上の子が生まれて数年、そろそろ2人目を、と思っていたけど、なかなか恵まれず…
妻の年齢を考えても今年あたりが潮時かな?と思っていた矢先の今年10月。
妊娠の兆候あり。
つわりもだんだんと出てきてこれはと思い、産科へ。
結果、妊娠してました。
今回のつわりは前回よりも激しく、妻の年齢もあるのかかなり厳しいものがありました。
前回同様、点滴をしつつ働いていた妻でしたが、10月24日、激しい熱が出て病院へ行くと、その場で入院。
ケトンとやらの値や炎症反応が高いけれど、12週を迎えるまでは投薬できないので、ひたすらブドウ糖の点滴をして、6日ほどたったところでなんとか退院。
その後は妻の仕事上つながりのある在宅のお医者様に協力を仰ぎ、自宅で24時間点滴をしつづけていました。
12月の中旬に入り安定期が近づいてくると、(これまた前回同様)つわりもだんだんと弱くなり、徐々に買い物に出たりもできるようになりました。
上の子も「赤ちゃんが来る!」と大喜び。
保育園でも「妹か弟ができるんだ」と先生に話したり、機嫌が悪くても赤ちゃんのエコー写真を見せるとご機嫌になったり、おねえちゃんになることがとても嬉しそうでした。
そんな矢先の先週火曜日(12月18日)。
謎のスパイク熱(高温になるがその後すぐに解熱、を日に何回か繰り返す)。
あまりにも心配した妻の同僚に勧められ、夜間外来を受診したところ、炎症反応が強いものの原因が判明せず、翌日再診察。
翌日再診察したところ、緊急入院となりました。
14週から15週になるところだったので、抗生剤の点滴で容態も安定し、クリスマス前の3連休の週末は比較的平穏に過ごしていました。
ところが、12月23日未明からお腹が張るようになり、そのまま微弱な陣痛と思わしき症状へ。張り止めの薬を点滴しても症状は改善せず、そして破水。
15週という週数、そして陣痛が始まってしまうと、もうどうにもできないという今の医学。
赤ちゃんは最期までたくましい心音を聞かせてくれましたが、母体が胎盤を外に出そうとしてしまっている以上、中の子どもはどうすることも出来ませんでした。
待望の2人目はママのお腹の中に15週いただけの短い命。
85g、15cmの男の子でした。
まさかこんなあっけなく終わってしまうとは、僕自身も妻もすぐには受け入れられませんでした。
二人でたくさん泣きました。
でも昨日の夜は、僕と妻と赤ちゃんの3人で、最初で最後の「川」の字で寝ました。
手足は長くて妻の家系に似た感じ。横顔は上の子そっくり。僕の家系似でしょうか。
助産師さんに足形を取ってもらい、もうこれ以上書くことが無くなった母子手帳に貼ってくれました。
原因は血液培養の結果が出ていないため明らかではありませんが、胎盤が何かに感染をしている兆候が見られるとのこと。
10月の高熱、そしてその後の激しいつわりとの戦いの中で弱り切った妻の体力では菌に勝てなかったのでしょう。
いずれにしても、束の間の幸せと耐えきれないほどの悲しさを味わいました。
この週末、妻の退院とともに赤ちゃんは少しだけ我が家に帰ってきたあと、荼毘に付します。
妻の年齢を考えても今年あたりが潮時かな?と思っていた矢先の今年10月。
妊娠の兆候あり。
つわりもだんだんと出てきてこれはと思い、産科へ。
結果、妊娠してました。
今回のつわりは前回よりも激しく、妻の年齢もあるのかかなり厳しいものがありました。
前回同様、点滴をしつつ働いていた妻でしたが、10月24日、激しい熱が出て病院へ行くと、その場で入院。
ケトンとやらの値や炎症反応が高いけれど、12週を迎えるまでは投薬できないので、ひたすらブドウ糖の点滴をして、6日ほどたったところでなんとか退院。
その後は妻の仕事上つながりのある在宅のお医者様に協力を仰ぎ、自宅で24時間点滴をしつづけていました。
12月の中旬に入り安定期が近づいてくると、(これまた前回同様)つわりもだんだんと弱くなり、徐々に買い物に出たりもできるようになりました。
上の子も「赤ちゃんが来る!」と大喜び。
保育園でも「妹か弟ができるんだ」と先生に話したり、機嫌が悪くても赤ちゃんのエコー写真を見せるとご機嫌になったり、おねえちゃんになることがとても嬉しそうでした。
そんな矢先の先週火曜日(12月18日)。
謎のスパイク熱(高温になるがその後すぐに解熱、を日に何回か繰り返す)。
あまりにも心配した妻の同僚に勧められ、夜間外来を受診したところ、炎症反応が強いものの原因が判明せず、翌日再診察。
翌日再診察したところ、緊急入院となりました。
14週から15週になるところだったので、抗生剤の点滴で容態も安定し、クリスマス前の3連休の週末は比較的平穏に過ごしていました。
ところが、12月23日未明からお腹が張るようになり、そのまま微弱な陣痛と思わしき症状へ。張り止めの薬を点滴しても症状は改善せず、そして破水。
15週という週数、そして陣痛が始まってしまうと、もうどうにもできないという今の医学。
赤ちゃんは最期までたくましい心音を聞かせてくれましたが、母体が胎盤を外に出そうとしてしまっている以上、中の子どもはどうすることも出来ませんでした。
待望の2人目はママのお腹の中に15週いただけの短い命。
85g、15cmの男の子でした。
まさかこんなあっけなく終わってしまうとは、僕自身も妻もすぐには受け入れられませんでした。
二人でたくさん泣きました。
でも昨日の夜は、僕と妻と赤ちゃんの3人で、最初で最後の「川」の字で寝ました。
手足は長くて妻の家系に似た感じ。横顔は上の子そっくり。僕の家系似でしょうか。
助産師さんに足形を取ってもらい、もうこれ以上書くことが無くなった母子手帳に貼ってくれました。
原因は血液培養の結果が出ていないため明らかではありませんが、胎盤が何かに感染をしている兆候が見られるとのこと。
10月の高熱、そしてその後の激しいつわりとの戦いの中で弱り切った妻の体力では菌に勝てなかったのでしょう。
いずれにしても、束の間の幸せと耐えきれないほどの悲しさを味わいました。
この週末、妻の退院とともに赤ちゃんは少しだけ我が家に帰ってきたあと、荼毘に付します。