最終回を迎えたNARUTOの作者がインタビューで言っていた。悪い奴をただの悪い奴で片づけてしまうと、結局それが何だったのか分からなくなる。何故悪が悪になってしまったのかをしっかり描かないと意味がないと。
そういう文脈でいうと、漫画・アニメはマスコミの報道・一般世論よりも大分進んでいると思う。オウム真理教・タリバン・イスラム国。偏った報道と偏った世論ばかり。きょうび漫画・アニメの中に「訳が分からないけどとにかく悪い奴」なんていない。
進撃の巨人のように「正体が分からないけどとにかく脅威」というネタが成立するのは、原点回帰というわけではなく、むしろ一周回ってきたのであろう。
さて、「悪役を掘り下げて描く」という手法は古くからあるが、「悪役とそれ以外の境界を曖昧にする」という手法を確立したのは冨樫義弘だと思うのだがどうか。
善悪二元論どころか、AとB二者の対立という構造自体、すでに時代遅れである。いわゆるバトル漫画では、三つ巴四つ巴が当たり前である。
物語だけが複雑になっていっているのだろうか。いや、現実もきっと同じかそれ以上に複雑になって行っているのである。停滞しているのは、思考停止に陥っているのは、現実を認識する大衆の脳味噌なのである。
漫画・アニメ・ゲーム・ラノベを嗜まない人は本能によってそれを感じるしかないかもしれない。