安保法案の衆議院通過に伴い、全国でデモ活動が行われていました。

私も今回の安保法案には反対の立場なのですが、

いつもこういう状況になると思うことが2つあります。


1つは、デモをする方々が

「誰に対してデモをしているのか?」

という点です。



多くの場合、国会や与党に対して行っているような印象を

受けるのですが、それは意味があるのでしょうか。


というのも、今の国会や与党を選んだのは、

私たち国民自身であって、責任は国民にあるのでは

ないでしょうか。

だとしたら、国会や与党に何かを求めても、

彼らは現時点で多数なわけですし、

選挙で多数に選んだ国民の代表なわけです。


であれば、国民が選挙結果を反省し、

対応を呼びかけるべきではないでしょうか。


確かに、国民に衆議院解散権はないので、

今すぐにでも止めたいという思いなのですが、

そこはぐっと我慢して、

「次回の選挙は○○しよう!」みたいな活動の方が

実を結ぶのではと思います。


実際、一部の国会議員さんは「時間がたてば国民は忘れる」と

発言しているようですので。


2つめは、「野党が採決を退席するのはけしからん」

という一部の意見です。



そういう意見の方は、決まって

「国会議員は国民から選ばれているのだから、

国会を退席するなんて怠慢だ!」

みたいな言い方をします。


しかし、国会は立法府ですよね。


法案を議論をして、成立させる・否決するのがお仕事です。

そして、そのお仕事は多数決によって決まります。

採決を欠席しても結果が変わらないのだから、

別によくないでしょうか?


もちろん、修正議論とか対案を出すとか、

そういう努力は必要と思います。

どうせ少数なのだから、何もしなくても同じというのは

ダメだと思います。


しかし、最後の最後、採決に出席しようがしまいが

結果がわかっている場合、

その場にいること自体が義務としてどうなのかは、

そこまで意見するようなことではないと思います。


逆に少数派のせめてもの対抗手段としての退席は、

ありなのではないでしょうか。



皆さんは、こういう民主主義の状況、どう思いますか?
見てきました。
久々の映画で、なんかワクワクしてましたが、後ろのカップルがべちゃべちゃしゃべりやがって、うざかった。
まあ、池袋の映画館でナイトショーということもあったのかもな~と思いますが、もう二度とあの映画館いかない。

さて、映画の内容の方は、とてもよかったです。
実話ということと、僕自身会社を経営していることもあって、お金がなくなって生活ができなくなることの怖さとかを身にしみて感じてるので、共感しまくりです。

でも、そういうどん底のときこそ、本当に自分がこれだと思う仕事を一生懸命にやるっていうのが大事だな~と、再確認させられました。
あと、映画の題にもなっている「幸せ」ってそういうもんなのだろうなと。

美輪明宏さんが、言っていたお話に:

「人は苦しい思いをすると、ちょっとした幸せでもありがたく思うようになる。」
(かなり僕の中での解釈が入っていると思う)

つくずく、そういうことだろうなと感じました。

僕もがんばろうっと

今日、仕事帰りで山手線に乗っていると、とてもいやなキモチガーンになりました。


仕事帰りに山手線に乗ったら、同じ車両のちょっと離れたところに座っていた、40~50くらいの女性が

車内で電話していたんです。

僕は、どちらかといえば、ヒソヒソなら車内でも携帯OK派なんですが、その女性は電話の相手に向かって怒鳴り散らしてて。。。

周囲にいた人みんながビックリショック!してたんだけど、さすがにすぐにやめるだろうと思っていたら、3駅も怒鳴りっぱなし!!その女性の横に座ってた人は、よく我慢してるなってくらいだったんですが、4駅目に停まった辺りで、小学生くらいの女の子をつれた母親がその女性に降りるように促したみたいなんですね。


その女性は、今度は母親に対して怒鳴り散らしていて、女の子はその迫力に圧倒されて、母親の服の裾をつかんで<やめようよ>って感じになってました。

僕は、その光景を見て、あまりにもその女の子がかわいそうだったし、女性は確かにうるさくて降りてやってください、って思ったので、思わず


「いいから降りろよ!むかっ


と怒鳴ってしまいました。

それにつられてか、周りからも「うるさい」みたいな声が出だして、電車はその駅でしばらく停車に。

その間も女性は、逆に意固地になって「降りない」と言い張ってしまい、結局駅員さんに引っ張り出された格好で、事態は収拾しました。


ただ僕のココロに残ったのは、その女性はなんでそんなことをしたのかっていう理不尽さと、自分が怒鳴ったしまったことへの後悔ですね。


女性は、明らかに迷惑な行為をしているんだけども、電話でのやりとりを聞いた感じ、どっかココロにイライラというか、鬱憤みたいなものがあったんだと思う。それがこういう形で出てこざるを得ないような状況になってしまったのではないかと、後で思い返しました。


