刺激的な街
昨日、リキッド・ルームの前で信
号待ちをしていた所、ある看板が
目に飛び込んできました。
「東京は、世界一実験的な街だ」
非常に刺激的且つ、メッセージ性
の強い言葉でした。見とれてしま
い、写メる事が出来ず、オマケに
信号が変わってしまって、すかさ
ず後にしたのですが、凄いパワー
を持った言葉でした。
リアル東京を感じた瞬間。
東京は世界のスタンダードという
言葉を聞いた時があります。
まさしくこの「実験」こそが、スタ
ンダードを産み出す、東京ならで
わのオリジナリティ-なのではな
いでしょうか。
この「実験」をリアルタイムで感じ
れる喜び。やはり東京は、いつの
時代も刺激的な街です。
その昔、U.F.Oのライナーノーツ
で、「また一段と東京が好きにな
りました」というフレーズがあり
、今でも鮮明に覚えています。
東京でしか味わえない魅力を常に
感じながら、これからも進化を遂
げる「実験的な街」の最前線に、い
くつになろうが居たいものです。
号待ちをしていた所、ある看板が
目に飛び込んできました。
「東京は、世界一実験的な街だ」
非常に刺激的且つ、メッセージ性
の強い言葉でした。見とれてしま
い、写メる事が出来ず、オマケに
信号が変わってしまって、すかさ
ず後にしたのですが、凄いパワー
を持った言葉でした。
リアル東京を感じた瞬間。
東京は世界のスタンダードという
言葉を聞いた時があります。
まさしくこの「実験」こそが、スタ
ンダードを産み出す、東京ならで
わのオリジナリティ-なのではな
いでしょうか。
この「実験」をリアルタイムで感じ
れる喜び。やはり東京は、いつの
時代も刺激的な街です。
その昔、U.F.Oのライナーノーツ
で、「また一段と東京が好きにな
りました」というフレーズがあり
、今でも鮮明に覚えています。
東京でしか味わえない魅力を常に
感じながら、これからも進化を遂
げる「実験的な街」の最前線に、い
くつになろうが居たいものです。
必然的その3(モッド或いはジャズ)
これが田舎と都会の大きな違い
なのか?それともカルチャーを
リアルタイムで感じれていない
差なのか?と考える毎日が続き
ました。
そんなモッド精神論を模索する
日々が続く中、ケンニィ-の口
から度々出てくる言葉。
ジャズ。
この辺から今回のテーマ、「必
然的」の本題に参ります(ちょ
っと思い出プレイバック長かっ
ったな
)その当時、ケンニィ
-は独自のルートで様々な本や
ガイドブック、資料などを入手
していました。その中には、今
やラウンジの代名詞、カフェ・
アプレミディ-(その当時、サ
バービア・スウィート)やモン
ド・ミュージックなど、私にと
っては未知なる世界の音楽がそ
こにはありました。
音楽的、未知なる遭遇。
ある日、ケンニィ-が密かに集
めていたレコードを披露してく
れました。そこにあったのは、
何と表現していいのか解らない
魅力の、今まで感じたことの無
い、口から自然に「カッコイイ」
と出てしまう音でした。
その中で、私をジャズの魅力と
確信へ導いてくれたレコードが
ありました。

クインシー・ジョーンズ/ソウ
ル・ボサノバ
それまでのジャズのイメージは
、構えて聴く敷居の高い音楽と
認識していたのですが、想像と
は相反するもので、ラテンイズ
ムが強く、ゴージャス且つダン
サブルで、クールさが滲み出て
いました。その当時、ジャズと
言えばブルーノートの4000番を
カジる程度。俺にはまだ早いな
とサジを投げていた頃で、こ
のアルバムを聴いた瞬間、ジャ
ズの持つ、ダンスミュージック
のエッセンスをかなり感じまし
た。
その日から今日まで(これから
もですけど
)素晴らしきかな
ジャズの旅は続いていますが
、元々50年代のモッズは、モ
ダンジャズを聴き、クールネ
スに沸きだっていたようで、
私達がジャズを愛する事も、
ある意味必然的かな?と思い
ます。
あのファイブ・コーナーズ・
クインテットを生み出した、
リッキー・チックのオーナー
、アンチ・エリカイネンもそ
の昔、モッズだったそうです
。
モッズからジャズ。
あらゆる好奇心を胸いっぱい
に詰め込んで、夢中になって
いたあの頃。私達、オッサン
の領域に片足突っ込んでしま
いましたが、あの頃と何ら変
わらず、明日無き探求心のま
ま突っ走っております。
なのか?それともカルチャーを
リアルタイムで感じれていない
差なのか?と考える毎日が続き
ました。
そんなモッド精神論を模索する
日々が続く中、ケンニィ-の口
から度々出てくる言葉。
ジャズ。
この辺から今回のテーマ、「必
然的」の本題に参ります(ちょ
っと思い出プレイバック長かっ
ったな
)その当時、ケンニィ-は独自のルートで様々な本や
ガイドブック、資料などを入手
していました。その中には、今
やラウンジの代名詞、カフェ・
アプレミディ-(その当時、サ
バービア・スウィート)やモン
ド・ミュージックなど、私にと
っては未知なる世界の音楽がそ
こにはありました。
音楽的、未知なる遭遇。
ある日、ケンニィ-が密かに集
めていたレコードを披露してく
れました。そこにあったのは、
何と表現していいのか解らない
魅力の、今まで感じたことの無
い、口から自然に「カッコイイ」
と出てしまう音でした。
その中で、私をジャズの魅力と
確信へ導いてくれたレコードが
ありました。

