日本人の固定観念 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

新聞、テレビ、インターネットなどで様々なニュースを知ると、どうにも多くの日本人の反応に疑問を感じることがあります。そこで、その疑問に思ったことを備忘録的に挙げてみます。
 
「逮捕されたら即有罪」
日本人は、警察によって逮捕された人を裁判手続なくして罪人にします。現行犯逮捕であっても、誤認逮捕のおそれがあるので、刑事裁判で有罪が確定するまでは罪人扱いしてはいけません。確かに日本の有罪率は9割以上という高い数字になっていますが、それはあくまで結果であり、初めから有罪が決まっているわけではありません。従って、籠池泰典前森友学園理事長を長期勾留したのも、日産がカルロス・ゴーンを取締役から解任したのも、有罪確定する前の制裁という色合いが強く、それを何ら疑問に感じないのは、裁判制度を忌避する日本人の前近代性・ムラ社会性の表れと言えます。
 
「生産性を上げるには長時間労働」
日本人は、官民問わず、「生産性」という言葉に呪縛されており、それが金科玉条の如く扱われています。そして、その生産性向上のため、人件費を安く抑えること、即ち低賃金かつ長時間勤務というブラック労働を理想とするかのような企業がのさばっています。しかし、労働者は機械や道具ではなく、生きた人間ですから、肉体的・精神的疲労を回復させるのに十分な休養を与えた方が仕事の効率は上がります。また、仕事から解放される余暇があれば、趣味やレジャーなどに消費するので、社会全体の経済活動が活性化します(勿論消費するために十分な賃金が必要です)。こんな事も理解できない、人を人として見ることができない無能な経営者を退場させることが、日本の景気回復にとって最善策です。
 
「批判するのは悪いこと」
日本人は、批判することをネガティブに捉えます。表現の自由が保障されているのだから、批判するのは自由の侵害であるという声すら散見します。しかし、何かを表現できた時点で、表現の自由は保障されています。その表現の機会を奪うことが表現の自由の侵害です。京都府南丹市が右翼(おそらく真正な右翼ではなく、ネトウヨ)からの脅迫電話により、精神科医の香山リカが講演会に出演するのを中止したというのは、表現の機会を奪うことの分かり易い事例です。表現した内容に不満があれば、堂々と批判すればいいのです。表現する自由と批判される自由はセットです。そうしなければ、議論が成り立ちませんから。そもそも批判をネガティブな意味に解するのが誤りです。批判のうち、ネガティブなものは「非難(批難)」です。この日本語の混同が、日本人の議論下手を更に進行させているおそれがあります。
 
「FA宣言したら裏切り者」
日本のプロ野球ファンは、プロ野球選手がFA(フリーエージェント)宣言したら、在籍している球団を後足で砂をかけて離脱する薄情者であるかのように扱います。選手としては、FA宣言し、他球団からの提示条件を見て、自分の商品価値を知ることはあってもいいのです。選手は野球を商売にしているプロフェッショナルですから。他球団が自分を高く評価しているならば、そちらに移籍するのは自由です。しかし、移籍後に評価どおりに活躍できるかは分かりません。レギュラー争いに敗れ、飼い殺しにされることもあります。それは大人なので自分の人生に責任を負ってもらいましょう。こうしたドライでクールなビジネス感覚を持たず、育ててもらった教団への義理人情に縛られているのが日本の野球界です。それが良いか悪いかは一概に言えませんが、FA宣言した選手を即裏切り者呼ばわりするのは、悪い面でしょうね。
 
にほんブログ村 ニュース批評に参加しています(よろしければクリックを!)