けのこ状態で「わらわら湧いてきた戦争性被害者」の弾劾も、段々怪しいもの
となって、戦争時における「慰安」の形態が明らかになれば、当然に「謝罪と
賠償」を言い募る「かの国」でも、それらは当然行われていて・・・。
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大韓民国で売春は違法だが不法ではない。歓楽街の一画に派出所が共存する奇
怪な風景は我が国で目新しくもない。このような乖離はどうして生じたのだろ
うか?
これに答えるためには先ず国家の二重的売春政策を見る必要がある。パク・ジ
ョンミ漢陽大HK研究教授(社会学)が今年書いた論文「韓国売春政策に関する研
究」は売春に対する国家の意図的沈黙と統制過程を暴いた。400ページを越える
分厚い論文の中で大韓民国政府は売春に一方では違法の烙印をおしながら他方
では放任し、時には積極的に‘女衒(ぜげん)’の役割までした。
国連軍のための慰安所運営
売春を巡る国家の二重的態度は1946年の米軍政期まで遡る。日本帝国主義を追
い出した米軍政はそれまでの植民統治との違いを打ち出す必要があった。
1946年5月17日に宣言された「婦女子売買または、その売買契約の禁止令」は
そのような背景から出された。公娼制を維持した日帝とは明確に一線を画する
措置に見えた。新生国家の市民たちはこれを歓迎し、1946年5月28日付<東亜日
報>は朝鮮が解放された以上…遊郭の女性たちが解放されなければならないのは
当然のこと」と報道した。
実際の米軍政の意図は違った。ロツィ軍政長官は「(禁止令が)公娼の廃止ではな
いのはもちろん私娼には何の関係もない。 …自分自身が自発的に結んだ契約下
で従事することは問題ない」と明らかにした。すなわち個人が他意によって売春
させられるのは違法だが、自発的に売春をするなら公娼であれ私娼であれ関係な
いということだ。米軍は反対に日本強制占領期間から維持されてきた接客女性を
対象とした登録・検診関連規定をそのまま維持した。米軍政の関心は韓国の売春
女性と接触した米軍人の間で広がる恐れがある性病を統制することに限定された。
公娼制度を公式に廃止したのは新生国家の立法府であった。南朝鮮過渡立法議員
は1947年8月「公娼制など廃止令」を通過させた。「売春禁止主義」を法として
明らかにした最初の事例であった。 ところが法の力はあまりに弱かった。 1948
年1月<京郷新聞>は「予算は皆無の状態で、中央庁に対し国庫補助を要請したが
これも見込みがなく嘆くばかりだ」と報じた。
戦争を経て国家は自ら法を破った。政府の1956年資料を見れば、陸軍本部はソウ
ルと江陵など4ヶ所で慰安所を運営していた。 資料で確認された‘慰安婦’ 数は
79人だった。1952年、この女性たちを訪れた男性は延べ20万4560人だった。
陸軍本部は「(兵士が)異性に対する憧憬で起きる生理作用による性格変化などで
うつ病およびその他の支障を招くことを予防するため」と趣旨を説明した。
チェ・ミョンシン将軍も回顧録<死線を越えて又越えて>で「当時、我が国の陸軍
は志気高揚のために60人余りを1個中隊とする慰安婦隊を三、四カ所運用した」と
書いた。
政府は国軍だけでなく、国連連合軍のための‘慰安所’も運営した。<釜山日報>
1950年9月の記事によれば、馬山市が「数日内に市内で連合軍の労苦に報いる連
合軍‘慰安所’ 5カ所を新・旧馬山に設置することになり、これの許可証をすで
に発行した」。当時の政府保健婦防疫局が出した「清掃および接客営業衛生事務取
り扱い要領」資料にも連合軍慰安所と慰安婦に対する指示事項が含まれている。
政府が売春を斡旋した‘女衒’の役割をしたと証言する文書は悲しいことに多数
溢れていた。

