某月某日
イタリア料理を食べに行った。行きつけのイタリア料理店があるのだ。
若いシェフが仕切っている店だが、時折テレビに登場して料理を披露したりしている。もっとも、関西圏のテレビ番組なので全国津々浦々に顔を知られているわけではないらしい。 店のスタッフにも懇意にしてもらっていて、時には出張土産を差し入れたりしている。
3週間ぶりの訪問だった。どうしてもピザが食べたくなったのだ。
それなのに、いざテーブルに着くと違う料理を注文してしまう。わたしはカルパッチョが好きなので、やはりその日もカルパッチョを注文してしまった。ヒラメの薄造りに菜の花や山芋などを挟み込んだもの。これを肴にビールを飲むときの気持ちは何とも言えない。
二杯目のビールと戯れる頃、シェフが「これ、召し上がってみてください」とガラスの透明な皿を差し出した。その皿の上には、緑色の土筆らしきものが鯛の切り身の上に横たわっていた。
「これ、なに?」。
「それねぇ、野生のアスパラガス」。
初めて見た野生のアスパラガス。普段、何げなく見ているアスパラガスとは以って非なるもの。土筆の頭の部分がなんとか、アスパラガスの穂先に似ているような気もする。茎はほっそりとしていて、しかし歯ごたえがあった。噛んでいると、オクラほどではないにしても粘りがあった。ちょうどモロヘイヤのサラダを食べたときのよう。少しばかり青臭い気もするが、確かにアスパラガスの味に似ていた。
「これでピザ焼いたら旨いでしょうね?」。
「あ、そういうピザはイタリアにはありますよ、普通に」。
「じゃ、今度やってもらおう。今が旬だろうから、近日中にまたよろしく」。
「そうですね。6月中旬までにはお越しください」。
そういうわけで、近日中にまた訪問することになった。
巡る季節のおすそわけ。楽しみにしておこう。
去年の秋は、マツタケをパスタで食べたのだが、その鮮烈な香気が忘れられない。野生のアスパラガスのピザ。どんな味わいなのだろうか。楽しみだ。
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某月某日
震災後の政府の対応が煮え切らない。
何をするにしてもモタモタしているように感じるのは、気のせいなのだろうか。
それに引き換え、地元の方たちの復興に向けての活動は称賛に値する。
わたしは過去に、阪神淡路大震災を経験した。震災規模や被災状況は違うけれど、人間という動物はいったん状況を把握すると未来に向かってきちんと歩き始める。いつまでも俯いている動物ではないのだ。
だから、被災した地域も必ずや復興していくと確信している。
とはいえ、広範囲に及ぶ被災。普通の暮らしを始めるにはなかなか時間がかかるのだろうと思っている。
地元で頑張っている方たちに「頑張ってください」とは言えない。それこそ失礼というものだろう。むしろ、「なにかできることがあれば教えてください」。そうして、「あなたの哀しみを分けてください」。心から心配し、応援しているから。
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季節は、哀しいほどにいつもと変わらずにめぐっていく。
自然は、なにもなかったかのように花を咲かせ散っていく。
そういう当たり前を目の前にしながら、復興していくのだ。
当たり前と非日常に、時には切なくなって涙してしまうこともあるけれど、きっと来年の春には、今よりも明るい気持ちで桜の花を見上げることができるだろう。
そう願っている。
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