今日は敬老の日で、
『多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う』ことを趣旨としているらしいです
敬老の日とは
兵庫県
多可郡
野間谷村(後の八千代町
を経て現在の多可町
八千代区)の門脇政夫
村長(のち兵庫県議会
議員)と山本明助役が1947年
(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期
に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年
(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年
(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された(「こどもの日
」「成人の日
」があるのに敬老の日がないのはおかしいと声を上げ続けたという)。このため、「母の日
」のように日本国外から輸入されたような記念日と違い、日本以外の国にはない。ただし、五節句
のひとつである9月9日
の重陽
と主旨が類似している。
「聖徳太子
が四天王寺
に悲田院
を建立した日」や「元正天皇
が養老の滝
に御幸した日」である等の俗説もあるが、どちらも確かではない。
1958年
(昭和33年)には郵政省
(当時)から、「としよりの日」の特殊郵便が発行されている。復帰前の沖縄
でも1968年
(昭和43年)、記念切手
が発行された。
Wikiprdiaより
祝日って毎年あって、意味とかあんま考えたことないですけど、
こうやってなんでこの日がこういう名前の日で祝日になったかっていうのを調べるとおもしろいですね
ぽこのおじいちゃんおばあちゃんもぽこが子供のときに亡くなってます
お父さん方もお母さん方も。
お母さん方は、ぽこママを産むのが遅かったので、
ぽこが産まれたときには既に70代半ばはいってました。
ぽこが小学生なったぐらいに、お母さん方のおじいちゃんおばあちゃんも一緒に暮らすようになったんですが、
おじいちゃんおばあちゃんは本当いつも優しい笑顔で大好きでした
でも、なんでかぽこはおじいちゃんに甘えるのが苦手で
おじいちゃんが「おいで」って言うても嫌な顔してしまったりと、
小学3年生のときにおじいちゃんが亡くなってしまったときには、すごく後悔しました
おばあちゃんとの思い出はたくさんある中でも1番は、LEGO
おばあちゃんは器用で、LEGOで家とか作るのが本当に上手でした
家が作られていくとこを見ているのが好きで、作っては解体して作っては解体してと
おじいちゃんが亡くなった2年後におばあちゃんも亡くなりました
思い出したら泣けてくる
最後に作ってくれてたLEGOの家は、今も2人の写真の前に飾ってます。
お父さん方のおじいちゃんは離婚してたので葬式のときに初めて見ました。
お父さんは山口県下関市生まれなので、お母さん方のおじいちゃんおばあちゃんが亡くなってから
歳ってことも考えて山口県からこっちに来て一緒に暮らしてました
ぽこパパのおばあちゃんも本当に優しくて
霊能者の人が、本当に亡くなった人と話せるようにしてくれるならお願いしたいです
あ~おじいちゃんおばあちゃん話しは本当に弱いです
世間のおじいちゃんおばあちゃんも大切にしたいと思います