「蛇」は愛玩動物化するものか「恐怖ヘビ地獄」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

この世の中には、「毒蛇」をペットとして飼う人もいて、愛情を持って接していても、

飼い主が噛まれるという報を読むのに及び、失礼ながら「どこがいいのか?」の感想が

頭をもたげてしまう。

意思があるいは通じるかも知れないが、野生の習性もまたそう簡単に退化するとも

思えない・・・。

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スウェーデン南部のMalmo"で、40歳の男性が自宅で飼っていた
猛毒を持つ大蛇に腕を噛まれた。男性には、
この蛇を飼う免許を持っていなかった疑いが持たれている。
スウェーデン南部のMalmo"で、男性(40)が自宅で飼っていた猛毒を
持つ大蛇に腕を噛まれた。この男性が飼っていた蛇は、最大2メートルにもなる
「ガボンアダー」という種で、世界で最大の毒牙を持つ事で有名だ。
この蛇に噛まれると、適切な処置を行わなければまず助からないと言われている

この男は幸いにも自分で処置を施し、そして病院へ駆け込み無事だった。
ちなみにこの男が蛇に噛まれて病院に入院したのは、これで2回目だという。
このガボンアダーは現在Malmo"のFolkets Parkで保護されており、また、
この男性がガボンアダーを飼う免許を持っていなかった疑いが持たれており、
警察は捜査を進める見通しだ。
(TechinsightJapan編集部 新谷友海)

ソース:Techinsight 2010年7月25日 16:30
http://japan.techinsight.jp/2010/07/snake_1007250119.html

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こういう報に接する時、免許の有無が問題になり、それを無視して「好きだから」

と飼い始めて、自己責任で自己犠牲ならまだしも、それがもし外にでも放たれて

一般の関係ない人が、そのヘビに噛まれたら・・・。

その危惧がある限り、毒蛇はペットに不向きなのでは・・・。

で、映画でも「ヘビ」ものは、動物パニックとして相当な本数、製作されている。

中には「ありえねぇ」というものも含まれるが、上の記事のようなヘビと仲良しに

なって、ペットとして「名前」までつけて、結果的には・・・。

原題「スタンリー」とヘビの名前で邦題は「残酷ヘビ地獄」と、本人側と傍観者側

と題名の相違がアメリカと日本の動物」に対する感性の違いかも知れない・・・。



流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=X7zNuJFx-og

「残酷ヘビ地獄」 七十三年公開作


原題が示すように、ペットとして友情以上の感情を寄せる蛇と孤独な青年の係わり

合いと、野生の習性に「受けた恩」はない。人間並みの愛情を注いでも、相手はそ

れを感じていない皮肉な結末も用意され、あの奇妙な音を立てる「ガラガラヘビ」の

不気味な音とヘビの薄気味悪さが、鳥肌を立たせる。

主人公はベトナム参戦していた男、というここでも体験的厭戦気分が「人嫌い」にさ

せる要素を下地にして、父親の死亡の原因が蛇捕獲団体との確執で、殺されたこ

とが判明し、復讐のために飼い始めた蛇たちに襲わせる。

蛇に愛情を示す動機が、食肉鳥に襲われていた「がらがら蛇」を救ったところから始

まり、厭人気質に陥った主人公の格好の話し相手になったから・・・。

ネズミとの友好関係を結んだ「ウィラード」の蛇版としての側面を持ちつつ、復讐のた

めの殺人を蛇に行わせまでは、それなりの「因果応報」と捉えられるからいいのだが

その後、殺した人の娘に一目ぼれしてしまい、強引に結婚を承諾させようとして、拒否

あえば、ここでもヘビをけしかけると、これまでの殺人と趣をことにしているから、ヘビは

それに従わず、なんと主人公を襲ってくる・・・。

まるでヘビの方が倫理観があり、偏向した思考法には突いて行けないとばかり、自由と

規律ある生活を送る「殉教者」ぶりを発揮・・・、って、単に演出者のヘビ擬人かのそれ

が、救ってやった命も、正義にはそむけないというなんともな道徳観で自然に帰って行く

すると邦題の「ヘビ地獄」は、父親殺しの一団への相憐れみの心情が、ヘビを悪者として

そしてあちらの題名は、ヘビの個性に焦点を当てたものとなりそう・・・。

「ウイラード」をトレースした物語は、ベンみたいな存在とはいかず、その「気持ち悪さ」に

ばかり際立って、愛好家くらいしか受けるものではないものとなって・・・。



流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=h3YQwyH0E2A

「恐怖 蛇地獄」 七十六年公開作


こちらも同じ「がらがらヘビ」ものなのだが、こちらは意思の疎通とかは完全に

なく、人間の思わぬ失策によって凶暴化してしまう。

あるいは「兵器としてのヘビ」をもくろむ者たちの思惑違いで、人々がことごとく

犠牲になっていく。

とはいえ、何しろあちらでは「肉感的女と蛇」は、ドライビング・シアター的娯楽の

王道なのか、脚本に緻密さは関係ないらしく、強引でも辻褄を合わせて、恐怖の

表情とか、「他人の不幸は、おれの楽しみ」的、他人の被害に対しては、ぞくぞく

する気持ちを心の奥底にお持ちなのか、こういった犠牲ものは多い。

にしても、どうにも「蛇」は苦手なのに、ついつい見てしまうこちらも、同じ類いの

「覗き趣味」がたぶんにあるのだろう・・・。


それにしても邦題の付け方に、もちっと工夫も必要ではないのか。

古い映画だと混乱して、残酷か恐怖かで、どっちだっけと書きながら確認してし

まった。それだけ題名の印象が薄い、たんに「がらがら蛇」の強烈な印象のみ

の映画だってことだろうけど・・・。



                           といったところで、またのお越しを・・・。