素晴らしい世界 「浅野いにお」論~時代の記号に裏打ちされたリアリティ | 圭一ブログ

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圭一のブログです。1984年宮崎県生まれ

素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)/浅野 いにお


浅野いにおが、割と好きです。
そんでこの作品が一番好きです。

と、いうことを、先日ustreamで語ろうとしたら
全然うまくできんかった。

そもそも浅野いにおとは何なのか?

まず彼の漫画は、岡崎京子の系譜上に位置づけられる。
その中で、彼が画期的な点は
小学生/中学生/高校生/予備校生の描き方にあるだろう。

もちろん岡崎京子も、中高生の物語は描いているが
あくまでそれは時代の象徴、代弁者としての10代の姿でしかなく
意地の悪い言い方をすれば
大人にとって都合の良い姿/物語を年齢に応じ押し付けているように見える。

だから岡崎作品は、衝撃的ではあるけれど読者を裏切らない。
(消費し消費される物語という意味で、だから岡崎京子は80年代90年代的だ)

一方浅野いにお作品は、逆に各年代の目線から描かれており
違和感というか、意外な印象すら受けるのだ。
自分のあの頃って、こんな風だったっけ?!と。

それが読み進めるにつれて、ちゃんと自分の体験みたいなものと
一体化していく。

おそらくは意識的にステレオタイプ化させている、
過剰なまでの「中二病」の匂いも、浅野いにお作品の大きな特徴だろう。
これを読者は、記号として受け取る。
だから一見あり得ないような展開や、自分や自分の周囲が経験していないことでも、共感を起こしてしまうのだ。

それは浅野いにおの技術でもあるし、
ゼロ年代という時代性にも裏打ちされている。
「中二病」が蔓延し、説得力を持つ時代。
そういったものが作品のリアリティを後押ししている気がしてならない。

と、ここまで書いて、自分が「素晴らしい世界」を好いているのは
浅野いにおがその後 ソラニン→おやすみプンプン と、
個人の個別具体的な物語を描くことにシフトしたことに違和感を覚えているからだ、ということに気付く。

ustreamで自分は、現代版の「カトゥーンズ」と形容したけれど
浅野いにおには、少なくとも現時点では群像劇が向いているような気がする。
(自分は「ソラニン」は結構好きだけど「おやすみプンプン」は途中で読むのをやめた。その文脈において、「うみべの女の子」は高く評価している)

20代のモラトリアム、中二病、メガネ男子に草食系と、
時代の記号を描くことには非常に長けているけれども、
作者自身が単なる記号に堕してしまわぬよう、今後も陰ながら応援させていただきます。