一方、母親は、もしかすると、女の子がいる前でその女性を注意することで、ある種のしつけ的な面もあったのかもしれないけど、非常に淡々と女性に話しかけていて、人として僕より上だなと。


僕ももっとココロドキドキを鍛えないとだめですね。

でも、争い事は苦手なんですよね。。。

久々に映画をレンタルしてきました。


公開時のCMを見て、「金持ちがなにやらよいことをしたという内容かな?面白そうだな~得意げ」と思って、借りてみました。


最初から「いやに静かな映画だな」と思っていたんですが、後半になるにつれ結構重たくなってきて、ラストシーンではハートに”ズシーン!”と突き刺さって、映画が終わってときには「フ~」って深いため息が出ちゃう、そんな映画でした。


最初に受けた印象とちがうやん!って言いたくなるくらいの重いテーマで、主人公の置かれた状況を理解できるんだけど理解したくないみたいな、複雑な心境になります。

もし自分がそうなったらと思うと、ますます混乱してしまい、さらに「フ~」ってため息が出てしまいます。


でも、映画としてはそんな重いテーマがきちんと撮られていて、原題を見るとテーマの深さを感じます。

また、随所にフラッシュが入たりとか最後のまくしたて方なんかは良くあるミステリーものの手法なのですが、それらと比較してもテーマの重さが際立っていて、全体的に良く出来ているのではと思います。


そんな感じで、もう一度みたいかといわれると難しい気がする映画でした。



7つの贈り物(SEVEN POUNDS)  2008/アメリカ

監督: ガブリエレ・ムッチーノ

出演: ウィル・スミス

AmazonのEC2をはじめとして、国内でも”クラウド”ってサービスが登場しはじめてます。

うちも、いっぱしのIT会社ですから、数ヶ月前から”クラウド”には注目していて、何かうちとしての特色がでないかな~と考えていたわけです。


いまいち僕がピンと来ないのが、”クラウド”って言葉がエンジニア寄りすぎてるってコト。

確かに、いろんなハードウェア上に雲のような仮想的な空間を作って、その雲から必要なリソースが必要なだけ使えるよ、って言われて「どう使うの?」ってならないのかな~と。

具体的にどういう場面で使われるか、特に既存のいわゆる”レンサバ”や一時期はやった”仮想化”とどうすみわけできるのかが、う~んという感じです。


とりあえず、来月にうちのサービスをリリースするんですが、どういう展開になるのかは未知ですね~。

日本の裁判官がおかしい 」という記事を見つけて読んでいたら、去年の僕の初裁判経験のことを思い出しました。

裁判の内容は、僕がその会社にいた頃に費用を立替払いしていたお金を返して欲しいという内容だったのです。金額もたいしたことないので、弁護士と相談しながら自分で手続きとかをやったんですけど、裁判官は全然内容を理解してもらえなかったのを覚えてます。

経費の立替払いなので、証拠といっても領収書とかは会社に提出してあるし、こちらとしては経費を払ってもらってないという証明をどうすればよいのか、弁護士さんとあれこれ考えながらのとても苦労して書類を作成しました。
結局、裁判には負けてしまったのですが、僕としては日本の裁判ってこういうものなのだと実感できる、とてもよい経験になりました。

著者が提案している「ディスカバリー制度」は、こういう立場の人からしてみると、とてもありがたい制度です。

世間では、「裁判員制度 」も大きな改革と捕らえているようですが、もっと根本的な制度の変更が必要だと思います。

こんな僕なので、「薬害肝炎訴訟 」のニュースを聞くと、被害者の方々の心境が伝わってきます。大変だと思いますが、頑張ってください。
昨日(正確には今朝か)、夢の中におばあちゃんが出てきた。

ほんとに突然夢の中に現れて、僕の手を握って一言。

「はやく元気になりなさいね」

握った手が暖かかったので、思わずびっくりして目が覚めた。
時計を見ると6時。また寝ようと思ったが、なかなか眠れなかった。

出てきたおばあちゃんは昔のまだ元気だったころの姿で、僕を見てにっこり笑ってくれた。
今はすっかり痩せちゃって、歩くのもしんどいんだと思うけど、それが余計懐かしくて。

あと、おばあちゃんだけが色が白黒だった(ような気がした)のがすごく気になった。
最近は年に1回しか帰らないし、帰っても長い時間あったりしないから、すごく心配で電話もできません。(多分向こうからかかってもこないから、僕の思い過ごしなんだろうけど。。。)

とにかく、子供のころおばあちゃんと遊んだ記憶とか、おばあちゃんのお手伝いした記憶とかが頭の中を駆け巡って、ちょっと泣いちゃいました。

本当はおばあちゃんのそばで自分の仕事ができないかなと、いつも方法を考えているけど、どうすればいいかの答えがでずに、数年が過ぎてしまって。
このままだと、なんかすごく悲しい。でもどうしたらいいのかわからない。
そんなことを考えてたら、辺りが薄明るくなって、もう起きようかなと思ったら、知らない間に寝てました。

