結局、電話は修理が終わった。


最後はKDDIの人の修理の管轄ではなく、NTTの人がより建物の根本から修理をすることになった。



何がおかしかったかというと、塾の外で電話線が雑音を拾っているとのことで、修理屋さんが受話器を外の電話線から直接つないで、実際に雑音を拾っているのを聞かせてくれた。


要するに、塾の中が故障原因ではなく、塾の外に原因があったわけだ。



で、僕が大家さんに電話の修理を依頼したときに、なぜあれほどもめたのだろうか…?


結局僕に原因がなかったわけで、それならそれで、快く修理に応じなかったがためにもめたことで、謝罪の言葉の一つもあるべきだと思うが、


何もなし。



「塾の先生だからもっと誠実だと思った」


とか言っていたが、果たしてどちらが不誠実か。



相手は70歳を超えているようで、そんなご老人を相手に揉め事なんかしたくはない。


が、塾の先生をしていて、子どもは教育できるが、大人は教育できないということを実感する。



大人はもう、手遅れなのだ。




国は道徳の教科化に取り組み始めた。


反対する人が多い中、私は大賛成で、それは遅いくらいだと思っている。



それにしても、不毛な争いの後は、不快な気分しか残っていない。