8月も終わりだというのに、またもしつこく、関東随一の不人気電車=京成ネタです。 (1)先回の千葉線快速の記事で、日暮里付近の画像を見ていただきましたが、今日はその時の別カットをご覧いただきます。 41年前、昭和48年8月の撮影です。これは前回見ていただいた赤電快速3200形?のオリジナル画像です。(2) 日暮里駅西側の高台から見ると、当時は高い建物も少なく、町工場と小住宅が建て込んだ平べったい街を高架線が貫いていました。左下にはチラッと東北線の電車(交直急行形?)が見えてますが、電車屋Cedarは、こちらにはさっぱりカメラ向けてませんでしたねえ~。そういえば、当時の日暮里での山手・京浜東北の乗り換え案内は『常磐線、京成電車は乗り換え』でした。○○電車は関東では珍しかったですね。快速の後は青電普通が行きます。M+T+T+Mは吊掛け車の典型的編成でした。(3)電動車は台車がウイングバネ式なのでモハ510、行き先表示が丸っこく見えるので金町行きでしょうか。快速が走っていた時の上野線は日暮里、町屋、堀切菖蒲園停車の優等列車(急行、快速)と普通が各々10分ヘッドのシンプルなダイヤでした。(4)上り赤電急行の3000系?2両固定でライトが1つ、シールドビームでなさそうですから、赤電シリーズの元祖3000形と判ります。この形式のみ、地下鉄乗り入れのための改軌(1372mm→1435mm)前に青電カラーで登場し、後に塗り替えられました。当時の上野~成田間急行は逆台形のヘッドマーク(※1)もカッコ良く、停車駅は多いものの佐倉まで急行で走り、20分ヘッドの主力列車でした。 青電運用に当たると高砂~江戸川間や津田沼~八千代台~佐倉間では力走する吊り掛けサウンドが楽しめたものでした。(5)3000形のサイドビューです。窓の高さは違いますが、地下鉄を介して?がっている京急1000形と共通の側面配置=いわゆる関東形です。高く突き出たライトが目立ちますね。2両目の後方に見えている架線柱は常磐線のものです。この辺は国鉄の線路が錯綜している上を京成の高架線が跨いでいて、ごみごみした町並みのあちこちに線路が通っています~これは今も同じですが、当時は貨物列車や尾久への回送列車などが、今よりはるかに頻繁に走っていていました。 上り赤電普通、通称3000シリーズにも幾つかの形式がありますが、これは4両固定で、ライトがオデコに2つですから3150形~京成一般車最後の片開き扉ですね。(6)当初は押上線~地下鉄系統優先だった赤電ですが、この頃は数も増えて、上野系統にも阪神電車のような朱とクリームのツートンが目立ってきました。こちらは下り青電普通、ウグイス色とモスグリーンのツートン、という渋い塗装で頑張ってました。くすんだ下町を貫く古い高架線には、やはりこの色は似合っていましたね。(7) 左下手前(↑)にチラッと見えているのは京浜東北線のスカイブルー103系と思われます。(8)拡大しても形式はよくわかりません。電動車はイコライザー台車ですから200・500・600形のどれでしょうか?右から2両目のクハは屋根側面にルーバーが有るので旧国電の更新車クハ2000ですね。(9)青電なのにカルダン4連固定のモハ210、クハ2100の下り普通。京成名物だったパタパタ式行き先表示(※2)を使ってないので、設定されて間もない大和田行きでしょう。この電車はまとまった数があり、青電全廃後も例の暑苦しいファイアオレンジ色になって生き延びました。 (※1)上野~成田急行のヘッドマークのアップがこちら。この形から『台急』と呼ばれていました。快速のマークと同じく横書きのデザインは当時としては優れもの?~よろず評判よくない京成でしたが、ヘッドマークのグラフィックや、戦前から続くパタパタ式行き先版などに関しては京成もなかなか良いなあ~とCedarは思っていました。(※2)これは空港線開通後のもの、大和田行きも出来ました。この頃はこういうのは各社個性があって楽しかったですねえ。というわけで、以前見ていただいた画像も交えた41年前の夏8月、日暮里京成風景でした。夏8月も終わり、次回は9月ですね。ではまた。
Cedarの今昔写真日記
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