青春は傷つき、恋するもの「傷だらけの青春」「恋しくて」・・・。 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

先日のボクシング映画のエントリーの関係から思い出したものがあった。

それは同じような内容ながら、あの日本映画見たいなそれこそ内容は

古典的なのだが、ジーン・ハックマンが出演しているでの期待から・・・。



きずだらけ


http://jp.youtube.com/watch?v=tDTycOkWW74&translated=1

「傷だらけの青春」 八十八年公開作


あまりにも臭い邦題にげんなりしそうだが、ジーン・ハックマンが出ている。

それだけで借りてみた物だが、流石にどんな映画でもそれなりの存在感を

示すのだが、ここでの設定が元ボクサーで、息子二人もボクサーに育つが

兄はプロで弟は父と同じくアマチュアでオリンピックを目指してと、ハックマン

がボクサー設定で今はアイルランド移民に多い警察官ってなものだが、脚本

がまずいのか最初ハックマンはクラブでコーチでもしているのかと勘違いした

侭だったので、あれま警官だったのと、物語が進んでから知るというB級に

多い練れていない脚本だから、主人公の兄が父のプロ嫌いから絶縁状態で

ありと、ハックマンの地みたいな頑固親父ぶりを発揮と、ここらはハックマンら

しいのだが、このハックマンのボクサーが強かったのか、はたまたオリンピック

に出たのかとかの下地は全く語られることないから、ハックマンの演技での力業

に頼ったような進行・・・。

主人公は父の態度とは裏腹に兄を慕いと、兄弟愛を描いてまた父が嫌うプロの

「八百長」試合をクローズ・アップとある程度はボクシングを巡る暗部は描くのだが

兄が八百長を拒否して相手に殺害され、それへのリベンジに弟が燃えて、オリンヒ

ックを諦め、プロのリングに立つ・・・。

もうここらまで読んでいる人は結末が分かってしまう、主人公の定番のKO勝ちで

ある程度の「めでたし・めでたし」何しろ反対していた父も祖父と恋人と共に、試合が

決まると練習に参加しコーチを引き受け・・・。

なのだがここで急ごしらえの脚本なのだろうか、元ボクサーの父は息子に技術的な

アドバイスを送ることなく、またセコンドについても精神論ばかり・・・、おいおいそれじゃ

素人だろうがの「突っ込み」も生まれてくる。

まぁ、古典的な家族と兄弟愛とリベンジと、西部劇でも多用される設定でボクシングと

ただそれだけで、ここらは「ロッキー」のヒットから生まれた企画かなってな、感想だが

ここで面白いのは「アマチュア」に対するこだわりである。

実際、プロとアマチュアで試合をした場合、二三ラウンドであれば、アマチュアの選手

の方が強いし、技術も勝っている。

良く引き合いに出される亀田だが、アマチュアの試合では勝てないでいたのも事実で

大して技術もないのにランキングが上がる方法がプロにはあり、そこらがまた「八百長」

という暗部が厳然としてプロにあっては事実なのだから、毛嫌いする人は存在する。

そこらも突いてはいるのだが、如何せん戦前の映画のコンセプトを八十年代に持ってき

てもってな、ましてバック音楽がロックがんがんでは、やはり「ロッキー」のあやかりかと

思ってしまう。にしても映画を選ばないハックマンという俳優は、いいのか悪いのか・・・。

で、この兄弟愛の主人公が、これとは全く違った映画に出ていたのも思い出した。

こちらはただの観客から見れば「憎まれ役」だったのが、こちらではヒーローだなんて



恋しくて

http://jp.youtube.com/watch?v=glvXf7K1Kp4

「恋しくて」 八十七年公開作


上のヒーローは、金持ちのどら息子を演じていて、観客には受けない。

こちらは高校生の「片想い」、それも女の子のそれを描いて、そこはとても

秀逸な一本となった作品だ。

男の子みたいなスタイルの女の子の設定が、もう観客に感情移入させる。

その子の恋だから、そりゃ皆、「切ない気持ち」を共有出来る。

で、その恋する男の子がこれまた鈍感と来ていて、観客はどんどんこの二

人の行く末に気を揉む。

流石にジョン・ヒューズは心得ていて、設定の女の「切なさ」「可愛い恋心」を

映像化している。また音楽も新進を使っても抑えどこは「好きにならずにいら

れない」を持ってくるなど、この十代の青春の輝きながらも傷つく様を良く映像

にしたためている。

物語は最後で、この鈍感な男の子が気付くというハッピーエンドのアメリカンら

しい終り方なのだが、その進行に随所随所で女の子の切なさを織り交ぜるから

最後には観客も女の子に祝福を贈りたくなるという心憎い演出をしていて、観客

の心に残る映画となる。

にしても観客は、この女の子の男の子に対する「恋の協力」の場面で、大概「気

付けよ、この馬鹿」と心で女の子を庇いながら、どんどんこの女の子が性格の可

愛い女の子へと増幅していってしまう。

服装や言動でない「女の子」が愛しくなる。こういった映画もアメリカは作れるのだ。

言葉は過激だが、傷つき易い心は世界共通なのだを理解させる映画でもある。

恋しくて
¥1,350                          といったところで、またのお越しを・・・。