私の渾身の一筆に、クレームが…
上記、69歳の方から、愛媛新聞の読者投稿欄に意見が来ていた。
20日付本欄には、「採択で最重要視されるのは子どもたちであって現場の教師ではない」とする意見を寄せたのは、何を隠そう、私である。
以下が私の20日に書いた、全文である。
松山市で、公立中学歴史教科書が従来の東京書籍から育鵬社になったことは、非常に喜ばしいことである。その適切な判断がなされたことに、一人の市民として関係者に感謝の言葉を述べたい。
読んでみないとわからないことだろうが、育鵬社と東京書籍はかなり違う。後者は、いわゆる自虐史観が貫かれた教科書であるが、前者は日本人として生まれてきたことに誇りを持てる内容の教科書である。私は、松山の子どもたちは、育鵬社の教科書で歴史を学び、一人の日本人として郷土や国家のために尽くせる人材になってほしいと願っている。それゆえ、今回育鵬社の教科書を選んでいただいたことに、大いに感謝をしている。
先日、本欄に教科書採択が現場教師の声を無視しているとの懸念があったが、採択において最重要視されるのは子どもたちであって、現場の教師ではない。教科書採択はいつでも、子どもたちの将来を考えたものであってほしいと思う。
以上。
20日の読者投稿欄、『門』より引用。(一部改)
上記、私の意見に対して、いささか失礼と書かれてしまったが…、
はたしてそうだろうか?
たしかにリスペクトはないだろうが、上記投稿に非礼は一切ないと思うのだが。
まぁ、別にそれはいい。
上記おじいちゃんの投稿には、次のようにある。
「市内の中学校29校全てが選ばなかった育鵬社の教科書をなぜ採択したのか」
「全ての中学校の教師が選んでいない教科書を採択するのなら、よほどの理由が必要だ」
では聞きたいのだが、
「現場の教師はいつでも子どもたちの将来を考えて多忙な毎日を送り、教科書を選定しているのだ」
として、
いったい子どものたちの将来をいかに考えて、東京書籍を推薦したというのだろうか?
それこそ、よほどの理由があったのだと思われるが、それはいったい何だったんだろう?
私は、自分の投稿で育鵬社にすべき意見を述べた。
じゃ、東京書籍を選ぶ理由って、何?
私が代わりにこたえるとしたら、
① 今までとちがう教科書を用いると、仕事が増えて面倒くさいから
② 右寄りの教科書は使いたくないから
まぁ、そんなとこだろう。
それを否定するのなら、東京書籍を選んだ理由を聞きたい。
何をどう考えて、東京書籍が育鵬社よりも適しているのか、を。
市内全部の中学が東京書籍を選んだのだとしたら、
私としては、それこそ怖い。
ユダヤの格言にもあるが、
「全員一致の意見には気を付けろ」
である。
これは失礼を覚悟して言わせていただくが、
日教組の影響を受けた教師ってのは、かなりヤバイ。
最後に。
教科書を選ぶプロセスは、あくまで民主的な統制が効いていなくてはならない。
教師のする仕事は、あくまで教育委員会に教科書を推薦する、ということである。
残念ながら、何をどうあがこうと、教師のする仕事はそこまでだ。
教科書採択は、民意によるコントロールが効いていなくてはならないが、
教員採択試験に合格した教師は、民意を代表していない。
今回の松山市での教科書採択プロセスも、結局は民意がその正統性を保証する。
それで、終わりだ。
私に言わせてみれば、
教科書採択は現場の教師の意見を聞けという方が、よほど非民主的で傲慢だ。
政治主導で決まった教科書で、教師は粛々と授業をするべきである。
ps
私自身、中学歴史の定期テストをみて、実態を把握しているが、
教師の中には、思想的にかなりヤバイ人がいると思う。
噂で聞くところによると、坂の上の雲は読んではならない、と子どもたちに触れ回る教師がいるそうだ。
まぁ、一部の教師だけだと信じたいが、
ヤバイ人がいるというのは、間違いないようだ。