こんにちは、あきですおねがい

このブログを訪れていただいてありがとうございますルンルン

 

あなたは今「心の底から幸せ」ですか?

 

もしもあなたが「心の底から幸福!!」と100%言えるのでしたら、もうこのブログを読んでいただく必要は無いかもしれません。

 

けれど、もし心の底から幸福でないとしたら・・・一体何が原因で、何があなたに足りないのでしょうか??

 

このブログは私が長い間ずっと求めていた真実

“誰もが幸福になるたったひとつの教え”

を紹介させていただくために書いています。

 

 

私のことを少し自己紹介させていただくと、

子供のころからずっと、誰にも言うことができない“生きづらさ“や“孤独感”を感じていました。

 

唯一の望みは「できるだけ早くこの生を終えること」自分に全く自信もなく、生きる価値もないと思っていて、本当に生きていることそのものが苦痛でした。

 

そんな私が今から25年前のある日、ある僧侶より瞑想を授かりその瞬間から突然にスピリチュアルな目覚めがスタートしました。

様々な神秘体験や、変化や目覚めが自動的に起こり、何か私の意図とは全く関係のないものの意志??が働いていて、それを経験させられているような、そんな感覚でした。

 

そして、次々とまた偶然に??私のスピリチュアルな師となる方々と出会い、その師たちからたくさんの学びを受けることができました。

 

それと共に、私の仕事や私生活もどんどんと変化していき、過去の私が想像もしなかったような幸せで豊かで満ち足りた毎日を送るようになっていきました。

 

そんな私が昨年、偶然に不思議なスピリチュアルマスターと出会い「たったひとつの幸せになる教え」を授けられたのです。

 

その教えを授けられた私は、根底からまるごと変わってしまいました。

 

このスピリチュアルマスターから授けられた「たったひとつの幸せになる教え」を、真実を求める方々に知っていただくためにこのブログを書いています。

 

私の師からの大切な教えを以下に少し紹介させていただきます。

 

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マインド

 

わたしたちが赤ちゃんのときには、

「お母さんがもうお乳をくれなかったらどうしよう」

とか

「今夜よく寝れなかったらどうしよう」 

というような不安や心配はありませんでした。

ところがわたしたちの成長とともに脳も発達し、それにつれて「マインド」と呼ばれるものが徐々に大きくなってきました。

 

マインドとは、わたしたちの内側に湧き起こるさまざまな考えや思いのことです。

このマインドは人間が生きていくために必要なものです。

マインドがなければ、危険から身を守ることもできませんし、いまのような文明や文化をつくることもできません。

ですからマインドそのものには何も問題はありません。

それは単なる道具です。

たとえば、漁師にとっての投網のようなもので、投網を使うことによって楽にたくさんの魚を獲ることができます。

 

ところがいつの間にかその投網のほうが大きくなって、逆に人間がそれにからめ捕られた状態になってしまいました。

やがてわたしたちはこのマインドの中に包み込まれ、常にマインドというヴェールを通して世界を見るようになります。

そしてありのままの世界はヴェールに覆い隠され、その代わりに「マインド」という、本来は道具に過ぎなかったものの削り出す世界が、わたしたちの世界そのものになっていきます。

 

私たちの苦しみはすべてこの「マインド」が作り出したものです。

例えばマインドの持つ性質のひとつに、“物事を比較する”というものがあります。

マインドは、知力を比較し、体力を比較し、容姿を比較します。

さらに、所有物や、肩書き、地位など、ありとあらゆるものを比較して優劣をつけます。

そこからは不満感や劣等感、嫉妬や焦りが生まれ、そしてわたしたちの苦しみが生まれます。

 

さらにマインドは、欲しいものを次から次へと目の前にぶら下げます。

もっとお金が欲しい、もっと物を所有したい、もっと成功したい、有名になりたい、きれいになりたい、愛されたい。もっともっともっと・・・とマインドはどこまでも貪欲です。

 

そして、このマインドを通して見る世界の中で、怖れがはじまり、不安や焦りがはじまり、悲しみがはじまり、ありとあらゆる苦しみがはじまるのです。

 

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イリュージョン

 

ある人が、ある聖者に質問をしました。

「真実とは何でしょう?」

聖者はただひと言、こう答えました。

「真実とは、永遠に変わらないものである」

 

たしかに、以前あったのに今日はもう無いものや、今日あっても数年後になくなるようなものは、どうも真実とは呼べなさそうです。

では、わたしたちの周りに「永遠に変わらないもの」は見つかるでしょうか。

いま見ている風景も、建物も、樹々もすべては変わっていきます。

両親や兄弟も、夫や妻も、友人や恋人も、知り合った大勢の人も、来ては去り、現れては去っていきます。

すべてがわたしたちのそばを通り過ぎ、何ひとつ留まらずに消えていきます。

このように移ろい消えていく世界とはいったい何でしょう?

もし真実とは「永遠に変わらないもの」だとしたら、わたしたちが見ているこの世界は「真実」ではない、別の「何か」のようです。

 

仮にそれを「イリュージョン(幻覚)」と呼んでおきましょう。

それは「誰が何と言おうと絶対に真実」のように見える幻覚です。

ちょうどわたしたちが、地球は静止していて、太陽が東から西に動いていると感じているようなものです。

実際には地球のほうが猛スピードで回転し、音速を超える速さで太陽の周囲を回っていることを知識として知ってはいるものの、人間には地球は静止していて太陽が動いているとしか感じられません。

 

同様に、わたしたちの周りにある、このほんとうらしく見える世界も実はイリュージョンのようなものです。

 

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スクリーン

 

わたしたちの前に現れ消えていくこの世界が、もしイリュージョンだとしても、まぼろしだとしても、たったひとつだけ疑いようのないものがあります。

それは、そのイリュージョンを見ている「誰か」がいるということです。

夢を見続けている存在があるということです。

その中にいるわたしたちには「それ」に名前を付けようがないのですが、仮に「意識」と呼んでおきます。

そのような大きな「意識」の中にこの世界は存在しています。

世界の中にあなたが存在しているのではなく、あなたの臨在が最初にあり、その中に「世界」が存在しています。

これは天動説を信じていた古代人が、地動説を理解しづらいことと似ています。

 

そしてあなたの「世界」はまさに映画のようなものです。

映画が始まると、あなたはその世界に引き込まれ、ハラハラドキドキし、笑い、それに浸りきります。

ときには悲しさに涙を流しすすり泣きます。

あまりの怖さに悲鳴を上げることがあるかもしれません。

このようにあなたが映画にすっかり意識を奪われているときは、その世界に没入したトランス状態にあります。

あなたはその世界の住人になっています。

 

やがて映画が終わり、劇場の明かりがつくと、あなたは我に返ります。

そこにあるのは、ただの白いスクリーンです。

先ほどまであんなにリアルだった世界はどこに行ったのでしょう?
その間、あなたはどこを漂っていたのでしょう?

 

でも映画が終わった後も、それを見ていたあなたは消えずに座っています。 

イリューションが消えても存在している「意識」があります。

それが「あなた(真我)」です。

 

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