難民を救う一民間人の苦悩「ホテル・ルワンダ」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

九十四年アフリカ、ルワンダで巻き起こった民族紛争に巻き込まれた

ホテル・マネジャーの苦悩と奮闘を描いた作品である「ホテル・ルワンダ」

は日本から遠い、そしてリアル・タイムで情報の少ない地域の悲惨な状況

が面々と綴られている。

ここでも「キリング・フィルード」と同様に、一国に二部族の民衆という対立

図式から、武装する民兵に「虐殺」される民間人という惨たらしい地獄絵図画

が展開される。



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http://www.youtube.com/watch?v=cB16M-30Y1M

対立する武装した部族間で、それに巻き込まれる民間人

はいつでも難民としての生き方か、あるいはどちらかに加担して

自分も武器を持つ身になってしまう。


http://www.youtube.com/watch?v=zj47ap8mI54

主役を演じた人への尊敬を込めた編集動画、

ここで描かれる主人公、対立する部族の一方に属し、妻は違った部族

出身という紛争によって周囲の中で引き裂かれてしまう間柄を、家族の

強い絆で乗り切ろうとする。

しかし紛争激化と共に、務めるホテルにも難民が押し寄せてきて、主人公は

家族も難民も助け出そうと奮闘する。

難民救出といえば、第二次大戦時、ドイツ人でも日本人でもユダヤ人難民を

救出した人がいたが、こちらはそれを目的とすることなく、嫌がおにもその立場に

立たされてしまう人である。

ただこの主人公の素晴らしさは、街に攻めてくる民兵に平和維持という名目の国連

軍さえ力とならないのを悟ると、持ち前の知恵で何とかしようと努力するところである。

しかし武器もなくまた四面楚歌の状況から主人公は、愛情の発露の現れであろう。

「あんなやつらに殺されるくらいなら、お前が子供を殺してくれ」と妻に頼み込む。

この言葉、良く使われてきた。

敵に殺されるくらいなら、自ら命を絶とう。先の大戦での日本の悲惨な出来事にこれが

あった。北の樺太でも青酸カリによる服毒自殺、そして南の沖縄においての集団自決、

軍隊やそれらに関係なく、プライドが死を選ばせたのだ。

この主人公の立ち位置は、どちらにも加担しない自主独立であるが、考え付くことは何

でも利用しようとする。

生きる力がそれを可能にするのだが、ここで主人公は全く人間性を失わずにいることは

特質する素晴らしい人格である。

ここでも「クメール・ルージュ」に見られた赤いハンカチが登場してくる。

勿論「赤」が指し示すのは「共産主義」である。

この物語も、いえば欧米諸国に利用されるアフリカの悲惨な面が垣間見えるが、一方で

砂漠が水を吸い込むが如く、浸透し始める「共産主義」の狂気にも・・・。

同じアフリカ、スーダン国ダルフールの虐殺にも、利権を求めた中共の後押しがあり、また

ビルマの民主化デモでも、鎮圧する政府に援助をしているのは中共である。

物凄く危険な国が近隣にあるのを、遠いアフリカでの出来事と考えない方が良い。

それにしても混乱の中にあり、人間性を失わない精神力は立派の一言だ。

ただ戦慄を覚えるのは、今日になって隣人が敵となり殺しに来る隣人同士の殺戮。

ここらは北アイルランド紛争を経験した監督だから、とてもリアルに映像化している。

何しろ始まって数分で遠くで銃声が聞こえ、それがとうとう最後まで続くのは・・・。