dj-marbow(中川政志)のブログ

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新潟市内にて1970年から1992年迄ディスコに関わって来ました。現在は新潟市中央区古町にてSOUL&DISCO BAR ブラックバードレジェンドを経営しています。

日本でディスコティックと言うクラブがブームになったのは1970年代初期から中期!

お酒を飲んで楽しむ店をクラブと言うが、ジャズで踊って楽しむクラブやポールダンスなど見て楽しむクラブにバンドが演奏する曲でツイストなんかを踊って楽しむクラブなど様々なスタイルのクラブがある中!

レコードかけて踊るクラブがでてきたのは1960年代だと思う。

これは当時日本でも普及していたゴーゴーを踊る白人文化のクラブとは違う黒人の文化で日本では米軍基地の近くや新宿などにレコードでソウルミュージックをかけて踊る店があったと聞く!

ジャズもロックもバンドの演奏で踊っていたが、それは白人さんが楽しむクラブで、黒人さん達はレコードでソウルミュージックをかけて踊っていた、そんなクラブをDiscotheque(ディスコティック)と言うようになった!

フランス語でレコード置場と言う意味らしい!多分白人がバカにして言い出したのだろうが、その呼び方が世界中に広がってレコードをかけて踊るクラブをディスコティック!略してディスコと言うようになった。


60年代後半には日本でもソウルミュージックで踊る店も出てきてソウルダンスと言われる踊りが流行ったが

それは東京や横浜などの極1部の地域で殆どの地方都市などではロックを演奏するバンドで踊るゴーゴーホールと言う店が流行っていた。またパブと言われるところではカウンターバーがいくつも有り、その片隅のステージでバンドがロックを演奏して客を踊らせていた店もあった。ゴーゴーホールもパブもバンドの演奏するロックで踊る白人の文化でレコードで踊るディスコとは別物だ。これを混同している人が多くいるʅ(◞‿◟)ʃ

70年代に入り日本全国にディスコが普及していったのだが、それまでのゴーゴーホールと違い店内を明るくして健全化を図った店が多くあった。

当時の日本はソウルやファンキーミュージックに聴き馴染みが無く一部のダンス好きな人達以外は殆どの人がポップな曲を好んだ、またソウルミュージックでもスタイリステックスやスリーディグリーズなどの綺麗な曲がヒットした。

世界的に70年代に入る頃、それまでソウルミュージックで踊っていたディスコティックの文化に白人も参入してきてソウルではなくディスコミュージックなる白人アーティストが多くでてきた!

KC&サンシャインバンド・アベレージホワイトバンド・ワイルドチェリーなど。

70年代中期にはイギリス発のディスコミュージックも多くヒットしている。また、ヨーロッパ発のポップミュージックも日本のディスコでは数多くヒットしたドナサマー・ヴィレッジピープル・アバ・アラベスク・ボニーMなどなど!数えたらきりがない。


日本でディスコがブームになったのは1970年代初期から中期にかけてだと思うが1974年頃には既に全日本ディスコ協会が発足していてDJ協会もあった。正式名称は覚えていないが六本木のエンバシーにいた勝元氏が会長だった。

この70年代中期にDJ協会のDJ達が全国を回ってファンキーダンスとディスコステップを広めていた。

全員、踊りの上手い人達だった。


そんな日本中にディスコが普及した70年代!

1975年頃にレコード会社がディスコミュージックのヒット特集を数多く出している。

まさにディスコブームの象徴だ!

