「自分と向き合う」ことの大事さを知って、やり始めた頃。 

当時、スピリチュアルなことを教わっていた先生がいたのだけど、結構長いこと頑張って向き合っていたつもりだったのに、その先生に、「お前はまだ全然自分と向き合えてないんだよ」と言われて、「えぇー!?こんなに一生懸命向き合っているのに!?えー?」と、ハラが立ってくる位の納得いかなさを感じて、むぅ…となったことが何度かありました。 テヘ。

その時は、「こんなに頑張ってやってんのに、まだ全然できてないってどういうこと!?むかっ」と疑問に思ったし、更に、「こんなに頑張って取り組んでんだから、少しは評価してくれたっていいのにむっ」とまで思っていた。 口には出さなかったけれど、エネルギーで伝わっていたと思う。(面倒な生徒!笑笑) けれど、やっぱりできていなかったなと、後に解り納得。

 

エピソードはさておき、

私が、自分と向き合っているつもりで、でも向き合えていないという状態で足踏みしてしまって、そこからなかなか抜け出せずにいたのは何故かなと、後で考えてみてわかったことがあって。

当時は、自分の思考や感情と自分が一体化してしまっていて、「こんな(ことを思う)自分はダメだ」という酷い自己否定状態だったので、基本自分責め目線で。 フラットに自分を眺めるということができなかったのよね。

なので、相当バイアスがかかったカタチでしか自分を観られなかったし、なんなら自分責めの材料集めにしてしまっていたショック

自分に激しく厳しかったその頃の私は、「自分と向き合う」=「自分のダメなところを認める」となっていたので、延々、「自分のダメなところ探し」をしてしまっていたのですあせる

それは苦しい…!!

歯の食いしばりが一段と酷くなって、弱くなっていた奥歯にヒビが入ってしまったのもこの頃笑い泣き

いやぁ、超ドMでしたにひひ

 

これ、似たようなところで躓いてしまっている人、結構いるんじゃないのかなぁうーん

厳しい何かに耐えられることを美徳としてしまっていた当時の私のような人もそうだけれど、自分が責められているような気がしてしまうことは受け付けられないタイプの人も。 恐いし不快だものね。

幸い私は、「できてない」と指摘してくれる人が近くにいたので、悶々としつつも試行錯誤で抜け出したけど、そんなご指摘を受けなければ、もっと長いこと「向き合っている(つもり)」のまま生きていたかもしれない。

 

「自分と向き合う」って、どういうこと?? どうすれば自分としっかり向き合えるのか??

そんな問いを自分に投げて、ジタバタしながらやってきた数年間。

それはイコール、自分を愛するための練習だったんだなぁと思います🌸

 

⇒続きますイヒ