗った感触を
素直に歌したようで、聴いていて楽しい。



「ヘルプ・ミー・ロンダ」
こちらもその「ホンダ製品」に対する愛情の証みたいだが、そこは音楽業界の
軋轢があり、「ホンダ」二作ってのでは、他のアメリカ・メーカーからクレーム
が来そうで自主規制したように無理矢理「R」をつけて女の子のようにして・・・。

と、六十年前の音楽変遷を描けば、そこは多少なりとも脚色されるから「ブルー
ス」も、それなりに受け入れられて、また当時の雰囲気と懸命さには、売れる
ように働きかけが「プロモートと歌手の軋轢」を生み、純粋な音楽活動ととともに
悲喜こもごもの裏事情を見せて、音楽の魅力に味わいを加味してくれる。

さて、ルーツを訪ねれば「大人気」のバクリの音楽は、一体どこから来て、どこへ
消えていくのだろう。かつてそんなものもあったなぁという懐古としての記録しか
残らない寂しい成り立ちの商業主義は、さてどうなのだろう・・・。