私の手元にあるだけでも1974年から76年までで8枚も有る。またその後もヒット特集は数多く出ている。


参考までに紹介します。

①DISCO PARTY 1974年(テイチク)



②This is Discotheque 1975年(ワーナー・パイオニア)



③SOUL & DISCO HITS 1975年(ワーナー・パイオニア)



④DISCO PARTY第1集 1975年(CBS/SONY)



⑤DISCO SOUND 1975年(ビクター)



⑥SOUL & DISCO EXPLOSION  1976年(CBS/SONY)



⑦The Very Best Of Golden Disco Hits  1976年(テイチク)



⑧BEST OF SOUL & DISCO HITS  1976年(CBS/SONY)


( )内はレコード会社名です♪


私は1970年代初期を日本の第1期ディスコブームと言っている。

そして1970年代後期(77 . 78年頃)から1980年代初期にかけてを第2期ディスコブームと言っている。

黒と白が入り混じった初期から店や地域で選曲が分かれてポップな曲で踊る新宿系とブラックで踊る六本木系に別れた。また黒人さんがメインの店で流されていた曲は六本木とはちょっと違っていた。当時アメリカで流行っていたペアダンスが黒人さんメインの店から広まって大ブームになったが何故かそれをサーファーダンスと言う人がいる?スエイやジゴロにドランクモンキーなどアメリカから伝わった踊りでサーファーの踊りでは無いのだが?

そして1980年代中頃からハイエナジーからユーロビートがメインの第3期ディスコブームになる!

ユーロビートしか流さない店が有名になったが同時期にラップやハウスミュージックも流行っていた。

そして1990年過ぎからテクノハウスでエロお立ち台が盛んになったがディスコのブームとしては終わった感があった。その後のパラパラ時代も全国規模ではなくなっている。


1978年7月に日本公開になった映画サタデーナイトフィーバーで日本にディスコブームが来た!と言っている人がいるが、あの映画はディスコブームに乗っかってヒットしたもので映画の影響は殆ど無かった!

映画の中で踊っていたステップダンスが流行ったが、当時はステップダンスの流行が終わってフリースタイルがメインだったので直ぐに廃れた。また、ジョン・トラボルタがソロで踊ったシーンはとてもディスコの踊りとはかけ離れたものだったので誰も真似しなかった。


1975年1976年にディスコヒット特集のレコードが数多く発売されているのが何より1970年代初期から日本中でディスコが流行っていた証拠だと思う。


#ディスコブーム

#ディスコヒット

#日本のディスコ

#ディスコの歴史

#ディスコミュージック


2024年10月6日に行われたソウルダンスのイベント!★SOUL STEP NIGHT ®の動画がYouTubeにアップされました♪

ロックバンドの生演奏で踊るゴーゴーホールが全盛期の1960年代に一部の地域(東京や米軍基地の周りなど)で踊られていたソウルダンスの歴史を今に伝える。

24周年を迎えたソウル・ステップ・ナイトはクック豊元氏やダンスチームのコンポラ・ブラザースが出演しソウルダンスを今に伝えています。



クック豊元氏
一般の人には、可愛い人よを歌ったクック・ニック&チャッキーで有名ですが私達ソウルダンス好きの間では、それ以前に新宿のジアザーと言う店で日本のソウルダンス普及に多大な貢献をした人として有名でした。特にソウルステップはアメリカから伝わったものを進化させ日本に広めた偉大な人です。
尚、クック豊元氏のステージ!ソウルダンスのショーもあるのですが、今回は歌がメインでした。

動画の中でクック豊元氏のショータイムの前、スタートから8分くらいに私がソウルダンスを踊っています。今回は緊張のせいか前半はまともに踊れてません!曲が早かったのもありますが、いつも練習無しでその場の雰囲気で踊っているので今回は次の動きが頭に浮かばず迷いながらステップ踏んでました。
後半は曲も踊りもファンキー・ブロードウェイと言うソウルダンスの中では1番派手な踊りです。途中ソウルパワーという踊りも入れてます。

日本のソウルダンスの父とも言える人とお話ができ、ショーの前座で踊らせて頂けるなど身に余る光栄です。

SOUL STEP NIGHT ®のオーガナイザーである石島さんには感謝しかありません。
イベントでは海外の方や若い方も参加されていてソウルダンスが伝承されているのを感じました♪

YouTubeで検索

SOUL STEP NIGHT 24周年


または下記アドレスをコピーしてネットで見る

https://youtube.com/watch?v=PgYTBSogr4Q&si=uBgliLbYOSaQ-fI3




1960年代後期に流行ったソウルダンスの1つファンキー・ブロードウェイ


2024年6月2日に六本木のマハラジャで行われたSoul Step Night @で私がソウルダンスを踊った映像がYouTubeにアップされています。

前半ソウルのステップとフリーをいろいろ混ぜて踊っていて、アップテンポになったところからフリースタイルのファンキー・ブロードウェイを踊っていますが途中スイムと言う踊りも一瞬入れています。

基本、ペアで踊るか皆んなで踊るものですがショータイムなので見てもらうかたちで踊っています。


ソウルダンスとは1960年代にアメリカから日本に伝わった踊りでフリースタイルとラインダンスが有って!