クインシー・ジョーンズ/ソウ
ル・ボサノバ
それまでのジャズのイメージは
、構えて聴く敷居の高い音楽と
認識していたのですが、想像と
は相反するもので、ラテンイズ
ムが強く、ゴージャス且つダン
サブルで、クールさが滲み出て
いました。その当時、ジャズと
言えばブルーノートの4000番を
カジる程度。俺にはまだ早いな
とサジを投げていた頃で、このアルバムを聴いた瞬間、ジャ
ズの持つ、ダンスミュージック
のエッセンスをかなり感じまし
た。
その日から今日まで(これから
もですけど
)素晴らしきかなジャズの旅は続いていますが
、元々50年代のモッズは、モ
ダンジャズを聴き、クールネ
スに沸きだっていたようで、
私達がジャズを愛する事も、
ある意味必然的かな?と思い
ます。
あのファイブ・コーナーズ・
クインテットを生み出した、
リッキー・チックのオーナー
、アンチ・エリカイネンもそ
の昔、モッズだったそうです
。
モッズからジャズ。
あらゆる好奇心を胸いっぱい
に詰め込んで、夢中になって
いたあの頃。私達、オッサン
の領域に片足突っ込んでしま
いましたが、あの頃と何ら変
わらず、明日無き探求心のま
ま突っ走っております。
必然的その2(モッドだったあの頃)
モッズのバイブル的写真集。

ザ・フーやスモール・フェイセスのレコ
ジャケやライブ映像を見て、マイ・ジェ
ネレーションを感じ、メラメラと音を立
てて燃え上がる自分達がそこには居まし
た。


刺激に刺激を求め、かなりのハイ・ペー
スで東京へ通いつめ(私達には、東京モ
ッド・ルートと題した行き先がありまし
た。梅ヶ丘→祖師ヶ谷大蔵→下北沢→中
野→吉祥寺→国分寺→原宿→新宿)東京
モッズシーンのリアリティズムを肌で感
じ、沢山の知識を蓄え、またケンニィ-
と模索する毎日でした。
しかしながら、私達の間で言葉にすら出
さないが、ある疑問を抱くようになりま
した。人と違うという、言わばアンチテ
テーゼの固まりこそがモッドであり、モ
ッド精神であると私達は考えていました
。そして私達の同感である、群れをなさ
ないの定義もモッド精神の根底にありま
した(これは私達のオリジナル精神です)
。だからこそ、一個人が独自性の強いモ
ッドとして輝き、際立つのだと。
しかし私達が目の当たりにしたモッド達
は違いました。精神面ではなく、スタイ
ルにこだわり、私達が考える以上にフラ
ンクでした。ここで誤解されないよう訂
正しておきますが、かなりのこだわりを
持ち、輝き放っているモッド達もいまし
た。しかしそれは一握り。ブームの中の
モッズ達が大半でした。
若さゆえの本気。
さらば青春の光。
その3へ続く。

ザ・フーやスモール・フェイセスのレコ
ジャケやライブ映像を見て、マイ・ジェ
ネレーションを感じ、メラメラと音を立
てて燃え上がる自分達がそこには居まし
た。


刺激に刺激を求め、かなりのハイ・ペー
スで東京へ通いつめ(私達には、東京モ
ッド・ルートと題した行き先がありまし
た。梅ヶ丘→祖師ヶ谷大蔵→下北沢→中
野→吉祥寺→国分寺→原宿→新宿)東京
モッズシーンのリアリティズムを肌で感
じ、沢山の知識を蓄え、またケンニィ-
と模索する毎日でした。
しかしながら、私達の間で言葉にすら出
さないが、ある疑問を抱くようになりま
した。人と違うという、言わばアンチテ
テーゼの固まりこそがモッドであり、モ
ッド精神であると私達は考えていました
。そして私達の同感である、群れをなさ
ないの定義もモッド精神の根底にありま
した(これは私達のオリジナル精神です)
。だからこそ、一個人が独自性の強いモ
ッドとして輝き、際立つのだと。
しかし私達が目の当たりにしたモッド達
は違いました。精神面ではなく、スタイ
ルにこだわり、私達が考える以上にフラ
ンクでした。ここで誤解されないよう訂
正しておきますが、かなりのこだわりを
持ち、輝き放っているモッド達もいまし
た。しかしそれは一握り。ブームの中の
モッズ達が大半でした。
若さゆえの本気。
さらば青春の光。
その3へ続く。