休憩中に、愛光生たちがこんなことを言っていた。
「構文101やってる?」
「やってない。そのうちやる…」」
愛光の先生が聞いたら、すぐに怒り出すような会話かもしれない。
実際自分も、構文101をやらないとは何事かと思ったが、よくよく考えたら無理もないか、と思った。
なぜなら、
翌日の小テストの内容、単語・熟語・構文の準備が1時間、
スクランブル(英文法の教材)が30分、
そして構文101が1時間、
学校の授業の予習・復習があわせて2時間だとしたら、
それだけで4時間半である。
数学をまた真面目にやったとして、
あと国語なんかで宿題があったら、
それこそ首が回らない課題の量だと思う。
発言している学生たちもそれなりの成績を取ってくる生徒で、
決して怠けている学生たちではないのである。
むしろものすごく真面目な子たちで、
自分の愚息も彼らのようになってくれたら本当にうれしいと思えるレベルの子たちである。
そんな子たちの発言だったので、
切実だと思った。
愛光の英語はそれなりに評判が良いので変わらないとは思うのだが、
少し課題の量を減らしてあげたらどうか…、と思った。
消化不良になりかねないだろう。
あと、どこの高校でもそうだが、
英語の長文の全訳をノートに仕上げてきなさいという指示を出す英語教師がいる。
自分に言わせると、
こういう英語の先生は指導力が低い。
英語を全訳させる狙いはいったい何なのか、
何を獲得目標とするのか、
そのあたりが全く見えないし、
そもそもそういうノートを回収する先生が全訳を読んでその中の間違いを指摘することなく、
ハンコをポンと押しておしまいにしている。
こんなもので英語の指導になるのだろうかといえば、全くならない。
ハンコを押すだけで見たことにする課題なんか、最初から回収しないほうが無駄なエネルギーを使わなくて済むのである。
どうせなら、長文の中から1文や2文のみ和訳させて、
その和訳を採点して返してあげるべきであり、
そちらの方がよほど建設的だ。
課題を出された子どもたちがやりきれないのも、無理はない気がした。
学校から帰って学習する時間は限られている。
その限られた時間内で学習効果の得られる課題を出すのなら、
おのずと宿題の量と質を考えるようになるだろう。
愛光は立派な学校ではあるが、
宿題の量と質はあまり考えられていないような気がした。