特に当時のラインダンスはシンプルな踊りだったのですが、日本ではステップダンスと言われ新宿中心に独自の進化をしました。

フリースタイルは基本ペアで踊るのであまり派手に踊らないのですが!時に自分をアピールする為、ちょっと派手に踊って見せる時があります。日本人はシャイなのでペアで踊らない人が多くいました。特に近年は派手な踊りをソロで踊ってる人を多く見かけます。


70年代に入りソウルミュージックで踊られていたものがディスコミュージックに進化して踊り方も変わりソウルダンスと言わずディスコダンスと言われる様になりました。

何方もアメリカ発祥の踊りですが基本的な動きに違いがあり、それが解らない人が多くいます。

私の経験からファッションの変化に伴い踊り方が変わって来たと考えられます。これは当時を経験して無いとわからない事ですが!


https://youtu.be/eRSr3GCU4aE





MAZDAロードスター

気に入って3台も乗り継いだ!

若い頃からいろいろな車に乗ってきて、途中MAZDAのロータリーエンジンが気に入りコスモからRX7に換えて乗っていたが車検の半年後に新型が出ると言われて、車検取らないで発売したばかりのホンダのビートに換えて半年したら新型のRX7に乗るつもりだった!

ところが軽の割に性能の良いビートのオープンの開放感にはまってしまい、新型のRX7にはオープンが無いと言われて勧められたのが1600ccのロードスターNA6C


たしか1993か4年頃だったと思う。

RX7より性能は落ちてハンドリングやパワーはとてもスポーツ車とはいえないおとなしい車だがオープンの開放感は俺を満足させてくれた。


2台めのロードスターは 1.8リットルの Gリミテッド(1500台限定車) NA8C


サテライトブルーマイカの特別仕様でした。

1996年に入手し2007年まで乗ってました。

長年乗り継いだ理由は足まわりやマフラーなど思いっきり改造した事と、オープンスポーツの楽しさでした。

一番の改造は三重県鈴鹿市にあるピットクルーレーシングから取り寄せユーノスで装着してもらったフロントノーズです。

車検用の難しい書類(設計図みたいな)をつけて頂いたのですが

車のサイズ変更が無いとの事で書類無しで車検が通りました。

ライトとウインカーはminiクーパーの流用で、純正バンパーを外して

そのボルトを使って装着でした。


3台目のロードスターNCEC




2007年6月21日

お気に入りのNA8Cがマツダに引き取られ、代わりにやってきたのが

CBA-NCECです。

新車を購入するつもりが販売店の人に勧められた、特別仕様車、2005年の新型発売時に限定5,000台の車を1年半落ちの中古で手に入れました。

足回りはビルシュタインのショックアブソーバーが純正装備されているなどスポーツ仕様のものに更に車高2センチダウンのレース用のスプリングを追加で取付けて購入した愛車です。

足周りは完璧!更にスポーツマフラーに交換しようと調べたら、何と!純正マフラーの性能が良くてマフラー交換してもパワーが変わらない!音もあまり大きく無い方が好きなのでマフラーは純正のまま使用してます。

2000ccになってパワーは抜群によくなり正にスポーツカー。

3台乗り継いできたMAZDAのロードスター!今のが一番気に入っていて他に乗りたいと思う車が無いのが現状!今年は2024年だから6月で17年も乗っているんですね!

桜も満開になってこれからはオープンの開放感がたまらない季節!まだまだこの車に乗るつもりです。