昨日のブログを読み、チョムスキーの生成文法をインターネットを通じて読んだりしていたのですが、その際、ちょっと考えました。



一体どういう理由で、コメント主がチョムスキーを読むよう指摘されたのか、を。


以下、コメントの内容



1 ■thatの用法

まずはチョムスキーの生成文法から学ぶことをお勧めします。
thatには多くの用法はないというのではなく、派生の問題です。
しっかりと勉強されることを期待しております。


「英文法をこわす

http://ameblo.jp/dizzyjivelog/entry-11195463712.html



一時間でそのアイデアをつかんでいるため、詳細はわかりません。私も忙しいので、もうチョムスキーに関わるのはもうやめようと思いますが、できれば、なぜチョムスキーを読むと勉強になるのか、3分でそのアイデアがキャッチできるようなご教示をいただけたら、と思いました。



そしたら、その該当箇所を読んで、さらに勉強したいと思うのですが、



私が思ったのは、



もしも普遍文法について勉強されることを期待しております、というのなら論点がずれているんじゃないかと思いますし、


チョムスキーは単語のイメージというようなレベルの話は決してしていないんじゃないか、と考えた次第です。



私も指示通りチョムスキーに接した以上、できれば簡潔にご教示頂けたらと思います。



それに、多分誤解されていると思うのですが、「thatには多くの用法はないというのではなく、派生の問題です。」とありますが、thatに多くの用法はないと断言したのは、「英文法をこわす」の著者、大西先生であり、私ではありません。



以下、引用です。


聞き手の注意・関心を導く。that をめぐる数多くの用法は、この単純なイメージを身につけるだけで、容易に手中にすることができる。いや、誤りだ。数多くの用法など、そもそも存在しない。(p.18)』





何度読んでも、これは暴言で…、しょうね。



イメージだけで、thatをめぐる数多くの用法は容易に手中にすることができる、はないでしょう。



というか、thatをめぐる数多くの用法をすでに手中にした人にとって、イメージは有効である、と言い換えねばなりません。



大西先生は、いいこともたくさん言っています。むしろ、いいことの方が多いのかもしれないですけど、本のタイトルが全てを相殺したのではないでしょうか。





以上です。