米軍の代わりをした日本人‘キーセン観光’
1960年代に登場したパク・チョンヒ政権は‘革命公約’で売春取り締まりを強化
すると公言した。 1961年に制定された‘売春行為等防止法’は新しい政権の意
志を示した。21条からなる売春行為防止法は国家の売春禁止原則を再確認したも
のだった。しかし翌年6月、保健社会部は全国104カ所に売春を許容する‘特定
地域’を設置し、その内 9カ所をソウルに割り当てたと発表した。一つの口から
二つの言葉は簡単に出てきた。
国家はなぜ売春禁止原則を守れなかったのだろうか? 1961年交通部企画調整官室
が出した公文書を見ればそこに答がある。公文書は「現在、我が国で最も容易に誘
致できる観光客は駐韓国連軍」として"外国人相手ホステス"を対象に教養講習を
推進するという内容が含まれている。当時、米軍兵士は主に日本や香港に休暇に
出かけていた。
1961年3月13日<東亜日報>は“我が国により多くの外貨を落とさせるという見地
からすべての消耗品を国産で充当することが理想的かもしれないが…酒も外国酒、
裸になった女の子も外国のお嬢さん、その上外貨まで使うとは…”と嘆いた。
国家の先決課題は‘裸になった女の子’を‘国産’に代えるということだった。
1962年4月25日付<ソウル新聞>はソウル市警が“4千人に及ぶ観光接客営業所
(ダンスホール・キャバレーなど)のサービス ガールたちに対する接客業務教育を
実施”したとし、その理由が“外国人により効果的なサービス”を提供するため
のものだったと報道した。
1966年<新東亜>の記事はもっと率直だった。“洋公主(欧米人相手の接待婦)が持
つ巨大な力がある。
日陰に咲いている彼女たちは皮肉にも我が国の国家政策の至上課題になった感のあ
る外貨獲得の一つの担い手になっている。”<新東亜>は当時全国190カ所の国連軍
専用ホールから出てくる外貨が1年に1千万ドルに達すると推定した。1966年当時、
我が国が貿易で稼ぐ外貨は2億5千万ドルだった。
1970~71年、駐韓米軍の規模が1万8千人減った。 政府は非常事態になった。1971
年8月、内務長官が各警察に送った公文書で“保健当局と協力し慰安婦の性病予防策
を講じ…教養を強化”しろと指示した。ところが去りゆく米軍を捉えることはでき
ない定めだった。米軍の空席は‘キーセン観光’をしに来た日本人が満たした。
1965年、韓日修交が契機だった。 キーセン観光が絶頂に達した1977年に韓国を訪
れた日本人の96.8%は男性だった。経済成長に没頭した政府は観光収入と観光客目
標値を提示した。
旅行斡旋業者にも‘割当量’がくだされた。目標を達成できなければ各種恩恵が消
えたり、甚だしい場合には許可が取り消された。1979年<新東亜>は“脱線観光がき
わめて当然に当局の黙認の下に成り立つ。 …妓生パーティーはほとんどすべての
日本人観光客らに提供された”と報道した。 もちろん政府も継続的に一役買った。
1972年ソウル市の資料を見れば、基地村接客営業所女性512人、観光料亭接客営
業所女性1795人を対象に教育した記録が残っている。
(後略)
キム・ギテ記者
ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大韓民国政府が抱え主だった
http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/30838.html
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長い文章の内容は、戦争中の「売春」には「斡旋業者の暗躍」があり、そこに
悲喜こもごもの「出来事」があったろうが、そして「かの国」における売春が
外貨獲得としての手段であったも、今更の情報なのだが・・・。

売春に付き物が「女衒」と呼ばれる職業の斡旋業者で、これは「売春宿」を仕切
るのに、また商品としての「女性」を守るためにも必要悪として存在していた。
と、まぁ、ありていに「かの国」でも、同じシステムが存在していて、あちらは
今も外貨獲得に暗躍している現役である・・・。
もっとも性風俗は世界各地にあり、これが廃れるは即性犯罪急増に繋がりかねな
いのだから、暗黙の了解事項化しないと・・・。
もっとも「タカリに利用」するのには、なんとも「抗弁がつきにくい」事柄であ
り、まして下半身の不祥事は社会的批判の対象として社会的抹殺の憂き目・・・。
そういった負の遺産も、違った見方をすれば「生きるのに必死」だからこそ、その
バイタリティーは物凄いとなる。
特に日本の敗戦からの立ち直りにおける、忘れ去られたかの「売春婦」という存在
に焦点を当てれば、そこに息衝く「生きる力」には負けはしても、立ち直る原動力
は、とても力強い・・・。と、まぁ、売春婦のバイタリティーを描いてそこに活写
される「性の善悪」を超越した存在としての「売春婦」の苛立ちと孤高の独善には
目を見張る凄みがある。そんなものを活写していたのが「肉体の門」である。

「肉体の門」 六十四年公開作
田村泰次郎原作の映画化。
敗戦後の混乱と無秩序と化した都の片隅で、生きることに対する凄みを見せる
「売春婦達」の活写が、その負の抗のエネルギーとして映像に熱気と粘りつく
湿気と「人間の営み」としての生活ぶりが見事に出ている。
特に新人ながら「目力」の素晴らしさと、野生的オーラがずば抜けて目を引く
のが野川由美子である。

その職業的投げやりさと生き抜く力強さは、表情を輝かせていた。
まぁ、これを撮ったのが鈴木清順だから、より女性の勇ましいそれでいて
「生き行く」意識の強烈な発露は、映像美として見終わった後清々しい。
「売春婦」の物語でも、心の活写は映画の中に描かれているから、負の遺産
でも人間が「生きた証」としては、優れたものであった。
そしてこの監督と女優のコンビは、またまた強烈な生き方をした「戦中の売
春婦」の物語りを撮っている。


「春婦伝」 六十五年公開作
こちらは中国を舞台にした戦中の「売春婦」と兵士の物語・・・。
とはいっても、勿論主演の野川由美子の演技に引っ張られて、軍隊よりも壮絶
な生き方を求めた「炎の女」としての存在感が、軍隊の規律もなにも・・・。
そのくせ「意中の人」に対する態度は、純真な態度と「売春婦」の体と心の毅
然とした立ち居振る舞いに、やはり凄みが見えてくる・・・。
とまぁ、「売春婦」とかの職業と、政治利用される「慰安婦」の相違には、何
があっても「こころを失わない」毅然としたプライドの凄さと、それに反して
「嘘でも同情されたい」卑屈な態度との落差に、人間としての意味での「哀れ
さ」を感じてしまう。
日本でも経済的困窮から、海外へ「売春」としての「生きる道」を求めた女性
も多々いて、それらを「カラゆきさん」と呼ばれていた。

「カラゆきさん」
そういえば、こんな呼び名のグループもいたなぁ・・・。
現代のそれかと、錯覚しそう・・・。
ただ、こういったものに対して、戦前も戦中も「心の交流」はあるのだ。
そこらへんを曲解すると、なんら男と女の不思議な仲を理解できないかも・・・。
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慰安婦と戦場の性 (新潮選書)/秦 郁彦

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といったところで、またのお越しを・・・。