シブヤ大学の近藤ナオさんにお話を聞く機会がありました。
シブヤ全体をキャンパスにして、様々な人がユニークな講義を行う
「地域密着型の新しい教育のカタチ」に以前から興味がありました。
そのモデル、コンセプトやナオさんの想いを聞くうち、もはやこれは「第二の公」と言えるのではないか、とも思いました。
人と人、人と街がゆるやかに繋がって色んなサービス、善意を受け取りやすくなる。
まるで都会の中に田舎の長所を取り込んでいくような。
サービスや善意、知識を受け取るだけではなくて、自分も与える側にいつか回りたいなあと思いました。
以下、思ったことをつれづれ書きます。
●カルチャースクールみたいなところには何故女性が多く集まるのか?
→自分の仮説:男は趣味にハマりやすい、また、男同士のコミュニティは壁が薄い。
ゆえに「外の世界に出る」ことがそれほど難しくなく、またチャンスも向こうからやってくる。
それに比べて女性は「外の世界に出よう」と思わなければ、外の世界へ出にくい。
●T形人間の重要性:「やる気」と「専門性」両方を備えた人間でないと自由に立ち回れない。
やる気だけの人間は残念ながら、単に迷惑になることも。
●人と人は、以下のような要素によって、お互いに隔てられている。
性格、趣味、年収、住所、仕事、人脈、社会的地位。
→これを取り払った社会は、劇的に「かゆいところに手が届く」ようになる。
→これらは、エヴァンゲリオンで言うところのATフィールドのようなもの。
これらを取り払うのって、人類補完計画に似ている。
●大学のころは、アパートの壁の向こうの人と面識がなくても、
ほとんどの場合が同じ大学に通っている人だったので、何か安心があった。
今は何者か全然分からず、なんとなく不安。