昨年、愛媛西村眞悟塾に参加した。その際、西村先生から以下のお話を聞いた。


以下は、西村眞悟の時事通信より、引用である。

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=424





次に、昭和二十二年五月三日に施行された「憲法」を書いたのは誰か。

GHQ(連合軍総司令部)の長マッカーサーに命じられたアメリカ人である。

その実務責任者であったのが、チャールズ・L・ケイディスで一九四六年二月に日本の憲法の起草を命じられた。当時三十九歳のGHQ民政局次長でアメリカ陸軍大佐だった。

一九八一年四月に、産経新聞の古森義久記者が、七五歳になっていたケイディスにあって憲法起草についていろいろ聞いた。彼は、驚くほどの率直さで答えた。その中の極めつけの一つ。

「同氏(ケイディス)はまず憲法九条の核心ともされる『交戦権』の禁止について『日本側が削除を提案するように私はずっと望んでいたのです。なぜなら『交戦権』というのが一体何を意味するのか私には分からなかったからです』と述べて笑うのだった」

古森記者は、「神聖なはずの日本国憲法が実は若き米人幕僚達によって慌ただしく作られ、しかも日本人が作ったとして発表されていた、というのだ。だからそのへんのからくりを正直そうに話してくれたケイディスの言葉は、ことさら衝撃的だったのである」、とケイディスとのインタビューを総括している(平成19年7月1日、産経朝刊)。



以上。




憲法九条の核心ともされる『交戦権』の禁止について『日本側が削除を提案するように私はずっと望んでいたのです。なぜなら『交戦権』というのが一体何を意味するのか私には分からなかったからです』と述べて笑うのだった



自分は、この部分を初めて知ったとき、屈辱感を覚えた。


笑うのだった…、とあるが、まるでその客体が日本国民であるかのような気がした。


日本人がバカにされているような気がしたからである。



作った本人がわからない、削除を願ったという9条を、


これからも後生大事に持ち続けようとするなんて、滑稽でしかない。



中学生のころから思っていることであるが、


有史以来、軍隊を放棄した国家なんて一つもない。


自分の国を自分で守るなんてのは、極めて当たり前のことである。



私は、自主憲法の制定に賛成である。


そして、日本には国軍を創設して欲しい。



日本は軍隊があったから第二次大戦をしたわけではない。


仮にあの時代の、諸外国の不正義があったとしても、


日本に十分な国力と軍隊があれば、国土を焦土とされることはなかったであろう。



日本に核があれば、ヒロシマ・ナガサキはなかった。


要するに、力無き正義は無力なのだ。




それにしても、今日は護憲派、改憲派、それぞれが各地で集会を開いたというが、


護憲派の集会は最近、品がない気がする。


余裕がなくなってきたのだろうか?


私は、護憲派の主張は嫌いだが、人間性はもっと嫌いである。