原作を越えられない「死に行く者の祈り」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

アイルランドものと言うと、どうしてもどこか暗さが際立ってしまう。

長い宗教紛争の陰が付き纏うからか、あるいはそういったお国柄

なのか、じめっとしたいつも霧がかかり、それが人の生き方にも作

用して「アイルランドで死ねたら・・・」、これがアイルランド人の乾杯

の時の言葉らしい・・・。

その暗さはハード・ボイルド小説にはうってつけの主人公として登場

出来るキャラクターとなる。

そんなものに「ジャック・ヒギンス」の作品があり、それの映画化が、

この「死に行く者の祈り」なのだが・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=SXdKF-kS-BI

「死に行く者の祈り」 八十七年公開作

この作品は作者自体も、一番気に入っているものであるのだが、

如何せんミッキー・ロークの悲壮感もまして暗殺者という研ぎ澄まされた

空気と雰囲気は残念ながら作り出せず、ただ思い悩む中年の、また足を

洗って牧師の過去を引きずるという設定も、役者が踏み込んでいないし

エピソードもないとなれば、いささかこの題名の意味する悲哀は、映像に

したためられていないとなってしまう。

だから淡々と原作に沿った物語が進行しているだけで、そこに感情が生

まれてこないから、本当に平面的な映画となってしまっている。

以前やはりアイルランド紛争を扱った「ボクサー」という映画について書い

たが、あれと比べたら全くアイルランドの組織も、また主人公にも暗い影が

映し出されていない。

この映画の紹介文には、ミッキー・ロークがやらせて欲しいと望んで、実現

したらしいが、小説を読んでも役柄の雰囲気作りは失敗だったのでは・・・。

救いはアイルランド訛りの言語だけ・・・。

そして悪の巨頭として登場する相手役がこれまた貧相で、町のチンピラは

出来そうでも、大物感がでていないで、それの弟の変態振りばかりが目立

って、懺悔の重々しさも消し飛んでしまって、チンピラ抗争の解決に一方を

殺すことで解決、それで映画もエンドという、日本のVシネマ並の映画に成

り下がっている。

もっともそういったものという事前の知識があれば、そういった見方も出来る

が、この映画、原作はアイルランドでの暗殺、それも間違って幼児が乗るバ

スを誤爆するという、罪悪感がある主人公がより紛争時の殺戮にも心を痛め

生ける屍として、ただ自分を保護してくれる人々の窮状に、やまれず立ち上が

るという、描き方一つで題名どおりのキャラクターを作り上げられたかも・・・。

それを証するように監督が途中で交代で撮り直しと、意気に感じる監督、二番

煎じに薄れる意欲って、そこが作品の出来を左右・・・。

まぁ、ただ見ている時は、時間を潰せたと良い方に考えて・・・。

題名はいいのに・・・。



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                  といったところで、またのお越しを・・・。