安室奈美恵には本当にカッコイイ引退を | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

安室奈美恵にもある黒歴史

 
安室奈美恵が、来年9月をもって芸能活動の引退を宣言し話題となっている。今年デビュー25周年をむかえ、40歳となった。ひとつの節目として決断したのだろう。
 
安室は1991年に14歳で、SUPER MONKEY'Sのメンバーとしてデビュー。のちに、安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sへの改名を経て、1995年にソロデビューを果たす。その後は、小室哲哉プロデュースにより数々のヒット曲を生み出し、彼女の格好を真似る“アムラー”もブームとなった。1997年に20歳でTRFのダンサーだったSAMと結婚し、その年の『第48回NHK紅白歌合戦』の紅組トリも務めている。輝かしい歴史が振り返られる一方で、無かったことにしたい“黒歴史”も存在する。
 
「安室奈美恵は1995年のソロデビューを契機に一躍スターダムにのしあがりますが、それまでは、多くのバラエティ番組に出演していました。1993年にリニューアルした『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)では、鈴木蘭々とうさぎの着ぐるみを着たシスターラビッツとして活躍。今では完全に“無かったこと”にされていますね。1996年には映画『That's カンニング! 史上最大の作戦?』にヒロインの女子大生、森下由美役として出演しています。八頭身美女のためスタイルは抜群ながら、演技力はイマイチでしたね」(芸能ライター)
 
やはり、安室にとっての天職は“歌手”であったのだろう。だが過熱したアムラーブームが、予期せぬ方向へ走り出した例もある。
 
「1997年にセガサターン用ソフトとして発売された『Digital Dance Mix 安室奈美恵』ですね。CGの安室キャラクターを音楽に乗せてさまざまな角度から楽しめるほか、いくつかのミニゲームが付属していました。コンビニ売りで、2800円という安価な値段も話題となりましたが、ゲームとしてのクオリティは低く“クソゲー”と言わざるを得ません」(前出・同)
 
安室には名作の陰に“迷作”も数多く存在する。それだけ彼女が国民的なスターであった証でもあるだろう。
 
転載元:リアルライブ
 
【ここから私の意見】
 
転載記事中にあるシスターラビッツの曲『一寸桃金太郎』はこちらです(私の所蔵品)。
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この『一寸桃金太郎』の動画を探していたら、別の動画を発見したので、そちらを載せます。ポンキッキーズで放送された『歩いて帰ろう』です。何と斉藤和義と安室のコラボ(?)が実現していたのです。

 

転載記事中のネタの他にも、日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にデビュー前の安室が「天才沖縄空手少女」として出演していたとか、TBS系『KATO&KENテレビバスターズ』にスーパーモンキーズ時代の安室が出演していたとか、バラエティ系番組の仕事は黒歴史でしょう。
 
後者については、安室がブレイク後にフジテレビ系『志村けんのバカ殿様』に出演した際、志村けんがバカ殿の格好であるのに対し、安室が現代人のファッションすなわち「アーティスト安室奈美恵」であったというエピソードもあります。まるで初対面であるかのように会話をする両者に、安室の過去を封印する意図が感じられました。
 
以上の事実はアーティスト安室にとって黒歴史であり、本人の口から語られることはなく、テレビなど大手メディアで扱われることもないでしょう。しかし、私個人の見解としては、誇らしい実績も恥ずかしい過去も併せ呑みながら、四半世紀を超える芸能活動を総括してこそ、安室にとって本当にカッコイイ引退になると思うのです。
 
この機会に安室の音楽ソフトを買ってみては?

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