僕はどうすればいいんだろう・・・
今朝、夢だったかはっきりとしないけど、小学生の頃のことを思い出した。

最近、モンスターペアレント とか、教育に関する話題が多いせいもあるかもしれない。
僕は、小学校の頃、仲間はずれ(ある意味いじめ?)で悩んでいた時期があって、数人の友達はいたけど、深い付き合いはあまりできなかった。通っていた小学校は、かなり田舎で全校生徒が100人前後の小さい学校なんで、仲間はすれともなると、ほとんど他に遊べる友達がいなくなっちゃうんだ。

そんな状況だったからかもしれないけど、他の子のいじめに関してはとても敏感だった気がする。

1コ下の学年にS君といういじめられっ子がいた。彼は、父親の体が不自由で、多分、かなり生活に苦労していたんだと思う。父親の体が不自由というのも、5年生の時の運動会で初めて知った。「親子リレー」という親と子が交互にリレーする競技があって、S君の親が走ろうとしたんだけど、片足があまり動かなくてぎこちない走りになってたのを、周りにいた別の親があわてて代わりに走ってあげたというシーンが今でも脳裏に残ってる。
今にして思えば、親がそういう状態なんだから、生活保護を受けてたんじゃないかと思うんだけど、当時はそんな知識があるわけもなく、ただなんとなくかわいそうな子だなと思っていた。

別の話で、入学してから2年生くらいまで、Mさんという女の子がいたことも、ふと思い出した。詳しいことはよくわからないけど、病気か何かで皮膚に発疹がある子で、友達は見た目で「きもちわるい」とか言ってあまり近寄らなかった記憶がある。
ただ、僕は子供ながらに、そんなことで差別(?)するようなことはいけないんだと思っていて、例えば、運動会なんかで彼女と手をつなぐ場面では、友達は袖を伸ばして直接手が触れないようにしていたけど、僕はそれは失礼だと思って直接手をつないだ。発疹のところがすごくざらざらしていて、病気のことがよくわかんなかった僕は、感染とかが凄く不安だった記憶がある(これも失礼なんですが)。
結局、僕もそれ以外は親しくなるようなことはなく、彼女は2年生のときに転校していってしまって、変な心残りがある。

僕がこれらを思い出したときに、思い起こされる気持ちは「なんであの時、何かしてあげられなかったのかな」という自分に対する不甲斐無さ。「子供だったから」と言い逃れてしまえばそれまでなんだけど、あれからいろんな人と付き合って、ようやく大人になってやっと最近わかりかけてることは、「もっと自分が正しいと思うことを進んでやってもいいんじゃない?」ということ。
小学校では、多様性が認められるってこと自体にすごい不安を感じてた。みんな同じ考え方をして同じような感じ方をしないといけないという脅迫感(言い過ぎかもしれないけど)があったように思う。でも、そんな他人を気にする生き方をしていたら、あまり他人に意見を言えないようになってしまっていた。
今、その癖をなんとか直したいと思い始めてリハビリ中なんだけど、今朝の夢はそれを改めて思い出すためのきっかけになった。
最近会社がうまく行かなくてすごく悩んでました。
学生のころから徐々に大きくしてきた会社で、僕自身は凄く思い入れのある、というか、人生かけてる会社です。数年前に知り合った友人が参加してきて、「これで会社がもっと大きくなるぞ!」と意気込んでたのですが、あれよあれよというまに借金を抱えるようになって、最近はこのまま閉じちゃおうかなとか考え始めてました。

こういう悪い時って、凄くつらい。
友人を誘った責任もあるしな~とか、いろいろ複雑に悩んで。ストレスで体調はよくない、やる気もあまりなくなってちょっとうつ状態になるし、人間関系も最悪。
一緒に会社やってるのに、なんで友人は無責任なんだろうと、悪い方へ悪い方へと考えていってしまう。僕はどこで間違ったのかと訳もなく悔やんでみたりしちゃいます。

でも、ようやく落ち着いてきて、僕が次のステップへ向けて今できることがないかな~と探していたら、面白いのを見つけました。

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ついでにあちこち調べてみました。

運命が好転する 実践スピリチュアル・トレーニング
人生に奇跡をもたらす7つの法則
サラとソロモン―少女サラが賢いふくろうソロモンから学んだ幸せの秘訣

以前から、そういう考え方があるっていうのは知っていましたが、ここまで本格的に指示されているものとは知らなかった。

確かに、状況が好転してから、僕自身の考え方も前向きになってるし、考え方自体も変わってる気がする。自分が良くなってる状況をもう少し考えて、もう一回自分の会社をがんばってみようかなって気になりました。